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8.tre ĉarma、素敵な、好ましいもの

「Bone! Leciono du! Hodiaŭ ni lernos multajn vortojn!」

 ユージアの部屋に戻ると、ラティアは目をきらきらさせながらテーブルに紙を広げた。教師の顔だ。指を一本立てる。

「Unue... korpo!」

 目、耳、口を指差した。

「Okulo! Orelo! Buŝo!」

 それからユージアのフードの下、角のあたりを指差して首を傾げる。角が無いニンゲンにも角を指す単語はあるのだろうか。

「Kaj... tio? Kiel via popolo nomas tion?」

 ラティアが自分の頭の上で両手を角の形にして、くるんと巻いてみせる。巻き角の真似だ。

 ユージアはフード越しに自分の角に触れた。

「Tion?」

「Jes, jes! Tio!」

 ラティアが嬉しそうに頷き、紙にさらさらと巻き角の絵を描く。意外と上手い。その下に文字を書き込んだ。

「Ni diras... korno. Kor-no.」

 ラティアが自分の頭の上で角の形を作りながら繰り返す。kornoが、角。tionじゃない。

 ラティアがペンの先でユージアの角の絵をつんつんと突き、それから自分の頭を指差した。

「Korno... kiel via popolo nomas tion?」

 何かを聞いている。期待に満ちた好奇心で目が輝いている。子供がきれいな石を見つけた時の、純粋な輝きだ。

 ……この人は、怖くないんだろうか。さっき壁に貼ってあった、あの紙。ぼくと似た角がある魔物の絵。あれを見たはずなのに。

 でもラティアは変わらず笑っている。角の絵をつつき、促すように。

「つの……」

 ユージアが自分の角に触れて、小さく呟く。ラティアがぱっと目を見開いた。

「Tsu...no?」

 ラティアが真似をする。発音は少し違うけれど、一生懸命繰り返している。紙にニンゲンの文字で音を書き留めた。

「Tsuno... korno! Tsuno estas korno!」

 嬉しそうに紙をぱたぱたと振る。それから自分の耳を指差した。

「Kaj... ĉi tio? Orelo! Via vorto?」

 耳。フードの隙間からユージアの毛の生えた耳をじーっと見つめている。手を伸ばしかけて、はっと止まった。触りたそうな顔を必死に我慢しているのがまるわかりだ。

「Ho... pardonu! Mi nur... ili estas tre... tre ĉarmaj...」

 ラティアが顔を赤くして両手を引っ込めた。でも目線はまだユージアの耳に釘付けだ。ふわふわの毛に覆われた耳が、部屋の空気の流れを拾ってぴくりと動く。

「……Ĉu mi povas tuŝi?」

 ラティアが祈るように両手を合わせた。教師の顔もどこへやら、もふもふを前にした少女の顔になっている。

「Treĉarma?」

 ラティアが何度か使った言葉だ。ユージアが首を傾げて繰り返すと、ラティアの頬がさらに赤くなる。

「Ho! Tre ĉarma... estas...」

 ラティアが紙にぱぱっと描く。花。星。その隣で、巻き角のある雲のようなモコモコがにっこり笑っている。全部に丸をつけて、胸に手を当てて幸せそうな顔をしてみせた。

「Ĉarma! Bela! Agrabla! Juzia estas tre ĉarma!」

 ユージアを指差して、手元の絵を指差して、同じだと言わんばかりに頷く。

 ……好ましいもの。花と星とぼく。

 ラティアがまた両手を合わせて、ユージアの耳の方に視線を送っている。さっきの問いの答えを待っているのだ。どうしても触りたいらしい。

 触られて困ることはない。ニンゲンに触られるのは初めてだけど。

 ラティアの目に悪意はない。ただ、ふわふわが好きな女の子の目だ。

「...Ne?」

 恐る恐る尋ねるラティア。指先がそわそわしている。

 落ち着かない様子のラティアを見ながら、ユージアはラティアと自分の耳を順番に指差した。

「Latia, mi orelo, tre ĉarma...」

 照れ笑いしながら頭を寄せた。

「Jes...」

「!!」

 ラティアの目が真ん丸になる。口元に両手を当てて、小さな悲鳴のようなものを漏らした。

「Juzia mem diras ke la oreloj estas ĉarmaj...!? Kaj... jes!? Mi povas tuŝi!?」

 許可を得た瞬間、ラティアの指がそっとフードに入り込み、ユージアの耳に触れた。ふわふわの毛の上を、まるで壊れ物を扱うように撫でる。

「Molaaaa...」

 ラティアが溶けた。教師役の威厳もへったくれもない声で、ふにゃりと笑みを零す。指先がモコモコの毛を梳いて、耳の付け根あたりをくすぐるように触れた。

「Kiel nubeto... kiel malgranda ŝafido...」

 ŝafido。ジェドがよく言う言葉だ。ユージアにはまだわからないけれど、ラティアの顔が幸福そのものなので悪い意味ではないのだろう。

 指が耳の先端まで辿って、またゆっくり戻る。気持ちいい。ミルアに撫でられる時みたいだ。そう思い出した瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。

「...Juzia?」

 ラティアの手が止まった。ユージアの表情に何か見つけたらしい。

「Ĉu vi... malgajas?」

 声が急に優しくなる。撫でる手がゆっくりと耳から離れて、ユージアの頭の上に移った。ぽん、と軽く。リューズがさっきやったみたいに。

 もっと撫でて欲しくて頭を寄せる。

 ユージアの頭がラティアの掌にすり寄る。甘えるような仕草に、ラティアは一瞬息を呑んだ。それから、ふっと笑って、手を再び動かし始めた。

「Ho... nu, se vi tiel alkroĉiĝas al mia mano, mi tute ne povas ĉesi.」

 呆れたような、でもどこか嬉しげな声色。ラティアの細い指が黒い巻き角の根元を避けながら、柔らかな毛を梳いていく。ゆっくり、ゆっくり。一定のリズムで。


 ユージアは言葉を教わりながら、休憩したり、ラティアのお喋りを聞いたりしながら一日を過ごした。その間も、フワフワした毛並みを離し難いのか、ラティアの手が時折思い出したかのようにユージアの頭に戻ってきた。

 窓の外から、通行人の声がかすかに聞こえる。日が暮れる前にラティアが灯したランプの炎が、ちりちりと揺れる。

 こんこん。

「Hej, Latia. Ĉu vi ankoraŭ estas maldorma?」

 扉越しの低い声。リューズだ。

「Ha, Rjuzu! Eniru.」

 ラティアが慌てて手を離した。名残惜しそうに自分の指先を見つめてから、立ち上がって扉を開ける。

 リューズが片手に湯気の立つ大皿を持って入ってきた。焼いた肉と野菜の盛り合わせだ。部屋に漂う香草の匂い。

「Vi ankoraŭ ne manĝis, ĉu ne? Mi alportis tion antaŭ ol la kuirejo fermiĝos.」

 リューズの視線がユージアに向く。椅子の上にちょこんと座っているユージアのフードは大きくずれ、髪は、片耳の近くだけ少し乱れていた。

「...Ŝajnas ke vi bone interkonsentas.」

 リューズの口角が上がっている。

 ユージアはリューズの手元に目を向けた。食べるなら一緒がいい。ニンゲンだって、食事は大勢の方が楽しいはずだ。

「Rjuzu, ni mangi...?」

「Hmm? Ni mangi...」

 リューズがユージアの指差すテーブルを見て、それから大皿を見て、にっと笑った。

「Ni manĝu kune? Jes, kompreneble.」

 リューズがテーブルに皿を置いて、椅子を引いた。ユージアの向かいに座る。

「Hooo! Juzia uzis frazon! Ni manĝi! Li volis diri "ni manĝu kune"!」

 ラティアが感激して手を叩いている。先生としての誇りが爆発しているらしい。

「Bona instruistino, ĉu ne?」

「Kompreneble! Mi estas la plej bona!」

 ラティアが胸を張る。リューズが笑いながらフォークをユージアに差し出す。

「Ni manĝu.」

 ni manĝu。みんなで食べよう。動詞の形が少し違う。manĝi、manĝu。語尾が変わると意味が変わるのかもしれない。でも今は、温かい湯気と香草の匂いが鼻をくすぐっている。難しいことは後回しだ。

 三人でテーブルを囲む。リューズの大きな体がぎしりと椅子を軋ませて、ラティアが肉を頬張る。ユージアもフォークを握った。

「Ĵedo?」

 足りない一人を探して扉を指さすと、リューズがフォークを置いて、少し考えるように首を傾げた。

「Li esploras ion en sia ĉambro. Li havas sian propran ritmon.」

 リューズが肩をすくめる。それからユージアの方を見て、少し付け足すように。

「Kiel ĉiam, ne zorgu.」

「Ĵedo ĉiam maldormas ĝis malfrue. Kiam li eklegas ion, li tute ne povas ĉesi.」

 ラティアが呆れたような顔をした。

「Li estas tia homo. Sed li ja zorgas, sia-maniere.」

 ラティアがユージアに向かって、ジェドの仏頂面の真似をしてみせた。腕を組んで、眉をしかめて。

「"Ne demetu la kapuĉon, ŝafido!"」

 それからくすっと笑う。

「Vidu? Li zorgas.」

 しゃふぃど。まだ出てきた。この言葉は何だろう。ラティアがさっき描いた絵を見返す。もこもこの雲みたいな何か、角のある小さな……羊?

 リューズが肉の最後の一切れを口に放り込み、立ち上がった。

「Bone, mi kontrolos ĉu Ĵedo bezonas helpon. Vi du... dormu frue.」

 扉に向かいながらリューズが振り返って手を振った。

「Bonan nokton, Juzia.」

 首を傾げながら手を振り返してラティアを見つめた。

「bonan nokton?」

「Bonan nokton! Tio signifas...」

 ラティアが両手を合わせて頬に当て、目を閉じる仕草をした。すうすう、と寝息の真似。

「Dormi! Bonan nokton estas... "dormu bone!"」

 それからぱちっと目を開けて微笑んだ。窓の外はもうすっかり暗い。ランプの灯りがラティアの水色の髪をぼんやりと照らしている。

「Juzia, vi dormos ĉi tie.」

 ラティアが寝台を指差す。毛布がふかふかに重ねてある。それから自分を指差して、隣の部屋の方を示した。

「Mi dormos apude. Se io okazos, frapu la muron. Tiel...」

 こんこんこん、と壁を三回叩いてみせる。

「Mi tuj venos. Komprenas?」

 ユージアの顔を覗き込む。大丈夫?という顔。優しい目。お姉さんの目だ。

「Bonan nokton, Juzia.」

 ラティアがユージアの頭をぽんと撫でて、ランプの灯を一つ残して部屋を出て行った。扉がぱたんと閉まる。

 一人になった部屋。毛布の匂いは知らない匂い。でも温かい。窓から覗く月は結界の中から見ていた月と、同じ形をしていた。

「Bonan nokton, Latia.」

 ユージアが小さな声で言った。壁の向こうのラティアに届くはずもないけれど、言わずにはいられなかった。

 毛布にもぐりこむ。ふかふかだけど、いつもの寝床とは違う。カシューの翼がかぶさってくることもないし、ミルアが寝ぼけて羽根をばさばさやることもない。

 丘から転がり落ちた時のカシューの顔を思い出す。大丈夫。ミルアが一緒にいる。長老のところに行ったはずだ。きっと方法を見つけてくれる。ぼくもこっちで頑張る。

 ユージアは毛布を顎まで引き上げて、窓の月を見つめた。目を閉じる。

 ぼくは弱い。竜とグリフォンの友達と違って、ただの羊だ。戦えない。角は飾りだし、このモコモコは何の役にも立たない。でも。

 今日、たくさん言葉を覚えた。mi、ni、li、ŝi、vi。manĝi、trinki。korno。bonan nokton。

 明日はもっと覚える。もっともっと。帰り方を聞けるくらい、たくさん。

 ……bonan nokton、カシュー。ミルア。

 意識が溶けるように沈んでいく。知らない町の、知らない宿の、知らない毛布の中。ユージアは眠った。

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