37.そこに宿る気配
五人が階段を駆け上がる。
待ち構えていた兵士が三人、こちらを見て剣を構えた。だが遅い。リューズの大剣が一閃し、兜を弾かれた男が白目を剥いて崩れ落ちる。カシューが二人目を壁に叩きつけ、鎧ごとめり込む。斬りかかる三人目にジェドが叫ぶ。
「《Bruligu ĝis cindro, purpura lango!》」
目の前で爆ぜた炎に悲鳴をあげ兵士が床に転がった。前に見たのとは違う紫色の炎が石の床にまで焦げ跡を作っていた。
「遅かったわね」
廊下の向こうからミルアが歩いてくる。足元には二人。翼に返り血が点々と散っている。ミルアがジェドを見た一瞬、冷静な仮面が剥がれた。
「Vi estas...」
言葉が浮かばずミルアの手が宙を泳ぐ。
「...Jes. Danke al nia ŝafido.」
ジェドがユージアを顎で示す。ミルアは息を吐いた。長く、静かに。
「Ni moviĝu. Al la ĉefa pordo.」
リューズを先頭に、兵士たちをなぎ倒しながら廊下を駆け抜ける。障害物はカシューが砕き、リューズが横を薙ぎ、ミルアが背後から無言の魔法で追撃する。駆けつける兵士たちが紙人形のように吹き飛んでいく。圧倒的だ。回復した魔人三人、場数を踏んだ冒険者たち。止められる者はいない。
「M... monstroj...!! MONSTROJ!!」
悲鳴が廊下に反響する。中には剣を捨てて逃げ出す兵士がいた。少しでも早く走ろうと鎧を脱ぎ捨てながら。
正門が見える。あと少し。
「HALTU!!」
空気が変わった。
大きな影。松明の光に照らされた四角い顎。全身が甲冑に覆われ、手に持っているのは巨大な戦斧。
ザンダの背後に精鋭が並ぶ。先ほどの騎士たちとは構えが違う。冷たくこちらを見据える目が、一瞬だけ戸惑うようにリューズの上で止まったように思えた。
「Vi pensas ke vi povas detrui mian garnizonon kaj simple foriri!?」
ザンダの顔が紅潮している。怒りだ。純粋な屈辱に燃えている。
「Rjuzu Frii! Mi devus esti detranĉinta viajn krurojn kiam mi havis la ŝancon!」
「Vi provis. Vi malsukcesis. Kiel ĉiam.」
リューズが大剣を構える。軽口だ。でもユージアには見えた。リューズの足が微かに揺れた。気力に体力が追いついていない。
「Ĉi-foje vi ne eskapos, Frii. Nek viaj monstraj hundoj.」
ザンダが戦斧を振り上げた。踏み込む。巨体に似合わぬ速さでリューズに迫った。
「!」
カシューが割り込み、爪でザンダの戦斧を受け止める。火花が散った。カシューの足が石畳にめり込む。重い。この男の一撃は、重い。
「Ho? La monstro volas ludi?」
ザンダが嗤って力を込める。カシューの足元で割れた石がぎしりと音を立てた。
「カシュー、離れて!」
ミルアの指先から風刃が飛ぶ。ザンダの兜を掠めた。頬に赤い線が走る。ザンダが首を振る。首元で護符が揺れている。
「Malforta.」
ザンダの蹴りがカシューの腹に入った。カシューが吹き飛び、壁に激突する。
「がっ!」
「ZANDA!」
リューズが斬りかかった。大剣と戦斧がぶつかる。火花と衝撃が周囲の石壁を震わせた。
「Bone... bone, Rjuzu. Montru al mi kion vi havas.」
ザンダの目が愉しげに細まる。
おかしい。カシューが力負けするはずがない。ミルアの魔法が小さな傷一つで済むはずがない。
ザンダからよく知る気配がした。魔人の魔力の欠片を感じる。ユージアの角の奥がずきりと疼いた。
知っている。この感覚。アイレアの結界の中、仲間たちと同じ気配がそこにある。同じなのに、温もりがない。冷たく、薄い。砕かれて、削り取られて、練り込まれた残骸。あの戦斧の刃に、護符の芯に、かつて生きていた誰かの魔力が眠っている。
吐き気がした。
「ユージア?」
カシューが壁から立ち上がりながら、ユージアの顔色に気づく。
「おい、どうした。顔が真っ青……」
ユージアの視線を追って、カシューがザンダの戦斧を見た。護符を見る。そしてカシューも感じ取ったのだろう。金色の瞳が見開かれた。
「……てめえ」
カシューの声が地の底から這い出すように低くなる。
「その斧……何で出来てやがる」
リューズとザンダが迫り合ったまま、カシューの声に空気を変えた。
「Ho? La monstro rekonas ĝin?」
ザンダが笑う。リューズを押し返しながら。
「Ĉi tiu hakilego estas farita el via speco. La ostoj, kornoj, flugiloj, kaj eĉ ĉiu sola haro... Ĉu vi entute komprenas ĝian valoron?」
ザンダが戦斧を振り払い、リューズが後退する。ザンダが斧を掲げた。松明の光を受けて刃が紫がかった輝きを放つ。
「Eĉ post miloj da jaroj, ĉi tiu akreco neniam velkas. Kia grandioza materialo... Ĝi fariĝis tiel perfekta, kaj kial vi koleras!?」
「わっかんねえ……ぶっ殺す!」
カシューが地を蹴った。全速力で。爪が熱く光を帯びる。
「カシュー待ちなさい!」
カシューが突っ込む。まっすぐに。怒りに目が眩んでいる。仲間の何かで作られた斧。それがカシューの理性を焼き尽くした。ザンダが待ち構えていた。嗤いながら。
「Venu, monstro. Aldonu vin al mia kolekto.」
戦斧が弧を描く。カシューの爪と刃がぶつかる。火花が散った。カシューの爪が弾かれた。斧に込められた魔力がカシューの攻撃を逸らしている。仲間のものだった魔力が。
「なッ!?」
一瞬の隙。ザンダの膝が再びカシューの腹に突き刺さった。鎧の膝当てが内臓を押し潰す。カシューが血を吐く。
「カシュー!」
ミルアの風刃がザンダの横を襲う。護符が光る。風が散り、逸らされた。あの護符が魔力を打ち消している。
「効いてない……!」
ミルアの顔から血の気が引く。
「Ĝi nuligas magion! Ni devas fizike!」
リューズが横から斬りかかる。ザンダが片手で受ける。信じられない腕力だ。そのまま押し返す。リューズの足が滑った。
「Vi estas laca, Rjuzu. Mi sentas ĝin.」
ザンダが踏み込む。斧の柄でリューズの顎を突き上げた。リューズの頭が跳ねる。
よろめいたリューズに斧が振り下ろされようとした瞬間、ジェドの叫び声が響いた。
「《Frosta spiro, verŝiĝu!》」
ザンダの首元で護符が脈動する。霧散した冷気の粒が、まるで星屑のように虚しく舞った。
「Senutila.」
ザンダの嘲笑に、ジェドが鋭く舌打ちしてメイスを構えた。
「Ĉu ĉia magio estas senefika!?」
「……あの護符、あれさえ壊せれば」
ミルアがユージアを見た。何かを計算している目だ。
「ユージア。あの護符の中身、誰かの欠片よね。あなた、感じたでしょう」
ユージアは頷いた。あの護符に眠っている魔力の残滓。薄いけれど確かに、自分たちと同じものだ。
「……なら引き出せる?中の魔力を。楔の時の逆、あなたの治療の逆、吸い出すの」
ミルアの目が真剣だ。護符が死ねば魔法が通る。そうすれば終わらせられる。
ザンダの斧がカシューを薙ぎ払う。カシューが石畳を転がる。立ち上がろうとして、膝が折れた。
「くそ……っ、動け……!」
時間がない。
ユージアは飛び出した。
羊の脚力を、舐めるな!




