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28話 どこにでもいる平凡な高校生

 コーヒーの香りが部室に漂う。

 燦々と煌めく空の景色。青く澄んだ世界をガラス越しで見据える少年、新藤弥彦はいつものように孤独を勤しんでいた。


 自身の席に腰掛けながらステンレスのマグカップを持つ。


 湯気を立ち込める黒色に淹れたコーヒーはたとえインスタントであっても十分に風味を味わえる一品であり、弥彦にとってますますの出来だと思える。


(……流石に苦いのは苦手だな)


 結局は人前で出さない粗茶のようなものだ。

 そのため飲みやすいよう湯加減を工夫しているのは内緒だったりする。誰もが知っている有名なクリープと多少の砂糖を加えてしまえば、苦味が緩和して程よい甘味を含んだコーヒーに変化する。


 まるで、人間の裏の顔のように。


(三日月天寧。アイツは何を考えているのか全然分からん。宇宙人みたいだ)


 しつこくない甘さ加減のコーヒーを口に含む弥彦は敵意の瞳を忘れられずにこれまで起きた経緯を振り返っていく。


 早朝、それも登校時間の頃。

 喧騒が鳴りやまぬ活気めいた都会の街並み。澄んだ青空の下で正門前に待ち受けていたのは偶然なのか奇跡なのか生徒会のメンバーであった。


『誰だお前』

『誰って……、私ですよ。クラスメイトの三日月天寧ですよ』


 昨日から知っていた。というか忘れていなかった。

 生徒会の中で異常に刺激的な印象を残していたドスケベ狂人。露となった肌色の艶やかを忍ばせた淫らな体躯。数多くの人様を迷惑を掛けた道化師のような彼女は、まさしく風紀と規律を欠けた背徳者だろう。


 なのに、核シェルターを類似した外装は予想を更に斜め上に行く。

 ある意味で彼女は青春を楽しんでいたのだ。


『おはようございます。今日も一日頑張りましょう』

『わー、パチくさ』


 少し跳ねた浅緑色に染める長髪。ネクタイが似合う制服の身形に抜かりはなく、カタログに載る模倣品は他者の目線を釣るように向けられる。黒のニーハイソックスは脚を細く魅せておりそのための影響力か。そしてメガネ姿の彼女は誰もが見ても生徒会の一員程度の認識で終わらせるほどに。


 水色ブラが見えてしまうほどのだらしないジャージ姿は何処にも存在しない。

 目の前に存在するのは、何処にでも居る女子高生だった。


(アイツ……。紛れもなく本物の狂人じゃないかよ……)


 恐れ戦く弥彦は見震いをする。

 知り得てはならぬ境界線を越えた景色は地獄と変わらない。


 こちらが真実を求める深淵というのなら、対して彼女は真相を確かめる深淵だ。互いの長所が同等であっても、進むための選択肢は完全にバラけている。


 最初は偽物と本物の区別を付けるための遊び半分の余興だとそう思っていた。

 けれど、彼女は明らかに本気で他人を騙そうとしていたのだ。


 『本物』の狂人として。


(素性の知れない人物は怖すぎる。偽物の笑顔を振る舞えるあのピエロが)


 随分と幻滅をしながらステンレスのマグカップの縁を歯でガジガジと音を鳴らす弥彦はかなりの不機嫌だった。


 異性を問わず興味を引き寄せさせる魔性の容姿容貌。

 そうして勘違いさせる境界線を生じる人物こそが何よりの恐怖を伝えさせている事を。このまま続いてきた関係が呆気なく崩す機会は、ほんの些細な出来事で亀裂が走ってしまうものだ。


 幾ら他人が三日月天寧に興味を示そうと。

 必死に言葉を掛けようとも悪足掻きで終わるのは、彼女自身が他人に対して一切の興味が無いからだった。


 誰かの不幸を願う悪魔は人間そのものに興味がないように。


「他人の不幸を玩具のように楽しむ極悪非道。本当にタチが悪い……」


 興味がないのは別に構わない。それは無意識に起きる本質と変わらない。けれど、最初から自覚しながら狙いを定めているのは話は別になる。そのような行為は強弱問わずに甚振る狂人そのもの。


 裏側に潜んだ本物の本心を擬人化したみたいな彼女の存在に、弥彦は堪らずに首を左右に振って呆れてしまう。


「かなり厄介だし、本気で関わりたくないわな」


 今後の方針を強く固める弥彦は改めてメガネを掛け直す。

 所詮、平凡な転校生のレッテルはそう簡単に覆らないので変装はバレることはないだろう。現在に至って誰も興味を示しておらず、相変わらず幽霊扱いは住み心地を実感させてくれる。


 ずっと黙っていれば何かが起きることはない。

 光の届かない影の中で、誰かの背中を押す裏側の立役者になれれば、それはそれで十分なのだから。


 予め自分は主役ではないと悟っている。


(……今日は誰も来なさそうだ)


 既に放課後は黄昏色に染めるほどにまで日が暮れている。

 当然、恋路部に訪れる学生は居ないという証明が濃厚となってくる現状。つまり平和だ。人間関係を壊すドロドロな繋がりが無いという事だ。

 後で後悔するがいい。


「後は誰かが勝手にすればいい。俺は関係ないからな」





 片付けを済まし恋路部の鍵を返した弥彦は帰宅しようと昇降口を出ようとする。


「まぶし……っ」


 歓迎する黄昏色の日差し。それを遮るように片手を掲げてみせる。普段は残光が途切れそうな夕焼けの頃に帰るためか、影が伸びる幻想的な時間帯は格別に見える世界が違っていた。


 たまにはいいのかもしれない。

 いつも見据えてきた景色が飽きてしまえば簡単に忘れる。単純に面白みに欠けているからだと弥彦は歩きながら自然と考慮する。


 誰かと一緒に居られるだけで楽しい。

 その中に含まれた意味を探して、人間とは何かを探求し続けていく。


(……とりあえず、こんな感じでいいんだろうか)


 一度だけ正門前に佇む弥彦。

 当然誰も存在しない。聞こえてくるのは四方八方に交錯する都会の騒音と掠れていく人の遠い声のみ。


 しかし、繰り返してきた過剰な日常は姿を変える。

 信憑性皆無の噂話が飛び交う間違いだらけの世界。それを断ち切る些細な努力は人知れず。いつの間にか平和を訪れる幸せの瞬間を眺めるだけの傍観者は、決して誰かの不幸を笑ったりはしない。


 ただ静かに。

 誰かの為に成し遂げるお節介は何度もしてきたつもりだ。


 これからも、明日も、明後日も、このちっぽけな体が動かなくなるまで。

 現代にまで残してきた人間関係を紡ぎ続けてやろう。


 何時か傷付いた心の優しい彼女に。

 構わずに救いの手を差し伸ばしたあの頃のように。


 新藤弥彦は何処にでもいる平凡な高校生を演じ切ってみせる。

 それだけの意味だった。

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