第三話 〜廃部寸前のサッカー部〜
「……誰もいなくね?」
放課後。
俺と隼人は、グラウンドの端に立っていた。
「場所ここだよな?」
「たぶん」
目の前にはサッカーゴールが二つ。
ネットはところどころ破れている。
ラインなんてほとんど消えていて、雑草まで生えていた。
昨日。
公園で初めてサッカーをした。
そして俺は、
サッカー部を見学してみようと思った。
ほんの少しだけ期待していた。
もしかしたら。
サッカーなら。
今度こそ俺にも――。
なんて。
そんなことを考えながら来たのに。
「……活動してなくない?」
「だよな」
隼人が頭をかく。
「曜日間違えた?」
「今日って書いてあったぞ」
「場所違うとか?」
「グラウンドってここしかないだろ」
二人で辺りを見回す。
野球部。
陸上部。
テニス部。
それぞれが普通に練習している。
なのに。
サッカーゴールの周りだけ、
不自然なくらい静かだった。
「帰る?」
隼人が言った。
「早いだろ」
「だって誰もいねえし」
「もうちょっと待ってみようぜ」
そのときだった。
「あれ?」
後ろから声がした。
振り返る。
一人の男子生徒が立っていた。
俺たちより背が高い。
胸元の校章を見る。
二年生だ。
肩には大きなバッグ。
その中から、
サッカーボールが見えていた。
「もしかして一年?」
「あ、はい」
「何か用?」
俺と隼人は顔を見合わせる。
「サッカー部の見学に来たんですけど」
俺が言うと、
先輩は固まった。
「……マジ?」
「はい」
「二人とも?」
「一応」
先輩はしばらく俺たちを見ていた。
そして。
「…………よっしゃ!」
突然、拳を握った。
「え?」
「二人!」
「はい?」
「二人来た!」
「いや、まだ入るとは――」
「ちょっと待ってろ!」
先輩はものすごい勢いで校舎へ走っていった。
「……何あれ」
隼人が呟く。
「知らん」
俺たちは取り残された。
*
五分後。
「悪い、待たせた!」
先輩が戻ってきた。
その後ろに、
ジャージ姿の先生がいる。
四十代くらいだろうか。
「こいつらか?」
「はい!」
「一年?」
「そうです!」
なぜ先輩が答えるんだ。
先生が俺たちを見る。
「サッカー経験は?」
「ないです」
俺が答える。
「俺も」
隼人も答える。
先生の表情が、
一瞬だけ曇った。
「そうか……」
分かりやすいな。
「でも大丈夫です!」
先輩が言った。
「何が大丈夫なんですか」
思わず聞いてしまった。
「入ってくれるなら何でもいい!」
「入るって言ってないです」
「頼む!」
「近い近い!」
先輩が顔を寄せてくる。
「ちょっと待ってください」
俺は一歩下がった。
「そもそも、他の部員は?」
「……」
先輩が黙る。
先生も黙る。
嫌な予感がした。
「何人いるんですか?」
先輩が指を立てた。
一本。
「……一人?」
「うん」
「一年生が?」
「いや」
先輩は、
自分を指差した。
「俺」
「…………」
隼人を見る。
隼人も俺を見る。
「帰るか」
「だな」
「待て待て待て!」
先輩が俺たちの肩を掴んだ。
「なんで帰るんだよ!」
「いや、一人って!」
「サッカーできないじゃないですか!」
「だから困ってるんだよ!」
「知らないですよ!」
先生がため息をついた。
「去年までは、もう少しいたんだ」
「去年?」
「三年生が引退して、二年生もほとんど辞めた」
「なんでですか?」
先生は少し黙った。
代わりに先輩が答えた。
「弱かったから」
短い言葉だった。
「ずっと一回戦負け」
先輩はグラウンドを見る。
「練習試合でもほとんど勝てない。人数もギリギリ。設備も良くない」
「それでみんな辞めたんですか?」
「他の部活に行ったり、クラブチームに移ったりな」
「先輩は?」
俺が聞く。
「なんで残ったんですか?」
「俺?」
先輩は笑った。
「サッカー好きだから」
それだけだった。
でも。
なんとなく、
その答えは嫌いじゃなかった。
先生が腕を組む。
「今年、新入部員が集まらなければサッカー部は廃部になる」
「廃部……」
「正確には、同好会扱いになる可能性が高い」
「何人必要なんですか?」
「最低でも試合ができる人数だな」
サッカーは十一人。
今いるのは、
先輩一人。
俺たちが入ったとして、
三人。
「……無理じゃね?」
隼人が言った。
「俺もそう思う」
「お前ら!」
「だってあと八人ですよ!」
「集めればいい!」
「どこから!?」
先輩は胸を張った。
「学校中から!」
「雑すぎる!」
隼人が笑い出した。
俺も呆れていた。
なんだ、この部活。
「とりあえず」
先輩がバッグからボールを取り出す。
「せっかく来たんだ。ちょっとやってみようぜ」
「三人で?」
「三人いれば三人でできる練習がある」
そう言うと、
先輩はボールを地面に置いた。
「俺は二年の水城直人。ポジションはミッドフィルダー」
水城先輩。
足元に置かれたボールを、
軽く蹴り上げる。
ポン。
ポン。
ポン。
右足。
左足。
膝。
肩。
また足。
ボールが、
地面に落ちない。
「おお……」
隼人が声を漏らす。
昨日の小学生とは違う。
明らかに、
上手い。
「経験者なんですか?」
「小一からずっとやってる」
「八年?」
「まあな」
水城先輩はボールを地面へ落とした。
「二人は?」
「昨日初めてやりました」
「昨日!?」
「公園で小学生と」
「マジかよ……」
先輩は頭を抱えた。
「一応聞くけど、運動は?」
俺は隼人を見る。
「こいつは速いですよ」
「へえ」
「50メートル6秒11」
水城先輩の顔が変わった。
「は?」
「昨日は遅かったけど」
隼人が付け加える。
「それ言う必要ある?」
「お前、陸上部行けよ!」
「よく言われます」
「なんでサッカー部来た!?」
「昨日やったら面白かったから」
水城先輩は隼人を見つめる。
「……ちょっと走ってみて」
「いいですけど」
「ゴールまで」
「はい」
「よーい……」
水城先輩がボールを前へ蹴った。
「取ってこい!」
「え?」
隼人が走り出した。
速い。
「…………は?」
水城先輩の口が開いた。
かなり強く蹴ったボール。
それに、
隼人が追いついていく。
そしてゴール手前で追いついた。
「止めろ!」
「どうやって!?」
「足で!」
「こう!?」
隼人が足を出す。
ボールが大きく跳ねた。
そのままゴールラインを越える。
「…………」
「止まらなかったです」
「だろうな!」
俺は吹き出した。
「お前、相変わらずだな」
「じゃあ蓮やってみろよ!」
「なんで俺まで」
「お前は?」
水城先輩が聞いてくる。
「何かやってた?」
「まあ……いろいろ」
「いろいろ?」
「陸上、水泳、野球、ピアノ、将棋……」
「途中からスポーツじゃなくなってるぞ」
「全部すぐやめましたけど」
「なんで?」
「……自分よりすごいやつがいたんで」
水城先輩が首を傾げた。
「それ普通じゃね?」
「ですよね!」
隼人が笑う。
「うるさい」
「じゃあ、お前もやってみろ」
水城先輩がボールを置く。
「何を?」
「適当に俺からボール取ってみて」
「無理ですよ」
「昨日初めてなら無理で当然」
先輩が笑う。
「だからやってみろ」
「……分かりました」
向かい合う。
先輩の足元にボール。
俺は腰を落とす。
「いくぞ」
右。
そう思った。
次の瞬間、
水城先輩が左へ動いた。
「うわっ!」
逆だった。
追いかける。
追いつけないほど速くはない。
でも、
ボールが足から離れない。
右。
左。
また右。
「くそっ」
足を出す。
かわされる。
「蓮! 頑張れー!」
「うるせえ!」
隼人の声が飛んでくる。
水城先輩を見る。
ボールを見る。
足を見る。
どっちだ?
次は――。
右。
俺は先に動いた。
「お?」
当たった。
ボールが少しだけ離れる。
「取った!」
足を伸ばす。
でも。
その直前。
水城先輩の身体が俺とボールの間に入った。
「あ」
そのまま奪い返される。
「惜しい」
先輩が止まった。
「今の何で分かった?」
「何となく」
「何となく?」
「さっき二回、抜く前に右足の向きが変わってたから」
水城先輩が自分の足を見る。
「……見てたの?」
「はい」
「昨日サッカー始めたんだよな?」
「そうですけど」
先輩は少し考えていた。
でも、
すぐに笑った。
「まあいいや!」
軽いな。
*
それから一時間ほど、
俺たちはボールを蹴った。
水城先輩は上手かった。
止める。
蹴る。
運ぶ。
どれも綺麗だった。
でも。
俺が今まで見てきた天才たちとは、
少し違った。
最初から何でもできる感じじゃない。
何千回。
何万回。
同じことを繰り返してきたような動きだった。
「先輩って、上手いですね」
休憩中、
俺が言った。
「まあ八年やってるからな」
「大会とか出てたんですか?」
「小学生の頃からずっと補欠」
「え?」
「中学でもレギュラーになったの去年の最後くらい」
意外だった。
「じゃあ、なんでそんな上手いんですか?」
「練習したから」
即答だった。
「俺、才能ないからさ」
水城先輩は笑う。
「人よりやらないと追いつけないんだよ」
その言葉が、
妙に残った。
俺とは違う。
俺は、
天才を見つけるとやめてきた。
この人は、
天才じゃないと思いながら、
八年間続けた。
「……すごいですね」
「何が?」
「いや」
凄く格好いいと思った。
「で」
水城先輩が立ち上がる。
「どうする?」
「何がですか?」
「入部」
俺と隼人は顔を見合わせた。
「俺入る!」
隼人が言った。
「早っ!」
「面白いし」
こいつ、
こういうところは本当に単純だ。
「神谷は?」
水城先輩が俺を見る。
俺はグラウンドを見る。
ボロボロのネット。
消えかけたライン。
部員一人。
廃部寸前。
普通なら、
入らない。
「……入ります」
「マジ!?」
「ただし」
俺は続けた。
「俺、サッカーが自分に向いてないと思ったらやめるかもしれませんよ」
「いいよ」
水城先輩は即答した。
「それまでに、やめたくなくなるくらい面白くしてやる」
「……自信すごいですね」
「部員一人だった男を舐めんな」
「それ自慢になってないですよ」
水城先輩が笑った。
「じゃあ三人だな!」
三人。
十一人まで、
あと八人。
「ちなみに」
俺は聞いた。
「いつまでに集めないといけないんですか?」
「一ヶ月」
「…………」
「一ヶ月後に地区の予選がある」
「は?」
「そこに出場できなかったら、廃部」
「先に言ってくださいよ!」
「今言った!」
「遅い!」
隼人は横で爆笑している。
「八人か」
俺は呟いた。
「そんな簡単に集まるか?」
隼人が言う。
「サッカー経験者探すしかないだろ」
水城先輩も頷く。
「他のクラスに経験者がいるか聞いてみるか」
「…………」
サッカー経験者。
確かに、
それが普通だ。
でも。
俺の頭には、
別の人間たちが浮かんでいた。
速すぎて、
俺が走ることを諦めたやつ。
水の中で、
俺を置き去りにしたやつ。
一度見ただけで、
教科書の内容を覚えてしまったやつ。
一度聴いただけで、
曲を再現した女の子。
俺が何かを始めるたび、
必ずその先にいた人間たち。
俺が、
天才になることを諦める原因になったやつら。
「……なあ」
俺は言った。
「ん?」
隼人が見る。
「サッカー経験者じゃないとダメなの?」
水城先輩が首を傾げる。
「いや。人数足りないから誰でも歓迎だけど」
「じゃあ」
頭の中に、
何人もの顔が浮かぶ。
「俺、何人か心当たりあるかも」
「サッカーやってるやつ?」
「いや」
俺は笑った。
「たぶん、ほとんどやったことない」
「意味ねえじゃん!」
「でも」
俺は続けた。
「全員、すごいやつだよ」
走るやつ。
泳ぐやつ。
打つやつ。
覚えるやつ。
奏でるやつ。
サッカーとは、
何の関係もない。
だけど昨日、
隼人を見て思った。
『走る』という才能は、
サッカーでも武器になった。
だったら。
他の才能は?
「何考えてんだ?」
隼人が聞いてくる。
「いや」
俺はグラウンドを見る。
少しだけ、
面白くなってきた。
今まで俺は、
天才に出会うたびに逃げてきた。
だったら今度は。
その天才たちを――
こっちに連れてくればいい。
*
「くしゅん!」
音楽室。
一人の少女が、
ピアノの前でくしゃみをした。
「風邪?」
友達が聞く。
「ううん」
少女は首を振る。
そして、
鍵盤へ指を置く。
一度、
音楽室に旋律が流れる。
少女は目を閉じた。
先生がさっき弾いた曲だった。
楽譜は、
見ていない。
「相変わらず気持ち悪いくらい覚えてるね」
「気持ち悪いって言わないで」
少女、
天宮奏。
蓮が小学四年生のとき。
ピアノを諦める原因になった少女。
彼女はまだ知らない。
自分のところへ、
一人の少年がやってくることを。
そして。
「サッカーやらない?」
そんな意味不明な誘いを、
本気の顔でしてくることを。
『音の天才』
天宮奏。
天才、一人目。
彼女とサッカーは、
まだ何一つ、
繋がっていない。
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