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10話 夕闇と潜む影

 黄昏色の日差しが傾き始める夕暮れ時。

 風が乱暴に吹かれていた。


 窓ガラスを叩く悪戯の強風。無邪気な子供が物寂しさによって起こした間違いのスキンシップのように。他人を困らせる態度を表現をした賢い行為に、部室の戸締まりを励む弥彦の前では逆効果に過ぎない。


 ただの強風に容易に感情が騙されるワケがないのだ。

 現実に戻れば、ほとぼりが冷めると。


「本格的な依頼が始まるわね」

「ああ。当分は忙しくなりそうだな」


 開いていた扉から姿を見せるのは意気揚々とした理世。愛用するコップをトレイに乗せながら、元の場所に戻した彼女は笑顔を溢す。


「貴方のコップも洗っておいたわよ」

「助かる。手間が省けた」

「それはお互い様でしょ。同じ部活の人間なんだし、畏まらないで」

「畏まっていないんですけど……」


 机を綺麗に並べる理世と不満を募らせながらも床に箒を掃く弥彦。的確な分担作業で戸締りの時間が短縮される。不在の契が居れば尚更のこと。孤独で奮起した当時とは桁違いなまでに礼儀作法は簡単に終わらせた。


 汗を拭う弥彦は最後の仕上げが抜かりないか確認しようとするが。

 ある違和感に気付く。


「メガネを返して貰おうか」

「あら、やっぱり気付いてしまうのね。このまま忘れてしまうのかと思った」


 身を翻し長い髪を揺らす彼女は白々しく言葉を告げた。

 そういえば理世に貸したままだった。最初は否定したものの、結局は伊達メガネだと暴かれてしまう。私生活に何にも支障は来さないが、学校生活では無くしてならないほどの価値を背負っていたりする。


「理不尽な印象操作の末にでっち上げた変装の道具だ。無いと困る」


「伊達メガネなのにね。本当は要らないんでしょ」


「まあな。それは言えてる」


 呆気ない会話でも親切にメガネを返す。

 一方で掛けようとはしない弥彦は制服の胸ポケットに仕舞う。活用を必要としない時間帯では圧倒的に無駄。ほとんどの学生が部活動に励む中で気にする面倒臭い人は居ないだろう。


 大体、気にかける人間が居てたまるものか。

 身勝手な自己意識は堕落であり、過剰に悲劇ズラをしているだけだ。


「今度はメガネ無しで授業を受けてみたらどう? コンタクトとかレーシックしてみましたって。クラスの反応は以前の環境よりも改善すると思うけれど」


「今更イメチェンとか馬鹿にされるだけだろ。そもそも誰も反応しなかったらどうする。想像してみろよ。寝た振りをする陰湿な日常に、名前覚えられていない時点で、話し掛ける奴は居るわけがないんだ」


「うわぁ……、なにその「いないもの」感は。左目に眼帯つけてそう」


「死人出てないだけまだマシ」


 照明を消した弥彦は淡々と呟き、恋路部の扉を施錠する。


 依頼は着実に移行していく。

 ストーカーの正体を暴くために二人の前に現れた世良正雪は今でもサッカーの部活をしている。犯人から疑わないように、違和感を勘付かれないように、普段の生活を送ると告げて背中姿を見せた。


 隙を見せている内に正体を暴く時間を稼ぐという。

 責任を自分自身に向けた行動は、衆望に答えるような模範解答。


 決して噂を流したくない一心を背負った彼の目的は分からない。けれどその裏側に潜む原因があると弥彦は考慮を重ねるばかりだ。


 一体誰が犯人なのか、ちっぽけな可能性を紐解く。

 効率の良い詮索を考えていると。


「新藤くんってさ、もしかして今回の依頼について不利な気がするわ」


 廊下の窓ガラスの奥に潜む漆黒色の世界。光を反射して映るのは難渋に満ちた理世の表情。平行する彼女は弥彦の顔を見て、真剣に訪ねてきた。


「下手したら新藤くん誰とも喋れないかも……」

「なんだ、理解してるじゃないか」


 大正解。最大のデメリットは相手と喋れないという欠点た。残念過ぎる。

 転校初日に委ねられた印象操作によって植え付けられたキャラクター。メガネを掛けた真面目な転校生とやらを。登場人物を演じる以前に策士に溺れた末路は、現在に至ってまで膠着状態が続いている。


 そのため弥彦は天然のコミュ症ではなく。

 あくまでも恵まれない環境によって寡黙を貫いているだけだった。


「……自分でも理解していることって相当じゃない。それは苦しくないの?」


「俺でもよく分からん。他人に迷惑を掛けていないし、その環境に慣れてしまっている自分がいることが確かだな。とりあえずは納得しているよ」


 いつもの日常であると、慣れた様子の弥彦は冷静に戯れ言を呟く。

 しかし、理世は急に立ち止まって困惑してしまった。


 目線を逸らそうと苦い表情を浮かべる。

 やるせない感情が働いているように見えた。バックを持つ片手は微かに震えており、静かに揺れた彼女の感情は徐々に露となる。


 やがて、決意を込められた紫色の瞳は澄んだ灰色の瞳と見交わしてみせた。


「……貴方だからこそ、答えられるのよ」


 他人とは違う部分が露骨に現れた。

 恵まれない環境下で育ってきた弥彦。それでも知識を身に付け常識に長けた人物は、あらゆる状況でも打破されない。積んできた経験が新藤弥彦という人格を生み出した。


 けれども、壊滅的な状況で通常の人達は耐えられない事を。

 孤独だった理世は知っている。


「自慢出来るわ。新藤くんは天才だと思う。特に精神面でね。私には到底出来ない。たとえ今回の依頼をしてくれた世良くんでもね」

「そ、そうなのか」


 対して予想外だった弥彦は驚愕を隠しきれない。

 顎に触れながら思案を巡らせても、誤った認識がないため雲行きが怪しくなる。


「俺はただ常識を習っただけで……」


「年上相手でも反抗的なのに貴方のモットーって一体何よ。破綻してるじゃない」


「間違ったものを正すのは当然だろ。それなのに何が悪いんだ」


「……分かった。貴方の正義がそうしてくれているのね。かなりズルいかも」


 鋭い瞳をしていた彼女は圧力を欠けながら、途端に頭を抱えた。

 首を左右に振っては降参した様子。


「呆れるのが馬鹿みたいに思えるほどの、正論よ」


 ため息が止まらない。頭痛がする真面目な答えは晴れやかに。

 計二回の依頼をこなしてきた転校生。それらを知り得る人物は少なくとも、見ている人は必ず居る。その一人である理世は見続けてきた景色が嘘のない事実だと、改めて体感することが出来た。


 軸が外れることのない一人の少年の強かな意識。

 自分の信じた正義を貫いてきたからこそ、他人の意見を重んじながら様々な依頼をこなしてきた。そして、これからも続けていく決意を抱いている。


 静かに揺れた正義の意志は、名前の知らない誰かを救うために。

 間違いを正してみせると。


「貴方は正論の塊のような人ね」

「いや、どう考えても思い当たる節がないんだけど……」


 階段の前にして立ち止まる弥彦。それでも先に下りて踊り場で佇む理世は呆れ混じりにお手上げ。何も分かっていないわね、と言いたげそうな彼女らしい微笑みを浮かべていた。


 自信に溢れた確信が今の理世を味方にして。


「いざ正念場になると新藤くんは本気で問題を向き合える。だから正論が言える強さを持っている。それが貴方が持っている精神面って事ね。素晴らしいわ」


「過剰評価し過ぎじゃないのか?」


「仕方ないじゃない。だって本当の事だもの」


 そう言って理世は足早に階段を下りてしまった。

 置いてきぼりにされる弥彦であったが、バックを持ち直し、続けて階段を下りていく。宙に浮いたような身体の軽さを警戒し躓かないように慎重になる。


 もう直ぐ暗闇に染まった漆黒色の世界が訪れを待つ。気温も急激に変化する忙しない環境下で、弥彦は静かに靴を履き替えて昇降口を出る。


 すると、正門前で待っていたのはこちらに手を振る理世の姿を捉えた。

 静寂が包み込む景色に彼女は楽しそうに踊る。


「そうだ。明日相澤さんが揃ったら本格的に依頼を開始するわよ」

「今回は二人の力が必要なるな。頼みにしている」


 情報力を多く収集できる女性陣ならストーカーの正体を効率良く暴ける可能性が俄然高くなる。トップカーストの頂点に君臨する世良正雪を狙う不届き者は、周到深い女に違いない。


 ロクでもない妄想に浸かった被害妄想の申し子を。

 徹底的に改心させてやる。


「あら珍しいわね。貴方って見掛けに寄らず人に頼るなんて。少し意外」

「俺だって人に頼るし。それじゃあまた明日な」

「ええ。また明日」


 自宅が別方向にある理世とはお別れ。

 清々しいほどに踵を返した彼女は未練すら感じさせない。女子高生特有の居残りすらしない彼女は本当に友達といった親しい人が少ないことに納得してしまった。


 だからこそ、理世が告げた言葉に耳を傾ける。


「本当の事、か……」


 当たり前という認識に沿うのは難しい。

 感情に流されてしまえば、継続していたスタンスが変わってしまうから。


 平穏に過ごすために峻烈な選択肢を選びざる負えなかった弥彦。あの時普通に自己紹介をしていればクラスのみんなはどのような反応を示し、胡散臭いこじつけの印象を固めていたか。


 どうしようもない馴れ合いばかりの日常は、本当に当然の事なのか。

 弥彦はただ認めたくはなかった。

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