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39.約束は約束

 ざわめく群衆の視線を浴びながら、ユージアは深呼吸した。

 大きく息を吸う。みんなに聞こえる大きな声が出るように。

「Mi...mi estas... Mi estas Juzia! Via Amiko!」

 声の震えなんか気にしない。前に出て、人間たちの視線の中に身を晒す。大きな巻き角、モコモコの毛、隠すものは何もない。ぼくは、ぼくだ。

 沈黙が一瞬落ちた。何十もの目がユージアを見つめている。

「Juzia?」

 最初に声を出したのは、前列にいた、エプロンをした女の人だった。その人がゆっくりと微笑んだ。

「Ĝi...estas infano?」

「Rigardu tiujn kornojn... kaj tiujn okulojn. Ĝi estas bela...」

 囁きの空気が変わっていく。

「Amiko? Vi... vere estas nia amiko?」

 小さな女の子が人混みから飛び出した。母親が止めようとしたが間に合わなかった。走り寄ってきた女の子がユージアの前に立って見上げている。怖がってはいない。目がきらきらしている。

 ラティアが息を呑んで見守っていた。

「……おい」

 カシューの尾がユージアを止めようとして、固まった。カシュー自身がこの空気を壊してはいけないと感じたのだ。

 リューズが静かに頷いた。ユージアに向けて。大丈夫だ、と。

「……ユージア」

 ミルアが小さく笑った。誇らしげに。

「あなたらしいわ」

 ニンゲンたちの目に映るこの姿は化け物じゃない。角があって、毛がモコモコしてて、言葉がたどたどしくて、仲間に囲まれた、ただのちょっと変わった男の子だ。

 ユージアはしゃがんで女の子と視線を合わせた。

「Jes. Mi estas amiko.」

 女の子がユージアの角に手を伸ばした。小さな指先が巻き角の溝をなぞる。くすぐったい。

「Vi estas varma...!」

 女の子が目を丸くした。冷たい石だと思っていたのだろう。角は生きている。体の一部なんだから、温かくて当然だ。

 女の子がくすくす笑った。それだけで周囲の空気がほどけた。

「Rigardu... li ne estas danĝera...」

「Kiel ŝafido. Li aspektas kiel ŝafido!」

 笑い声が混じり始めた。緊張が溶けていく。一人、また一人と近づいてくる。恐る恐る。でも確かに。

「……なんだこれ」

 カシューが翼を畳んで居心地悪そうに立っていた。民衆の視線がカシューにも向いている。黒い翼、黒い角、鋭い爪。明らかに怖い見た目だ。

「...Kaj tiu nigra?」

「ッ……」

 カシューが身構えた。尾がビクッと跳ねる。

「Li estas amiko de Juzia, ĉu ne?」

 女の子がユージアの隣からカシューを指差した。まっすぐな目で。

「Do li ankaŭ estas nia amiko!」

「…………」

 カシューの尾がしおしおと下がった。何と言っていいかわからない顔だ。助けを求めるようにミルアを見た。ミルアは口元を隠して肩を震わせ笑っている。

「カシュー、怖い顔しないの。子どもが見てるわよ」

「してねえ……!これが地顔だ……!」

「Terure.」

 ジェドがぼそっと呟いた。カシューが振り向いて睨みつけ、ジェドが肩を竦めた。

 リューズが笑った。声を上げて。久しぶりに聞く、何の翳りもない笑い声だった。

「Ni iru hejmen, amikoj.」

 リューズがユージアの肩に手を置いた。大きくて温かい手だ。

「Ni ĉiuj.」

 角の奥がじんわりと温かい。ユージアの手の中にはまだ護符から解放した魔力の残滓が残っている。誰かの欠片。名前も知らない、遠い昔の魔人が残した気配。

 ジェドがリューズの隣に並んだ。手を目元に寄せ、いつもならそこにある眼鏡に触れようとして、大きくため息をついた。

「Hejmen, li diras. Bele. Sed unue... kie diable ni dormos ĉi-nokte?」

「Ha ha... bonan demandon.」

 リューズが頭を掻いた。血が固まった髪がぼさぼさだ。

「Mi konas lokon! La preĝejo akceptos nin. Pastro Maren ŝuldas al mi favoron.」

 ラティアが得意げに胸を張り、それをジェドが半目で見た。

「Vi kolektas ŝuldojn kiel aliaj kolektas monerojn.」

「Ĝi estas utila hobio!」

 ザンダが人々に取り囲まれたまま、地面に膝をついている。騎士たちは武器から手を離している。もう誰も戦わない。終わったのだ。

 カシューがユージアの後ろで翼を広げ、ユージアの肩を覆った。守るためじゃなく、ただそうしたかっただけのように。

「……腹減った」

「あなたいつもそれね」

「うるせ。戦ったら腹も減るだろ」

 ミルアが呆れたように笑った。それからジェドの方をちらりと見た。庇うように曲げた手の、袖の焦げ跡。本調子じゃないまま放った魔法が焦がした跡だ。

「……ジェド。あなたも治療してもらいなさい。無茶してたでしょう」

 ジェドが一瞬止まり、ミルアの方を見て、そのまま目を逸らした。

「...Estas nenio.」

「嘘おっしゃい。どこか痛いんでしょう」

「...Kiel vi scias tion?」

「呼吸が浅いもの。見ればわかるわ」

 ジェドが黙った。

 ユージアは二人のやりとりに目を丸くした。違う言葉なのに通じ合ってる。顔を見て声を聞けばわかるとでも言うように。

 リューズがユージアの方を振り返った。穏やかに微笑んで。

「Juzia. Dankon.」

 短い言葉だ。リューズの目が語っている。ありがとう。ユージアがやったこと。飛び出したこと。護符を砕いたこと。ここにいること。全部に対してのありがとう。

 女の子がユージアの手首のモコモコを握っている。離さない。母親が困った顔をしている。

「Ĉu vi revenos? Promesu!」

 訴えかける様子に、ユージアは微笑み返した。

「Jes?」

 女の子がユージアの手をぶんぶん振った。嬉しそうに。

「Li promesis!! Panjo, la ŝafido promesis reveni!」

「Milda... lasu lin...」

 母親が女の子の手を引き剥がそうとしている。ミルダと呼ばれたその子の小さな指は、意外と頑固だ。

 ラティアが母親に何か話しかけている。母親の表情が和らいでいく。ラティアの笑顔は人を安心させる力がある。才能だ。

「Ne zorgu, ŝi estas bona. Ili ĉiuj estas bonaj.」

 ミルダがようやく手を離した。ユージアの手首の毛が乱れている。

「Ĝis revido, Juzia!」

 母親に引かれていくミルダを見つめるユージアの隣に、リューズが座り込んだ。

「Ŝi demandis ĉu vi revenos. Vi diris jes.」

 リューズがユージアを見上げて片目を瞑った。

「Promeso estas promeso, Juzia.」

 ユージアはリューズの顔を見て目を丸くした。revenos、それから、約束……?

「また来るって約束しちゃったわね」

「は?ここに?人間の町に?」

 カシューの尾が跳ねた。

「来ねえよ。二度と来ねえ。こんなとこ」

「あら。それはユージアが決めることでしょう」

「……ッ」

 カシューが口をつぐんだ。反論できない顔だ。

「Promeso, estas, promeso...」

 もう、おかしくて、おかしくて、ユージアはリューズにしがみついて笑った。顔を埋めて、声を上げて、止まらない。おかしくて、嬉しくて、疲れていて、全部がごちゃまぜになって笑いになって溢れてくる。

 リューズの手がユージアの頭をぽんぽんと叩いた。すっかり慣れた手つきだ。

「Haha... vi estas stranga knabo, Juzia.」

 リューズも笑っている。振動が伝わってくる。

「……おい、いつまでやってんだ」

 カシューの声が不機嫌だ。尾がぱしぱしと地面を叩いている。

「妬いてるの?」

「妬いてねえ!!」

 ジェドが鼻で笑った。

「Tre evidenta.」

「あ?今なんか言ったか魔法使い」

「Nenion, nenion.」

 ジェドが両手を上げた。しかし口元は隠しきれていない。

 ラティアが傍に寄ってきた。目元が赤い。少しだけ泣いていたのかもしれない。でも今は満面の笑みだ。

「Ni vivas. Ni ĉiuj vivas!」

 ラティアがミルアの手を取り、ぎゅっと握り込んだ。

「Dankon. Dankon, ke vi savis ilin.」

「……あなたたちが先に助けてくれたのよ」

 ミルアが静かに微笑んだ。

 松明の光が柔らかく六人を照らしている。町の人々が遠巻きに見守っている。怖いものを見る目ではない。珍しいものを、不思議なものを、温かいものを見る目だ。

 全部終わった。

 いや。まだ終わってない。帰らなきゃいけない。アイレアの森に。結界の中に。でもそれは明日の話だ。

 今はまだ、この場所のぬくもりから離れる気にはなれなかった。

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