5.ŝafidoって何?
知らない部屋の、知らない匂い。一瞬どこにいるのかわからなくて、心臓が跳ねた。昨日のことは全部、夢じゃなかった。
窓から差し込む光は白っぽくて、アイレアの朝陽みたいに金色じゃない。外からはニンゲンたちの生活の音や喧騒が聞こえてくる。
戸惑うユージアの耳に、部屋の扉がこんこんと鳴る音が届いた。
「Juzia? Ĉu vi jam vekiĝis? Matenmanĝo!」
ラティアの明るい声。何を言っているのかさっぱりわからない。でも朝だし、呼びに来てくれたということは、起きろってことだ。
扉が薄く開いて、水色の髪が覗く。ユージアの顔を見て、ぱあっと笑った。
「Vi aspektas vigla! Venu malsupren, mi havas panon kaj mielon por vi!」
何か色々言っている。手振りで下を指差して、口をもぐもぐさせる仕草。食べる、きっと朝ごはんだ。
昨日のように角を隠して階段を降りると、リューズが既にテーブルについていた。湯気の立つカップを片手に、地図らしきものを広げている。ユージアの姿を認めると、軽く手を上げた。
「Bonan matenon, Juzia.」
ジェドの姿はない。テーブルにはパンと、蜂蜜、チーズの塊が並んでいる。ユージアの分も用意されているらしかった。
リューズが地図をユージアの席に寄せ、森林のエリアを大きな手で大雑把に示す。
「Juzia, kie bariero? Kie via hejmo?」
リューズの指が地図の広大な森の上を泳ぐ。それから手のひらを壁のように立てて、ぱん、と弾く仕草。昨日ユージアが結界に弾かれた時の再現だ。そして首を傾げて、ユージアの目を覗き込む。
結界のことを聞いているんだ。ユージアは指で結界の外周をなぞってみせた。ユージアの指が地図の上を滑る。結界の外周を、ぐるりと。円を描くように。
リューズの目が見開かれた。驚いたように地図から顔を上げてユージアを見る。
「...Tiel profunde?」
ユージアが描いた線を地図に書き込み、リューズは顎に手を当てた。難しい表現で地図を睨んでいる。
階段から足音。ジェドが降りてきた。寝癖のついた黒髪のまま、リューズの隣に滑り込んで地図を覗く。
「Kio? ...Ĉu la bariero troviĝas nur en la plej profunda parto de la arbaro? La distanco mem ne estas tiom granda... atingi la barieron rekte en tiu nebulo, kaj eĉ hazarde... absolute neeble. Ĉu nia hieraŭa hazardo... estis vere nur hazardo?」
ペンだこのあるジェドの指が小さな円をなぞり直す。眉間に皺を寄せて、何か考え込んでいる。頭が回転しているのが、表情から読み取れた。
「Rjuzu. Se tia antikva bariero funkcias en la centro de tiu vasta arbaro... simpla reiro tien nenion solvos. Eble la tuta arbaro, inkluzive de la nebulo, funkcias kiel parto de la magia sistemo. Ni nepre bezonas informojn pri ĝia interna mekanismo.」
ジェドの話を聞いていたリューズがユージアの方を向く。
「...Juzia.」
リューズの手が結界をさし、それから鍵を開ける仕草をした。どうやって入る、と聞いているらしい。わからない。外から入る方法なんて、昨日まで考えたこともなかったのだ。中にいる時だって、外に出るなんて想像もしてなかった。カシューとミルアが長老のところへ行ってくれている。きっと帰る方法がある、はず。
ユージアは首を横に振ることしかできなかった。
「...Ĝi ne scias tion. Kompreneble.」
ジェドがため息をつく。でも昨日のような苛立ちではない。ただ事実を確認しただけ、という声色だった。
カシューとミルアに会いたい。胸の奥がきゅっと締まる。パンを千切る手が止まった。昨日カシューが結界を叩いていた音が、まだ耳の奥に残っている。どん、どん、どん。今頃、長老に怒鳴りつけているんだろうな、カシュー。
ラティアがユージアの顔を覗き込んだ。しょんぼりした表情を読み取ったのか、パンに琥珀色の蜂蜜をたっぷり塗って差し出してくる。
「Juzia? Ne malĝoju... ni helpos vin, bone?」
優しい声。意味はわからないけど、優しいのはわかる。
リューズが地図を畳みながら、何かを決めたような顔で立ち上がった。
「Ĵedo. Ni iru al la Gildo. Eble troviĝas informoj pri antikvaj barieroj.」
「Gildo... bone. Sed la Akademio certe havas pli. Mi skribos leteron.」
ジェドが懐から紙とペンを取り出す。さらさらと何かを書き始めた。
「Juzia.」
リューズがユージアの目を見て、結界の方向を指差す。それから自分たちを指差して、力強く頷いた。
蜂蜜のついたパンを齧る。甘い。ミルアのタルトとは違う甘さだけど、悪くない。大丈夫。カシューとミルアも動いてくれてる。このニンゲンたちも、敵じゃないみたいだ。きっと帰れる。
ユージアは少しだけ笑ってみせた。
「ありがとう」
その言葉の意味はニンゲンたちには届かない。でもユージアの笑顔は、言語の壁なんか軽々と飛び越えたらしい。
「Ĝi ridetas! Rjuzu, rigardu, ĝi ridetas al ni!」
ラティアが両手を胸の前で組んで、蕩けそうな顔をしている。水色の髪が興奮で揺れた。
「Heh...」
リューズの口元がふっと緩む。日焼けした頬に浮かんだのは、穏やかな微笑みだった。テーブルを回ってユージアの隣に来ると、外套のフードを軽く整えてくれた。
「Ni iru, Juzia. Gildo.」
リューズが立ち上がり、入口の方を指差す。一緒に来い、という仕草だ。
「Necesos du tagoj, por ke la letero alvenu al la Akademio. Dume la Gildo sufiĉu.」
ジェドが紙を封筒に滑り込ませながら席を立つ。ユージアの方をちらりと見て、その視線が、ほんの一瞬だけ柔らいだ気がした。気のせいかもしれないけど。
「...Ne perdiĝu, Ŝafido.」
ジェドが先に扉を開けて外へ出る。シャフィード。昨日も言っていた単語だ。何の意味かわからないけれど、少なくとも今の声には毒がなかった。
外套をぎゅっと握りしめて、椅子から飛び降りる。三人の後について、朝の町へ踏み出した。




