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第六話 〜打つ天才〜

「朝倉! 走れ!」


「任せろ!」


水城先輩の声と同時に、


隼人が飛び出した。


速い。


分かっていても、


やっぱり速い。


「神谷! 追え!」


「無理ですよ!」


俺も走る。


だけど。


50メートル、6秒11。


対して俺は、7秒12。


たった一秒。


でも、


走れば分かる。


その一秒は、


とんでもなく遠い。


「隼人!」


水城先輩が前へボールを蹴る。


少し強い。


普通なら追いつけない。


でも。


「よっ!」


隼人が追いついた。


そのままゴールへ向かう。


「奏!」


「分かってる」


隼人の前に、


奏が立った。


「え、天宮!?」


隼人が慌てる。


右。


左。


ボールを動かす。


いや。


動かそうとしている。


「うおっ」


ボールだけ、


変な方向へ転がった。


「下手くそ!」


俺は笑った。


「うるせえ!」


そのボールを、


奏が拾う。


「天宮、神谷にパス!」


水城先輩が叫ぶ。


「はい」


奏が俺を見る。


トン。


ボールが転がってくる。


昨日より、


明らかに正確だ。


「ナイス!」


止める。


前を見る。


水城先輩。


奏。


隼人。


今やっているのは、


二対二。


俺と奏。


対するのは、


隼人と水城先輩。


ゴールはカラーコーン。


小さい。


本物の試合とは、


全然違う。


だけど。


「蓮!」


奏が走る。


「おう!」


奏へパス。


水城先輩が動く。


奏の前へ出る。


その瞬間。


トン。


「え?」


奏が、


俺へボールを返した。


ちょうど、


水城先輩が奏へ向かった瞬間。


空いた場所に、


ボールが転がってくる。


俺は走り込む。


「マジか!」


水城先輩が戻る。


その前に。


「入れ!」


蹴る。


コーンとコーンの間を、


ボールが抜けた。


「よっしゃ!」


一点。


「神谷、今のいいぞ!」


「奏のパスですよ!」


俺は奏を見る。


「ナイス!」


手を上げる。


奏が俺を見る。


少し迷ってから。


パチン。


俺の手に、


手を合わせた。


「……何?」


「いや」


「何?」


「天宮もハイタッチとかするんだなって」


「もうしない」


「なんで!?」


少し離れたところから、


声が聞こえた。


「楽しそうだね」


澪だ。


いつものように、


グラウンドの端から俺たちを見ている。


「澪もやる?」


「やらない」


即答。


「見るだけ」


「最近毎日いるじゃん」


「ダメ?」


「ダメじゃないけど」


澪は、


奏を見る。


奏も澪を見る。


「…………」


「…………」


なんだ?


最近、


この二人よく目が合うな。


仲良くなったのか?


「神谷!」


「はい?」


水城先輩がボールを拾う。


「休憩!」


「はい!」


まだ四人。


いや。


奏は正式入部していないから、


正確には三人と一人。


それでも。


少しだけ、


サッカー部らしくなってきた。


*


「で」


休憩中。


水城先輩が言った。


「次は野球だっけ?」


「はい」


俺は水を飲む。


「『打つ天才』」


奏が呟いた。


「そう」


「どんな人?」


「性格悪い」


「最初にそこ?」


「だって悪いし」


隼人が笑う。


「俺も知ってる」


「朝倉君も?」


「小学校一緒だったからな」


隼人が俺を見る。


「大河、めちゃくちゃ有名だったよな」


「うん」


名前は、


黒崎大河。


俺が小学二年生のとき。


野球を始めて、


初めて入った少年野球チーム。


そこで出会った。


俺と同い年。


身体だって、


当時は俺とそんなに変わらなかった。


なのに。


バットを持つと、


別人になった。


速い球。


遅い球。


高い球。


低い球。


どこへ投げても、


当てる。


いや。


ただ当てるんじゃない。


芯で捉える。


乾いた音を残して、


ボールが飛んでいく。


俺が何十回素振りして、


何百回ボールを打って、


ようやく少しずつ上手くなっている間に。


あいつは、


最初からそれができた。


コーチが笑いながら言っていた。


『大河はボールが止まって見えてるんじゃないか?』


子供だった俺は、


本当にそうなんだと思った。


それくらい。


黒崎大河は、


打つことに関して普通じゃなかった。


「今も野球部?」


水城先輩が聞く。


「……いや」


俺は答える。


「帰宅部です」


「え?」


「野球、やめたんですよ」


「そんな上手かったのに?」


「はい」


「なんで?」


「分かりません」


中学に入ったら、


当然野球部に入ると思っていた。


俺だけじゃない。


たぶん、


周りもそう思っていた。


でも。


黒崎の名前は、


野球部の名簿にはなかった。


その理由を、


俺は知らない。


小学校の途中から、


俺は野球をやめた。


それから黒崎と話すことも、


ほとんどなくなっていた。


「じゃあ聞けばいいじゃん」


隼人が言う。


「そうだな」


俺は立ち上がった。


「行ってみる」


「今?」


「逃げられる前に」


「野生動物みたいに言うなよ」


隼人も立ち上がる。


「俺も行く」


「来なくていい」


「なんで!?」


「お前いるとうるさい」


「ひどくね?」


「私も行く」


奏が言った。


「なんで?」


「気になる」


「何が?」


「神谷君が野球をやめる原因になった人」


「その言い方やめない?」


「私と同じでしょ」


「そうだけど……」


「私も」


声がした。


澪まで立ち上がっている。


「澪も!?」


「暇だから」


絶対嘘だろ。


結局。


四人で行くことになった。


*


「いた」


放課後。


校舎裏。


黒崎大河は、


一人でベンチに座っていた。


短い茶色がかった髪。


少し鋭い目。


イヤホンをして、


スマホを見ている。


「大河」


声をかける。


黒崎が顔を上げた。


「…………」


俺を見る。


隼人を見る。


奏を見る。


澪を見る。


もう一度、


俺を見る。


「何そのパーティー」


第一声がそれだった。


「ちょっと話ある」


「宗教?」


「なんでみんなそれ言うんだよ!」


「怪しいから」


黒崎がイヤホンを外す。


左手で、


それをポケットへ入れた。


「で?」


「サッカーやらない?」


「やらない」


速い。


「まだ何も説明してない!」


「サッカーだろ?」


「そうだけど」


「興味ない」


スマホへ視線を戻す。


想像以上だな。


「大河」


「何」


「お前、今何も部活やってないだろ」


「だから?」


「サッカー部、人数足りないんだ」


「知らん」


「廃部になりそうなんだよ」


「知らん」


強い。


奏のときとは、


全然違う。


「お前の力が必要なんだ」


俺が言うと。


黒崎の指が止まった。


「俺の力?」


「うん」


「サッカーやったことないけど」


「知ってる」


「じゃあ何の力?」


俺は答える。


「打つ力」


黒崎が、


ゆっくり顔を上げた。


「……馬鹿にしてる?」


声が、


少し低くなった。


「してない」


「サッカーでバット使うの?」


「使わない」


「じゃあ意味ないじゃん」


「それは分からない」


「分からないのに誘ってんの?」


「うん」


「馬鹿じゃん」


「それはよく言われる」


後ろで隼人が吹き出した。


黒崎が立ち上がる。


「帰る」


「待てよ」


俺は前に出る。


「なんで野球やめた?」


黒崎が止まった。


「…………」


空気が変わった。


「関係ないだろ」


「ある」


「ない」


「お前、野球好きだったじゃん」


「昔の話」


「俺がどれだけ練習しても打てなかった球、普通に打ってたじゃん」


「だから何」


「天才だったじゃん」


その瞬間。


左手が伸びた。


胸ぐらを掴まれる。


「蓮」


隼人の声。


「来るな」


俺は言った。


黒崎の目を見る。


怒っている。


明らかに。


「二度と」


黒崎が言った。


「俺を天才って呼ぶな」


「…………」


「ムカつくんだよ」


「なんでだよ」


「お前には関係ない」


「でも――」


「関係ないって言ってんだろ」


黒崎の左手に、


力が入る。


その手。


指の付け根。


手のひら。


硬くなった皮膚が、


いくつも見えた。


昔、


俺にもあった。


バットを振り続けてできる、


マメ。


「大河、お前……」


今も野球やってるのか?


そう聞こうとした。


でも。


黒崎が先に手を離した。


「帰る」


そのまま、


歩いていく。


「大河!」


呼んでも、


振り返らない。


追いかけようとする。


でも。


腕を掴まれた。


奏だった。


「待って」


「でも」


「今追っても無理」


「…………」


分かってる。


分かってるけど。


なんなんだ。


あいつ。


昔は。


天才って言われるたび、


嬉しそうに笑っていたのに。


今は。


天才と呼んだだけで、


あんな顔をする。


「蓮」


澪が言った。


「何?」


「あの人」


黒崎が消えた方向を見る。


「野球が嫌いになったわけじゃないと思う」


「なんで?」


「左手」


「左手?」


「見なかった?」


澪が、


自分の手のひらを見せる。


「マメ」


「……あ」


やっぱり。


澪も気づいていた。


「バット振ってる人の手?」


奏が聞く。


「たぶん」


澪が答える。


「少なくとも、何もしてない手じゃない」


「じゃあ」


隼人が言う。


「大河、今も野球やってんの?」


「分からない」


俺は、


黒崎が歩いていった方向を見る。


野球をやめた。


でも。


バットは振っている?


「意味分かんねえ」


やめたなら、


なんで振る?


好きなら、


なんで野球部に入らない?


そして。


なんで。


『天才』って言われて、あんな顔したんだ?


*


翌日。


昼休み。


俺は一人で廊下を歩いていた。


黒崎を探していたわけじゃない。


たぶん。


いや。


少し探していた。


すると。


「あの」


後ろから声をかけられた。


振り返る。


知らない男子生徒だった。


二年生。


「神谷蓮?」


「そうですけど」


「サッカー部入ったんだって?」


「はい」


誰だ?


見覚えがない。


「水城と一緒にやってる?」


「そうです」


その先輩は、


少しだけ笑った。


「まだ、あいつ続けてんだ」


「あの」


「ん?」


「先輩、水城先輩の知り合いですか?」


一瞬。


先輩の顔から、


笑顔が消えた。


「まあね」


「もしかして……」


胸元を見る。


二年生。


水城先輩と同学年。


去年までは、


もう少し部員がいた。


でも。


ほとんどが、


辞めた。


「元サッカー部?」


俺が聞く。


先輩は、


少し黙った。


そして。


「元、ね」


そう答えた。


「じゃあ」


思わず、


口から出る。


「もう一回やりません?」


「嫌だ」


即答だった。


「ですよね!」


なんなんだ今日は。


断られてばっかりだ。


先輩は笑う。


「でも」


「?」


「面白いことしてるらしいじゃん」


「面白いこと?」


「陸上のやつとか、ピアノの子とか集めてるって」


もう噂になってるのか。


「何がしたいの?」


先輩が聞く。


俺は少し考える。


「まだ分かりません」


「は?」


「でも」


昨日まで三人だった。


そこへ奏が来た。


サッカーなんて、


ほとんど知らない四人。


それでも。


二対二をした。


走って。


蹴って。


失敗して。


笑った。


「面白いチームにしたいです」


俺は言った。


「なんだそれ」


「俺もよく分かんないです」


先輩は、


また笑った。


「変な一年」


「よく言われます」


先輩が歩き出す。


「あ、名前!」


俺が呼ぶ。


先輩が振り返る。


「教えてください!」


少し間があって。


「相馬」


先輩は言った。


「相馬悠真」


「相馬先輩!」


「勧誘するなよ」


「まだ何も言ってないですよ!」


「顔に書いてある」


そう言って、


相馬先輩は去っていった。


俺はその背中を見る。


黒崎には、


天才と呼ぶなと言われた。


相馬先輩には、


勧誘するなと言われた。


「……」


今日だけで二人に振られてる。


サッカー部の勧誘って、


こんなに難しいのか?


「まあ、いいか」


黒崎も。


相馬先輩も。


嫌だと言われたからって、


それで終わりにするつもりはない。


俺は教室へ戻ろうとして、


ふと思った。


「……相馬先輩って、ポジションどこだったんだろ」


明日、


水城先輩に聞いてみるか。

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