24話 もう一人の副会長
恋路部を廃部に企てようとした張本人、神式杏。
規律を乱す不純として判断を下した彼女の正義。それは利己的に歪んでいて。正義という名の暴力に気付いてもなお、自身が抱いた執念を貫き通そうとした。
その結果、新藤弥彦に向けられた渾身の頭突きは見事に避けられる。
意図も簡単に。呆気なく横に躱されて。
両手には手錠を掛けられており、背中に回している事を忘れていたようで。自力では受け身を取れないことを知る前に、客人の立場でもある弥彦を含めた生徒会のメンバー達は、瞬時の事態に危惧感を走らせた。
このままでは扉に衝突しかねない事態が訪れる。
遅れて気付いた彼女は、恐怖に怯えてしまい途端に目を瞑ってしまう。
だがしかし、神式は扉に衝突しなかった。
その理由として、生徒会室に訪ねてきた黒髪の少年が、こちらに倒れてくる神式の状態を理解。華奢な体躯を難なくと見事に受け止めてみせたからだ。
「大丈夫? 顔が赤いけど、もしかして、熱でもあるのかい?」
「ひゃ……っ! な、にゃい。全然にゃいよっ!」
目を開く神式は顔を真っ赤にして驚いていた。
そこに佇んでいたのは知り合いらしく、彼女の様子を伺うように額に触れる黒髪の少年は熱を測ろうとする。対して否定する神式の言葉はふにゃふにゃ。
「……いや、物凄く熱いんだけど……」
「そ、そんなことはないよ。私は平気だもん! こんなの大丈夫だよ!」
「分かったよ。これは、大丈夫そうじゃないって意味だよね」
「なんで!?」
「あと、どうして神式さんは手錠を掛けられているのか、僕に教えて欲しいかな。……あ。か、神式さんって実は痛いのが大好きな性癖だったりするの……?」
顔色が弱々しくなる黒髪の少年。笑顔を保つものの、全く笑っていない。
とにかく首をがぶり振って否定しようとする神式は、
「ち、違う! 痛いのはお断りよ!」
「え。じゃあ、その手錠を使って相手を痛め付ける側だったのか……」
「だから違うって言ってるでしょ……。うぅー……」
勝手に涙目になりながら抗議をする神式であったが、その気力は乏しかった。
黒髪の少年の前では威圧的な雰囲気が瓦解されている。
あれほど野生本能に覚醒して威嚇していたというのに。今や面影が完全に消滅してしまっている。それも赤面で覚束ない足取りしていれば、ギャップというよりの固定された印象が崩れるのは当然か。
とはいえ、性格が変わり過ぎているような気がするのは何故だ。
「なんだか、この部屋暑くねえか?」
「いいや。別に何とも」
制服を仰ぐ伊丹は汗を掻いており少々忙しない様子。
突然と起きた現状を見るに耐えないのか、どこか目線を逸らしている。及川の方は涼しい顔をしてメガネを掛け直している。つまりノーリアクション。
(……何か、茶番劇が始まった)
表情に出さずとも幻滅していた弥彦は思案を巡らせる。
しかし彼女に起きた変化に、考察を深めるような技術は必要とはせず、あくまでも茶番劇に見える状況をひたすら待つだけの後見人に過ぎなかった。
大体。この状況に何処をどう突っ込めばいい。
「月見くん、雨の中、見回りお疲れ様でした」
「いえいえ。会長の指示を引き受けるのは生徒会の一員として当然の事ですから。励みの言葉、有り難う御座います」
高級そうなチェアに腰掛けている生徒会長の美咲は、勤検な成果を上げる黒髪の少年に労いの言葉を掛ける。それを少年は苦笑を浮かべて、大した事はしてないと謙虚に恐縮の意を示していた。
扉の前で神式に苦戦していても少年の方に焦燥感は一切感じられない。
むしろ楽しそうに見える。
突然の事態でも平静さを保てるほどの順応力の高さ。
暴走する赤面の神式を相手にしても、芯まで落ち着いた空気はそう簡単には変化を訪れないと、自信に満ち溢れた余裕を無意識に醸し出している。
「その前に、神式さんはなぜ手錠を掛けられてるの? 悪い事でもしちゃった?」
「わ、悪い事はしてないもん!」
猫の首を掴むような感覚で黒髪の少年に捕まる神式。
反論を唱えようとしても、手錠を掛けられている時点で当分は無力化なのだが、神式は何とかして抵抗を力に傾けようと跳ねる。しかし何も起こらない。
無駄な努力は明後日の方向へ投げ出される。
会話を広げる及川と伊丹によって、ますます彼女の威厳が損なわれていく。
「彼女は正当性の見当たらないアンフェアな弾圧を繰り返し、最終的に相手に面倒を掛けてしまったのだよ。証拠として手錠を掛けて貰った」
「独断専行に突っ走った野良猫を書記先輩が施してやった……。ってなワケ」
「なるほど。僕が居ない間にそんな事を……」
真面目に思考を巡らせる黒髪の少年。
顎に手を当てて、物事をより捉えようと工夫を凝らす。しっかりと神式の襟首を掴みながら冷静に状況を整理している。彼女が暴れても体幹は崩れない。
「とりあえず、神式さんに聞く必要があるね」
「すまん。俺達には力不足だったわ。尋ねようとしたが、颯爽と逃げやがった」
「人見知りの性格だからね。仕方がないと思うけど、神式さん。人の話を聞かないと駄目だって、幼い頃に教わらなかった?」
「うぐぐ……っ!」
ワガママな子供に注意を促すお兄さんのように接して。
本当は自分が悪いのだと分かっていても、許したくないと拙い感情が拮抗する。駄々を捏ねる彼女は口を噤む。決して言葉に出さまいと。
それでも、結果は委ねてしまう。
啓蒙の道に諭す心強さを備えた黒髪の少年は微笑んでみせたのだ。
「大丈夫。何も怖くないよ。きっと、皆は君の話を聞いてくれるハズだから」
「……っ」
澄み渡る優しい微笑みが彼女の涙腺を刺激する。朱色に染めた頬に伝う透明の滴は行き場を無くすが、黒髪の少年の人差し指によって綺麗に拭き取られた。
一粒の涙を意識しながら眺める少年はもう一度だけ、彼女の方に振り向く。
ぎこちなく肩を竦めては当たり前で言葉を告げる。
少しだけ、難痒そうにして。
「同じ生徒会のメンバーなんだからさ、難しい遠慮は何処にも要らないんだよ」
改善は生徒会室で尽くされた。
制服のポケットからハンカチを取り出すと、神式の蒸気した仄かに赤く染める頬を傷付けないように丁寧に慎重に当てる。泣き止む子供をあやす黒髪の少年の慈悲は偉大で、誰に対しても平等に振る舞う志は、紛れもなく本物だった。
そんな生徒のお手本に相応しいほどの聖人さを次々と魅せる人物に。
偶然と視線が交錯する。
「……君が、神式さんの被害を受けてしまった人なんだね」
「多分合っていると思う」
実際にはあまり被害を受けてない弥彦ではあったが一様真実を告げる。
すると、黒髪の少年は勘が冴え渡っているのか、自ら自己紹介を進めたのだ。
「そういえば初めましてだったかな。僕は月見司と言います。宜しく」
性格の表裏はなく。
礼儀正しさと道徳心を携える月見は一貫して静かに物事を見定めていく。軽やかに笑顔で歓迎し、相手には対等の立場を重んじて。差異の見られない雰囲気はどんな展開に転換しようとも良好のまま。
相手を敬う間違えのない謙虚な姿勢。
その著しい活躍はまるで、どこかの野良猫副会長よりも有能であると。
新藤弥彦は心の何処かでそう思えた気がした。




