第二話 〜サッカーというスポーツ〜
「もう一回!」
公園から男の子の声が飛んでくる。
俺は足元のボールを見た。
さっきは偶然入った。
間違いなく偶然
サッカーボールなんて、まともに蹴ったことすらない。
「蓮、早く蹴れよ」
隼人が急かしてくる。
「うるさいな」
数歩下がる。
さっきより少しだけ真剣にゴールを見る。
距離は――たぶん三十メートルくらい。
さっきは少年に返そうとして蹴ったら、たまたまゴールまで飛んでいった。
なら。
今度は最初からゴールを狙ってみる。
「……この辺か」
助走をつける。
左足をボールの横へ。
右足を振り抜く。
ボンッ!
「おっ」
さっきより強い。
ボールが勢いよく飛んでいく。
まっすぐ。
まっすぐ――
ゴールの、
右へ。
ガシャン!
フェンスに直撃した。
「…………」
「外してんじゃん」
隼人が笑った。
「うるせえ!」
やっぱり偶然だった。
でも。
「兄ちゃん、もう一回!」
少年がボールを拾っている。
「もういいだろ!」
「こっち来てやろうよ!」
「え?」
公園を見る。
さっきの少年以外にも、何人か子どもがいた。
四人。
いや、五人か。
どうやらみんなでサッカーをしていたらしい。
「一人帰っちゃったから人数足りないんだ!」
「知らないよ!」
「お願い!」
少年が両手を合わせる。
俺は隼人を見る。
「だってさ」
「なんで俺を見るんだよ」
「行くだろ?」
「まあ、暇だし」
「行くのかよ」
隼人はさっさと公園へ歩いていく。
「澪は?」
俺が振り返る。
「見る」
「帰らないの?」
「面白そうだから」
「何が」
「二人がサッカーするところ」
そう言って澪も公園へ向かった。
「……帰りてえ」
誰にも聞こえないように呟いて、
俺も二人を追いかけた。
*
「じゃあ三対三ね!」
さっきの少年が言った。
小学生五人。
俺。
隼人。
人数が合わないので、一人は休憩しながら交代するらしい。
澪はベンチに座っている。
「ルール分かる?」
「手使ったらダメ」
俺が答える。
「それだけ?」
「ゴールに入れたら一点」
「まあ、それだけ分かればいいや!」
雑だな。
俺と隼人は別チームになった。
俺のチームには、小学六年生だという二人。
隼人のチームには、さっきボールを蹴ってきた少年と、もう一人。
「先に三点取った方が勝ちな!」
「はいはい」
正直、
遊びだと思っていた。
小学生相手だ。
サッカー経験はないけど、身体能力ならさすがに俺たちの方が上だろう。
そんなことを考えていた。
「じゃあ――スタート!」
開始三秒。
俺は自分の考えが間違っていたことを知った。
「え?」
目の前からボールが消えた。
いや。
違う。
少年が右へ蹴ったと思った瞬間、
左へ抜けていった。
「ちょっ――」
身体が反応しない。
そのまま俺の横を抜けていく。
「兄ちゃん! そっち!」
味方の声。
「分かってる!」
追いかける。
足なら負けない。
距離が縮まる。
よし。
追いつける。
そう思った瞬間、
少年がボールを横へ蹴った。
「え?」
誰もいない方向へ。
何やってんだ?
そう思った。
次の瞬間。
そこへ隼人が走り込んできた。
「隼人!」
「お?」
本人も驚いている。
でも、
ボールは隼人の前へ転がっている。
「蹴れ!」
少年が叫んだ。
「こうか?」
隼人が適当に足を振った。
ボンッ!
ボールはゴールから大きく外れ、
フェンスへ突き刺さった。
「…………」
「下手くそ!」
俺は思わず叫んだ。
「しょうがねえだろ! 初めてなんだから!」
「兄ちゃん、今の決めてよ!」
「無茶言うな!」
小学生に怒られている隼人を見て、
少し笑ってしまった。
でも。
今のは何だ?
俺はさっきのプレーを思い返す。
少年は隼人を見ていた。
だからパスを出した。
それは分かる。
でも、
隼人があそこまで速く走ってくることまで分かっていたのか?
いや。
たぶん違う。
隼人が普通の速さだったら、
ボールの方が先に行っていた。
たまたまだ。
「もう一回!」
試合が再開する。
数分後。
「隼人! 走れ!」
少年が叫んだ。
「どこに!?」
「前!」
「前ってどこだよ!」
「いいから!」
隼人が走る。
速い。
さっきまで団子みたいに固まっていた全員を、
一瞬で置き去りにした。
「は?」
小学生たちが止まる。
少年が前へボールを蹴る。
でも、
明らかに強すぎる。
誰も追いつけない。
普通なら。
「おっ」
隼人だけが、
追いついた。
「マジかよ……」
ボールを追い越しそうになりながら、
なんとか止める。
そしてゴールを見る。
「今度こそ!」
ボンッ!
ガシャン!
また外した。
「だから下手くそ!」
「うるせえ!」
俺は笑った。
笑ったけど。
なんだ、これ。
サッカーは下手だ。
ボールを止めるのもぎこちない。
蹴る方向もめちゃくちゃ。
なのに。
速い。
ただそれだけで、
隼人がボールを持つたび、
何かが起きそうになる。
『走る天才』。
サッカー経験ゼロ。
技術もない。
ルールすらよく知らない。
それでも、
あいつの才能は、
ここでも使える。
「兄ちゃん!」
突然ボールが飛んできた。
「うわっ!」
慌てて足を出す。
ポン。
ボールが足元に落ちた。
「あれ?」
思ったより綺麗に止まった。
「兄ちゃんうまいじゃん!」
「いや、たまたま――」
言いかけて、
前を見る。
一人いる。
抜けるか?
少年が向かってくる。
右へ行く。
そう見せて、
左。
「あ」
抜けた。
「おお!」
味方の小学生が声を上げる。
自分でも驚いた。
なんとなく、
できた。
次の一人が来る。
今度はさすがに無理だ。
そう思って、
横を見る。
味方がいる。
蹴る。
ボールが転がる。
「ナイス!」
味方が受け取った。
「…………」
なんだろう。
できる。
上手いわけじゃない。
思ったところから少しズレる。
ボールだって足元から離れる。
でも、
なんとなくできる。
走ることをやっていたから、
身体は動く。
野球をやっていたからなのか、
飛んでくるボールもそこまで怖くない。
水泳をやっていたからなのか、
少し走った程度じゃ疲れない。
よく分からない。
ただ。
楽しい。
「蓮!」
味方からボールが返ってくる。
ゴールを見る。
今度は近い。
さっきよりずっと。
「いけ!」
誰かが叫んだ。
右足を振る。
ボンッ!
ボールがゴールへ飛ぶ。
入る。
そう思った。
ガッ!
「え?」
隼人だった。
いつの間に。
俺が蹴ったボールの前へ、
足を出していた。
「いってぇ!」
「お前どっから来た!?」
「知らねえよ! ボール見えたから走った!」
「そんな理由で間に合うなよ!」
ボールが転がっていく。
小学生たちが一斉に追いかける。
俺も追う。
隼人も追う。
速さでは勝てない。
だったら。
俺は一瞬だけ考えた。
隼人はボールしか見ていない。
なら、
たぶんこっちから行く。
進行方向を変える。
「え?」
隼人より先に、
転がったボールへ触った。
「なんで!?」
隼人が驚く。
「お前が分かりやすいんだよ!」
「はぁ!?」
ボールを前へ蹴る。
ゴールが見えた。
そして。
ボンッ!
今度こそ、
ボールがゴールへ入った。
「よっしゃ!」
思わず声が出た。
たった一点。
しかも、
小学生との遊び。
なのに。
妙に嬉しかった。
*
「疲れたー!」
試合が終わると、
隼人が芝生に寝転がった。
「お前走りすぎなんだよ」
「サッカーって疲れるな」
「陸上やってるやつが言うな」
結局、
俺たちは何試合かやった。
最初はめちゃくちゃだった。
でも、
やっているうちに少しずつ分かってきた。
ボールを止める。
蹴る。
運ぶ。
走る。
相手を見る。
味方を見る。
空いている場所を見る。
サッカーって、
思っていたより忙しい。
「兄ちゃんたち、また来てよ!」
小学生が言った。
「気が向いたらな」
俺が答える。
「足速い兄ちゃんも!」
「俺?」
「シュートめっちゃ下手だけど!」
「お前ら覚えとけよ!」
小学生たちが笑う。
俺も笑った。
公園を出る。
隼人が隣を歩く。
「サッカー面白かったな」
「まあな」
「俺、向いてるかも」
「シュート全部外してたけどな」
「うるせえ」
少し後ろを、
澪が歩いている。
「どうだった?」
俺が聞いた。
「何が?」
「見てたんだろ」
「うん」
「俺、結構できてなかった?」
ちょっと期待しながら聞いた。
澪は考える。
「普通」
「おい」
「ちょっと上手い普通」
「なんだよそれ!」
隼人が爆笑する。
「じゃあ俺は?」
「すごく速い下手くそ」
「ひどくない!?」
今度は俺が笑った。
でも、
澪が続けた。
「でも面白かった」
「何が?」
「隼人って、サッカー下手なのに速いだけで全然違うんだなって」
「だろ?」
なぜか隼人が得意げになる。
「褒めてない」
「え?」
澪は俺を見る。
「蓮も」
「俺?」
「上手くはないけど、いろんなことできてた」
「……それ褒めてる?」
「一応」
なんだよ、一応って。
でも。
俺は少しだけ考えた。
隼人は、
走る天才だ。
走ることなら、
俺は絶対に勝てない。
でも今日、
俺は隼人からボールを取った。
速さで勝ったわけじゃない。
隼人がどこへ走るのか考えて、
先に動いただけ。
もし。
走ることだけじゃなくて。
考えること。
見ること。
蹴ること。
止めること。
身体を動かすこと。
全部を使うのが、
サッカーだとしたら。
「……なあ、隼人」
「ん?」
「サッカー部って、見学いつだっけ?」
隼人が立ち止まった。
「え?」
「いや」
俺は前を向く。
胸の奥が、
少しだけざわついていた。
今までとは違う。
陸上なら、
速いやつが強かった。
水泳なら、
速く泳ぐやつが強かった。
勉強なら、
頭のいいやつが強かった。
でも。
サッカーは?
速いだけじゃダメだった。
隼人は誰より速いのに、
シュートは一本も入らなかった。
逆に俺は、
一番速くなくても点を取れた。
だったら。
このスポーツなら――
「明日じゃなかった?」
隼人が言った。
「……行ってみるか」
「マジで?」
「見学だけ」
「じゃあ俺も行く!」
「なんでだよ」
「面白かったから!」
隼人が笑う。
俺は空を見上げた。
サッカー。
今まで、
興味なんてなかった。
だけど。
もしかしたら。
本当に、もしかしたら。
ここなら俺も――
その瞬間。
頭の中に、
いつもの言葉が浮かんだ。
天才になれるかもしれない。
そして翌日。
俺は知ることになる。
サッカーの世界にも当然、
『天才』はいる。
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