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第五話 〜音とサッカー〜

「本当に来た……」


放課後。


グラウンドに現れた少女を見て、


水城先輩が呟いた。


「来るって言ったから」


天宮奏。


体操服姿。


長い髪を後ろで一つに結んでいる。


その姿は、


いつも音楽室でピアノを弾いている奏とは、


少し違って見えた。


「紹介します」


俺は水城先輩を見る。


「天宮奏。俺がピアノをやめる原因になった――」


「その紹介やめてくれる?」


怒られた。


「で、こっちが水城先輩」


「よろしく!」


水城先輩が手を差し出す。


「よろしくお願いします」


奏が軽く頭を下げる。


「あと隼人は知ってるよな」


「うん」


「よろしく!」


「よろしく」


「俺だけ扱い雑じゃない?」


気のせいだ。


「それで」


奏がグラウンドを見る。


「何すればいいの?」


「見学じゃないの?」


俺が聞く。


「だから見学」


「なら見てればいいじゃん」


「…………」


奏が俺を見る。


「何?」


「神谷君」


「うん」


「私を何のために呼んだの?」


「サッカーやってもらうため」


「じゃあやらせてよ」


「見学じゃなかったの!?」


話が違う。


「見るだけじゃ分からないから」


奏が言った。


「それに」


足元のボールを見る。


「少し興味ある」


「マジ?」


「少しだけ」


「よし!」


思わず拳を握る。


すると。


「蓮、嬉しそう」


横から声がした。


「うわっ!」


振り返る。


白石澪がいた。


「いつ来た!?」


「今」


「なんでいるの?」


「見学」


「お前も!?」


「ダメ?」


「いや、いいけど」


最近、


こいつよくサッカー部にいるな。


「……ふーん」


奏が澪を見る。


「何?」


澪も奏を見る。


「別に」


「?」


なんだ?


一瞬、


妙な空気が流れた気がした。


まあいいか。


「じゃあ!」


水城先輩が手を叩いた。


「せっかくだし、やってみるか!」


*


「まずはボールを止める」


水城先輩と奏が、


十メートルほど離れて向かい合う。


「足の内側で止める感じ」


「内側」


「そう。最初は上手くできなくて普通だから」


水城先輩が軽く蹴る。


コロコロと、


ボールが奏へ向かう。


奏が足を出した。


ポンッ。


「あ」


ボールが足に当たり、


横へ転がっていった。


「…………」


奏が固まる。


「まあ最初はそんなもん!」


水城先輩が笑う。


「もう一回」


奏が言った。


二回目。


ポンッ。


また離れる。


三回目。


今度は少し近くに止まった。


「難しい」


奏が呟く。


「だろ?」


俺が言う。


「神谷君はできるの?」


「まあ、そこそこ」


「じゃあやって」


「え?」


水城先輩が俺へボールを蹴る。


俺は足を出す。


トン。


足元から少し離れた。


「……そこそこ?」


奏が言う。


「うるさいな!」


隼人が笑っている。


「蓮も大して変わんねえじゃん!」


「お前よりマシだ!」


「じゃあ俺も!」


水城先輩が隼人へ蹴る。


「任せろ!」


ポーン!


ボールが三メートルくらい飛んでいった。


「…………」


「…………」


「…………」


「よし!」


「何がよしなんだよ!」


奏が、


小さく笑った。


「もう一回」


水城先輩が蹴る。


奏が止める。


失敗。


「もう一回」


また蹴る。


失敗。


「もう一回」


「天宮、意外と負けず嫌い?」


水城先輩が笑う。


「できないの気持ち悪いので」


「なるほど」


何度も繰り返す。


五回。


十回。


そして。


トッ。


「あ」


ボールが、


奏の足元で止まった。


「できた!」


俺が言う。


「うん」


奏は、


足元のボールを見ていた。


嬉しそうというより、


何かを考えている。


「もう一回お願いします」


「おう」


水城先輩が蹴る。


トッ。


また止まった。


「おお」


もう一回。


トッ。


「……え?」


俺は奏を見る。


急に失敗しなくなった。


「天宮」


水城先輩も気づいたらしい。


「何か分かった?」


「はい」


「コツ?」


「たぶん」


奏は自分の足を見る。


「音が違います」


「音?」


俺が聞く。


奏がボールを軽く蹴る。


コン。


「失敗したときは、もっと高い音がしてた」


「…………」


「ちゃんと止められたときは」


もう一度。


トン。


「こっち」


俺には、


ほとんど同じに聞こえる。


「違う?」


隼人が聞く。


「全然違う」


「マジで?」


「うん」


奏はボールを見つめる。


「当たる場所が違うから、音も違う」


水城先輩が少し考えた。


「じゃあ」


今度は少し強く蹴る。


「これ止めてみて」


ボンッ。


「っ」


奏が足を出す。


ボールが弾かれる。


失敗。


「もう一回」


ボンッ。


また失敗。


「もう一回」


三回。


四回。


五回。


トン。


止まった。


「…………」


俺は思わず、


水城先輩を見る。


先輩も、


俺を見ていた。


何か、


おかしい。


いや。


上手いわけじゃない。


サッカー経験者なら、


もっと簡単にできるだろう。


でも。


覚えるのが、


妙に早い。


「もう一回」


奏が言う。


ボンッ。


トン。


止める。


「もう一回」


ボンッ。


トン。


また止める。


「……できた」


奏が小さく呟く。


その顔を見て、


俺は思い出した。


昔。


ピアノ教室で、


先生の演奏を聴いていた奏。


一度聴く。


そして、


弾く。


違えば、


また聴く。


修正する。


そして、


再現する。


それを、


今。


サッカーボール相手にやっている。


「やっぱり」


俺は呟いた。


「あった」


「何が?」


奏が聞く。


「いや、なんでもない」


まだ分からない。


この才能が、


サッカーでどこまで通用するのか。


でも。


少なくとも。


普通じゃない。


*


「次、蹴ってみる?」


水城先輩が言った。


「蹴る?」


「俺にパス」


奏がボールを置く。


「どうやるんですか?」


「足の内側で押し出す感じ」


水城先輩が一度、


見本を見せる。


トン。


綺麗にボールが転がる。


奏がじっと見ている。


「じゃあやってみて」


「はい」


奏が蹴る。


ポン。


ボールは、


水城先輩から大きく右へズレた。


「…………」


「ドンマイ!」


俺が言う。


「神谷君」


「何?」


「うるさい」


「励ましたのに!?」


奏はボールを拾う。


もう一度。


ポン。


またズレる。


三回目。


四回目。


少しずつ、


水城先輩へ近づいていく。


そして。


「……あ」


奏が止まった。


「どうした?」


「先輩」


「ん?」


「もう一回、蹴ってもらえますか?」


「いいけど」


水城先輩がパスを出す。


トン。


奏は、


ボールではなく。


水城先輩の足を見ていた。


いや。


違う。


耳を澄ませている。


「もう一回」


トン。


「もう一回」


トン。


三回。


奏は目を閉じた。


「何してるんだ?」


隼人が小声で聞く。


「分からん」


四回目。


トン。


奏が目を開ける。


「たぶん分かった」


「何が?」


奏がボールを置く。


助走。


足を振る。


トン。


転がったボールは。


真っ直ぐ。


水城先輩の足元へ届いた。


「おお!」


隼人が声を上げる。


水城先輩がボールを止める。


「もう一回!」


奏が言った。


今度は、


水城先輩が少し左へ動く。


奏が蹴る。


トン。


少しズレた。


でも、


ちゃんと先輩のところへ届く。


「もう一回」


奏の顔が変わっていた。


音楽室で、


ピアノを弾いているときの顔。


集中している。


楽しんでいる。


「奏」


俺が呼ぶ。


「何?」


「楽しい?」


「…………」


奏は少し考えた。


「分からない」


「なんだよそれ」


「でも」


足元のボールを見る。


「面白い」


その一言で、


十分だった。


*


練習が終わった。


「疲れた……」


奏がベンチに座る。


「ピアノより疲れるだろ?」


俺が言う。


「比べるものじゃない」


「どうだった?」


「何が?」


「サッカー」


奏は少し考えた。


「難しい」


「うん」


「思ったところにボール行かないし」


「うん」


「走るし」


「うん」


「神谷君うるさいし」


「それサッカー関係ないだろ」


隣で澪が笑っている。


奏は、


グラウンドを見る。


「でも」


「ん?」


「音がいっぱいある」


その言葉に、


俺は黙った。


「ボールを蹴る音も、人によって違う」


「そうなの?」


「うん」


奏が隼人を見る。


「朝倉君は特に分かりやすい」


「俺?」


「強く蹴ろうとしすぎ」


「なんで分かるの!?」


「音」


「怖っ」


「失礼」


奏は続ける。


「走る音も違う」


スパイクが地面を蹴る音。


ボールが転がる音。


呼吸。


声。


「ピアノとは全然違う」


奏が言う。


「音が、いろんなところから来る」


その目は、


少し楽しそうだった。


俺は聞く。


「じゃあ」


一度、


息を吸う。


「入る?」


「調子に乗らないで」


即答。


「えぇ……」


「今日は見学」


「結構やってたけど」


「見学」


「ボールめっちゃ蹴ってたけど」


「見学」


頑固だな。


奏が立ち上がる。


「じゃあ帰る」


「おう」


数歩歩いて。


奏が止まった。


「神谷君」


「ん?」


振り返る。


「明日も」


奏が言った。


「見学していい?」


一瞬、


意味を理解するのに時間がかかった。


「……もちろん!」


「声大きい」


奏が歩いていく。


俺は、


その背中を見る。


「やったじゃん」


隼人が肩を組んでくる。


「まだ入るって言ってない」


「でも来るんだろ?」


「まあ」


嬉しい。


普通に、


嬉しかった。


「蓮」


今度は澪。


「何?」


「良かったね」


「おう!」


「可愛い女の子が毎日来て」


「そっち!?」


「冗談」


そう言って、


澪も帰っていく。


「……なんなんだ?」


「蓮」


隼人が言う。


「お前、やっぱすげえよ」


「何が?」


「いや」


隼人はニヤニヤしている。


「いろいろ」


「だから何なんだよ!」


水城先輩が、


そんな俺たちを見て笑っていた。


「神谷」


「はい?」


「あと七人だな」


「…………」


現実に戻された。


そうだった。


奏が入ったとしても、


まだ四人。


試合には、


十一人必要。


あと七人。


しかも、


一ヶ月以内。


「次は?」


水城先輩が聞く。


「誰を連れてくる?」


「そうですね……」


頭の中に、


また一人。


昔の顔が浮かぶ。


俺が野球を始めた頃。


同じ年なのに。


俺より遠くへ打ち。


俺より速い球を投げ。


何より。


バットにボールを当てることに関して、


異常だったやつ。


「次は」


俺は言った。


「野球です」


「野球?」


「はい」


あいつは、


奏とは違う。


誘えば見学に来てくれる。


そんなタイプじゃない。


たぶん。


「サッカー?」


そう聞いた瞬間、


鼻で笑われる。


それでも。


俺はもう、


逃げるつもりはなかった。


今度は俺から、


天才に会いに行く。


『打つ天才』。


次の一人は、


俺が野球を諦めた理由だ。

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