29話 トワイライト・ティータイム
同じ時間の繰り返し。
差し当たりのない授業を受けて、ふと瞬間に気が付いてみると、あっという間に放課後を迎えていた。
そこに歓喜が在らず。そこに喧騒が在らず。
教室に取り残された唯一の人物だけが、自身の席に腰掛けている。
シャットアウトした沈黙は聴覚に刺激し、決して雑音を立ててはならないと戒める透明の威圧感が漂う。
どうやら弥彦は本当に寝てしまったようだ。
短い学級活動、HRの記憶が空白で何も思い出せない。それほど退屈たったのか、あるいは疲労していたのか。正直の所曖昧な詮索ではあったが寝ていたのは紛れもなく事実だろう。
「ああ……、やってしまった」
険しい表情を浮かべる弥彦は自身の軽率な行動に後悔した。
バタバタした私生活に苦労が重ねて、授業を真面目に受けてもあまり話を聞いていなかった気がする。
流石に私生活と高校生活は両立できないか。
満足の行かない日々にモチベーションは下へ傾向している。同じ事をひたすら継続するのはやはり難しくて。何かしらの工夫をしなければならなかった。
しかし弥彦は青春を諦める立場だ。
活気の渦に外れた一匹狼を装う。何を言われようが別に構わない。自分で決めたレールは役目を果たすまで外れることはない。
いつものように。
勝手に勘違いした想像の人物像を沿って過ごすだけだ。
「今日も時間潰し、か……」
あまり気乗りしないのは生徒会の副会長との揉め事があって二日が過ぎている事。それも誰も訪れない結果に部活をする勇気がとても足りなかった。
別に周辺が平和なら理想に叶っている。それが本望と呼べるものだから。
でも、幻滅してしまう。
「実際に恋路部を必要としていないのかもしれないな」
机に踞りながら休み時間を送る地味な高校生活は無駄ではない。情報収集として聞き耳を立てるのは強みで、流行する話題をキャプチャーするのは欠かせない。しかし大半が為にならない無駄話だが。
その中に恋路部に関する話題は弾ませていなかった。
自ら告げ口してないから当然ではある。危惧するべき部分は同じクラスで生徒会の三日月天寧や副会長の神式杏から噂を浸透させたら全てが台無しになる可能性に避けてはならないだろう。
ただし、部員が一人しか存在しないので被害は考えなくてもいい。
物凄く楽だけど少し失礼だった。
「今日も頑張りますかね。精神鍛練的に」
◆
職員室に行ってみると、恋路部の鍵が無かった。
(……秦村先生が恋路部の鍵を所持してる可能性があるとみた)
昼休みでは部室に寄らなかった弥彦。
移動をするのが面倒で結局は教室で昼食を済ました。後ろのトップカーストに属するグループが結構華やかであったのは覚えている。
雑誌らしきものにいちゃもんを付ける冴嶋香子。
意外と五月初めに来るテストを対策していた女王の鈴ヶ森美雨。
彼女達には余計な印象で見据えてしまって申し訳無かった。自分なりに主張を言える意思の強さには関心を持てる。しかし自身が語る器ではないのはこの高校に転校する前から知っていた。
あえて、そういう人間にならざる負えなかった事を。
(仕方がない。部室に寄るか……)
慣れた感覚で廊下を音を立てずに歩く。
寄り道はせず、ただただ前に進む。目的地に向かう速さは変わらなくとも、感覚だけは長い時間を掛けているような錯覚に襲われていた。
もしかしたら没収されているのかもしれない。
永久的に恋路部が廃部になっても支障は来さないだろう。
神式杏が利己的に異論を唱えた主張は、あながち間違ってはいなかった。弥彦は彼女の意見に承知しながらも最終的には否定をし続けてきた。何の役にも立たない部活動を、生徒会長である常盤美咲は弥彦の意見を賛成した。
所詮は犠牲が付き物なのだ。
その裏側に隠れた複数の意図は巡る。他人には触れられない基盤のように。
チェスのポーンか。
あるいは将棋の歩兵か。
たったそれだけの違いによって、捨て駒となる役目は居場所を選べない。
次のステップに進むための必要不可欠の犠牲は能のある者から選ばれてしまう。
弥彦はその一人であると思っていたハズなのに。
次の瞬間。
―――光が差し込んだ景色は、間違いなく偽物ではなかった。
「遅かったね。彦くん」
優しく出迎える声が弥彦に向けられた。
理由を訪ねなくとも記憶に覚えている。だからこそ絶句に追い込まれる。
新調した長方形のテーブル。その上に置かれたお菓子の入れ物の中はカラフルに彩られており、お供となるティーセットは二人分置かれていた。ほのかに立ち込める湯気は淹れたばかりなのか、部室に広がる柔らかい香りは自然と緊張した鋭利さを和らいでいく。
そして、椅子に腰掛ける少女達は新藤弥彦の事を覚えていた。
「相澤に茅月、な、なんで二人が此処に……」
「あれ。居ても駄目なの?」
「まるで私達の事を幽霊と勘違いして遭遇してしまったような反応をしてるわね。新藤くん……?」
首を傾げて不思議そうにする相澤契と、不敵な笑みを湛えた茅月理世。
嗜みを含めたお茶会は女子会として繰り広げられていた。
「私は幽霊とかオバケなんかじゃないよ? ちゃんと生きてるよ」
「相澤さん。これはあくまでも表現の例え方なの。真面目に答えると私が困るわ」
「でも、勘違いしちゃう人はいるよね」
恋路部の部長ではなく。
来客として姿を見せた弥彦を歓迎する二人の反応は個性が光る。
パレットに満たされる色彩は虹色のように。束縛のない真っ白な翼は自由を取り戻すように。屈託を否定する特別な空間がそこにはあった。
「……今日は何の用事で訪問してきたんだ。二人共」
喉に突っ掛かりそうな言葉の飲み込み。
驚きを隠せないでいる弥彦は定位置となる自分の席に腰掛ける。
けれど、視界に映る彼女達の存在は騙せない。澄んだ瞳がこちらに興味を示して向けられている。それはこの時を待ち望む期待だった。
そして質問に答えるのは両サイドに黒リボンの髪飾りを身に付けた少女。
紫色に透き通る瞳をした理世であった。
「今日から私達、恋路部に入部することにしたの」
「……は」
彼女から告げられる意味を探るのに、短い間を思案を巡らせていた。
熱で融解する氷が液体に変化するほどの天変地異の現状に、弥彦は微かに口元を開き、ぎこちない感覚に襲われた。予想外の出来事にこれまでの方程式があっという間に瓦解する。
「本当なら昨日入部届けを先生に渡してからだったんだけど、やっぱり彦くんに伝えないとダメかな? って考えたら今日に決めた」
「いや、相澤の経緯はよく分かった。……が」
弥彦は理世の様子を伺う。
入部する理由に拘る必要のない契は別として。気掛かりとなったのは理世の入部希望理由であった。
確か、彼女には好きだと思える人がいるハズではないか。
「茅月、どうして恋路部に入部する必要が? お前には大切な人がいて……」
「ええ。貴方の言うとおり好きな人は居たわ。けれどね。諦めたの」
どうして。
彼女は微笑みながら肩を竦めるのか、弥彦には到底分からなかった。
何故理世は優しい表情を浮かべるのだろうか。穏やかに語る彼女の姿。テーブルの隔たりは何処までも遠くて。紅茶を口に含めた理世は過去の出来事について思い残りはない様子が見受けられる。
でも、弥彦はやるせない気持ちに満たされていた。
あれだけ必死だった。
だから恋路部へ相談してきたというのに。
彼女の物語は触れる事はない。もう終わった依頼だ。二度も繰り返すことはおろか、彼女の道は途切れてしまった事実を受け止められないでいる。
「……すまない。俺の実力不足だ」
一体、何が間違えたのだろう。
ちゃんと誰かの為になる意味を伝えてあげたのか。そこに抜かりはなかったか思考を邂逅する。挑戦する心の強さは間違いなく本物であると、この目で感じたハズだった。
「別に貴方が後悔する理由はないわ。そんな苦しい顔をしないで」
「いや、そんなことは」
「してるわよ。本当に貴方は優しいのね」
からかうような透き通る笑顔が彼女から溢れた。
辛い出来事は理世だけが覚えている。
期待が悲しみに変わる瞬間を迎えた彼女は言葉にならないほどの苦痛を理解している。それなのに笑顔を浮かべられるのは、彼女しか知らない鬼門を乗り越えているのだろうか。
「……あのね。私は別に告白してないし。少しだけ考えたら興味が無くなったの」
「なぜそうなる?」
すると理世は鼻で笑う。
楽しそうな面影に弥彦は怪訝そうになる。
既に聞いていたのか契は二人の会話にニコニコしていた。なんだこの雰囲気。
「なんて言うの? 彼はとにかく浮気性のある人だったのよ」
「ああ……。それは災難だったな」
無駄に言葉を選ぶのに時間は掛からなかった。
美人な少女を口説くのが常套手段の男。外見がうるさくてチャラチャラした印象しか思い浮かばない。軽はずみな言葉で俺面白いと勘違いしている奴はいい奴だと分かっても大抵信用出来ない。
とにかく、非常に面倒臭い相手である。
「本当にそれ。早く気が付いていなかったら騙されていたところだったわ」
「熱狂的な手の平返しだな。それほど悪いってことか……」
「全部貴方のせいなんだけどね」
あながち間違っていない。真実を見分けるためには多少の犠牲は付き物だから。
「だからって恋路部に入部する理由にはならないだろ」
「そうかしら? 私は純粋に人助けのために入部しただけの事よ。それに新藤くんだけじゃ女の子の敏感なお悩み事情を聞けるというの? 無理でしょう」
「せめて解答させてくれませんかね……」
大体合っているため弥彦は強く言えなかった。
部長だけでは地味すぎるし、誰も寄せつかないのは確かだろう。両手に花束を持たなければ意味がないらしい。ただし持つ者はただの案山子だ。
「加えて相澤はなんでこんな部活に入部を? 相当暇なのか?」
開封したお菓子を小さく両手でモグモグ食べていた契は手を止める。
「実は私も理世ちゃんと同じ理由なんだよ。彦くんみたいに誰かの力になれないかもしれないけど、人を助けることは、きっと誇れるものなんだと思う」
「……」
誰かを助ける行動は簡単ではない。
自分自身を守れなければ他人を救えることは出来ないと同じように。軽はずみな親切心のみで他人の苦難を取り除いても歓迎されない。
余計なお世話として邪魔者扱いに終わる始末だ。
それでも、彼女達は現実を受け止める覚悟を携えているというのか。
「もしも、他人を救えなかったら、相澤や茅月はその現実を受け止められるのか」
「うん。そのために今日彦くんに訪ねて来たんだ」
「もちろん。当たり前でしょ」
二人の問いに迷いはない。むしろ自信に満ち溢れている。
困難に立ちはだかっても自分は独りではないことを知っている。それらを教えてくれた人物の些細な真似であっても、自分なりに導いた解決方法は本物だ。
助けてくれたから。守ってくれたから。
だからこそ、今度は自分達が困っている人に手を差し伸ばす立場となる。
紡ぐ者として。
繋ぐ者として。
彼女達の決意はとうにその先にある景色を静かに見据えていた。
「……分かった。俺は二人の入部を歓迎する」
「本当にいいの……!?」
「入部届けの用紙に先生の印鑑が押していた時点で、二人を歓迎する他ないだろ」
二枚の用紙を確認し終える弥彦はヒラヒラ揺らしながら言葉を告げる。ため息を吐きながらも心の何処かで納得する姿は満更でも無かった。
特に、屈託のない笑みをする彼女達には文句の言い様がなく、完敗しかない。
両手でハイタッチする光景は暖かみがあった。
本当に、届かない距離にある。
「これで、正式に恋路部の部員になれたわね」
「そうだね。もしも採用されなかったらどうしようかなって考えちゃった」
と言いながら絶賛お茶会を嗜む契と理世。先ほどよりも雰囲気は明るく、室内の気温も丁度良いくらいに過ごしやすさを感じる。ただでさえ静寂に包み込んでいた部室が華やかに生まれ変わるのだから、捨てたもんじゃない。
「新藤くんの事だからやらないわよ。厳しくても優しいのは分かっているでしょ」
「だよね。彦くんの事だからみんなに黙って解決しちゃうからね」
(……流石にバレていたか)
黙って携帯端末の画面に釘付けする弥彦は語らない。
それでも二人は楽しく談話を続けた。世界が暮れるまで僅かな時間帯を過ごす。放課後が終わる頃が訪れても賑やかに輝く景色は退屈を掻き消してくれる。
やはり、孤独では何も始まらないのは最初から分かっていても。
この空間は特別であり、偽物ではなかった。




