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11話 揺蕩う夜遊宴

 自宅は楽園だと思える。


 帰れる居場所は必要だ。雨に濡れて風邪を引くのを防いでくれる。暖があればその有り難みが滲んでいく。退屈な日常こそが幸福の証であると、誰も気付かずに今を過ごすだろう。


 けれど、少なくとも弥彦は日常の有り難みを理解していた。

 貴重な時間がどれほど大切なのかを。


「いただきまーす!」

「頂きます」


 楽しみの日課となった夕食。

 暖かい団欒とした雰囲気に満たされる中で、すっかり千住家の一員になれた弥彦は嬉しそうに手を合わせる従兄妹の夜子とその両親である真昼さんと理依さんと共に食事を始めた。


 主食はふわとろオムカレー。

 栄養のある彩られた野菜のサラダは豪華に。

 食欲をそそる食卓は帰宅する意味があり、家族で囲う賑やかな空間は時間が経つのが少々惜しかったりする。


 前の生活では知り得なかった感触。

 本来あるべき姿が目の前にある。実感した心は高雅と晴れていた。


「今日学校でねー、ウザキを飼うことにしたんだよ!」


「おお、そうなのか。お父さんは昔メダカを飼育していたんだ。最初は掃除をするのが面倒だったけど、観賞している内に愛着が沸いていくんだ」


「私が通っていた小学校はハムスターでしたね。手に乗せると可愛いんですよ」


 食事中に弾む会話の一時。

 千住家に引っ越す前の食事とは雰囲気が全く違う。

 沈黙が圧し殺す監視された監獄は会話も許さなかった。視線だけが交わす私生活が救いようのない滑稽さと感じたのは、笑顔が絶えない些細な優しさが人を幸せにしてくれる確かな意味が込められているからだった。


 他人は他人と言うけれど、それは慢心に溺れている。

 何かを教えて貰わなければならない時に、自ら足踏みするのは無意味だ。


 自分が何者なのかを知るべきなのだ。

 そして答えは得られるハズ。


「ねーねー、弥彦お兄ちゃんは何を飼っていたの?」


 話を振ってくる夜子は嬉しそうに声を掛けている。期待した瞳が答えを待っているため、弥彦は素直に言葉にする。


「アメリカでは基本ペットを飼っている先生や生徒が持ってくるんだ。例えばイヌとかネコとか。でも一番衝撃的だったのはヘビだったかな。しかも毒牙持ちというホラーを経験したよ。あれは良い思い出になった」

「そ、それはとんだ災難だな……」

「うわー……」


 大人である二人の反応はドン引きだった。やっぱり。

 あまり過去の話を遡りたくはない弥彦だが、親しい人にしか話さない。信頼するに値しない者には無言キャラを演じ、模範回答を貫き通していた。その結果として転校初日にして失敗に終わってしまった。


 だが後悔はしていない。

 偶然の産物が起こした勘違いは良きも悪きも間違ってはいないから。


「どうして毒ヘビさんは自分の毒で死なないのかな?」


「あれは毒への耐性があるから平気なんだ。でも他の毒ヘビに噛まれてしまえば死んでしまうし、傷口があれば自分の毒で死んでしまう事もあるんだ」


「へー! 弥彦お兄ちゃんは博識なんだね!」


「相当必死だったからね。マジで心臓に悪かったし……」


 環境も違えば気付くものがある。それが認識の違いとか文化の違いとか色々。特に言語が違うのは顕著だ。意志疎通は曖昧でジェスチャーを交えても、感覚の違いが隔壁を生じさせる。


 だからこそ。

 自分の身は自分の力で守るしか、他に方法が無かった。


 楽しい夕食を終えると家族全員が片付けを済ませる。それは日課にして千住家の決まりでもある。分担作業をする事で時間の余裕が生まれる。要はプライベートを満喫するための効率的戦略だ。


 普段から手慣れていれば全然苦ではない。

 弁当を作る弥彦の立場としては当たり前であり、常識範囲の生活なのだ。


(弁当作らなくてもいいか。久しぶりに食堂で食べるのもアリかもしれないな)


 明日について考えてながらキッチンを綺麗に拭いていると、隣で絶賛歯磨きをしていた夜子はとある疑問について思ったのか正直に呟く。


 モヤモヤしていた心の声が外へ溶けていくように。


「織乃お姉ちゃん。最近帰るのを遅いよね」

「……そうだな」


 弥彦に向けられる純粋な瞳が強烈に脳裏に焦がす。ずっと抱いていた不安要素を取り除こうとして。博識に相応しいと思えた唯一の人物に告げる。


 しかし答えづらかったのは弥彦の方。とりあえず返答するしかできない。

 言葉が浮かばないのだ。


 今までの彼女の生活など知るよしもない。興味がないからだろうか。千住家に住む前から親しいとは思えず距離を置いている。疎遠状態だ。共有する関連が存在しない以上、こちらから声を掛ける必要は何処にもないだろう。


 むしろ嫌われていた方が気が楽だと思えるほど。

 千住織乃は難しい。


「高校生になったら、みんな、そうなっちゃうのかな?」

「多分、それは違うと思うぞ夜子。証拠として俺がここにいるじゃないか」


 これだけは言える。青春を謳歌する高校生とは断じて違うことを。

 どこにほっつき歩こうが織乃とは違う。断じてと誓う。弥彦は相手に迷惑を掛ける心配事はしないと。彼女と同じ道には歩まない。


 絶対にだ。


「でも、高校生になったら夜子は好きにしても構わない。高校生活は楽しんだ者が勝ちなんだ。だから今のうちに沢山勉強をするんだ。いいね?」

「……うん。分かった。頑張ってみる!」


 アドバイスを貰った夜子は頑張って歯磨きをした。頑張るのそっちなんだ。


 ひとまずは安定したいつもの空気に戻る。姉である織乃に関心を抱いていた夜子は風呂が沸く間、リビングで勉強に勤しんでいた。難しい顔をしながらも、きちんと答えに辿り着いて。


「流石にこの時間帯だと心配はするわな」


 既にコンビニは閉店している。高校生の身分ではこれ以上帰宅しなければ間違いなく警察に補導される。友達と遊ぶのにリスクを背負うのはどうかと思う。


 本当に彼女の心境が分からない。

 もしかして彼氏のいるリア充であるのであれば、話は全く別物だが。


(とはいえ、アイツは本気で青春を謳歌しているな。良い意味で悪い意味で)


 玄関前に立つ真昼さんと理依さんは何かを話していた。

 多分、家族会議。


「うーん、私も何度か遊んでいた時期はありますけど、厳禁を破るような親不孝はしてません……。あの子は賢いですけど、少しだけ心配ですね」


「年頃とは言え、やっぱり心配だ。もし娘に彼氏でも出来ていれば……」


「嬉しいのに、ちょっと悲しいわ」


 両親にメチャクチャ迷惑を掛けているじゃねぇか!

 それを知らずに夜遊びを続行する織乃。完全に親不孝だった。これがほぼ毎日のように起きているのだからある意味で凄い。是非啓蒙したいくらいだ。


「マジでアイツにならなくて大正解だったな。嗚呼。怖い怖い」


 早朝に聞いたストーカーの件と世良正雪の依頼を思い出して幻滅する弥彦。せめて自宅に居るのだから静かに過ごしたい。家に持ち込んで考え込むのはただの空気の読めないおせっかいだ。


 たまには忘れるのもアリだ。

 人間骨休みしなければ本調子には至らない。本番で失敗は許されない。


 その為に弥彦は階段を上がって自室に戻ることにした。

 夜は長い。

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