36.共同戦線
長い一日が過ぎた。
森の中で身を潜めて、食べたのは木の実と、ラティアが町から持ち帰ったパンの欠片だけ。でも魔力は確かに戻ってきている。指先にあの温かい光が宿る感覚がある。まだ満杯じゃないけど、大丈夫だ。いける。
やがて日が沈み、月が雲に隠れた。
「……行くわよ」
ミルアが立ち上がった。翼を体に密着させて闇に溶け込む。尾が低く揺れている。狩りの姿勢だ。
「ユージア」
ユージアが癒した肩を回しながら、カシューが振り返った。瞳が闇の中でギラギラと輝いている。
「オレが壁ぶち抜いたら迷わず走れ。振り返んな。とにかく走れ」
ユージアの額に、カシューの拳がこつんと当たった。
「心配すんな。オレたちがいる」
ラティアが隣に並んだ。杖を握る手が白い。でも目は据わっている。昨日の怯えた目じゃない。覚悟を決めた顔だ。
「Mi estas preta.」
四人は闇の中を走った。城壁沿いに。草を踏む音すら殺して。
翼のある二人の助けで壁を越える。ラティアが先頭を行く。目指すは牢がある建物だ。大きな低い建物の裏手をラティアが指さす。見張りの松明が正面で揺れている。交代の時間が近い。
それからまた待った。息を殺してただただ待つ。その間、ユージアの心臓はずっとうるさかった。
正面から声がした。交代の挨拶だ。移動する松明で影が動く。最初の見張りが去っていく。すぐには戻ってこられないくらい遠くへ。少しでも遠くへ。
「今」
「ッらァ!!」
ミルアが空に舞い上がると同時に、カシューの拳が壁に叩き込まれた。魔力を纏わせた一撃に石壁が紙のように砕け散る。瓦礫が飛んだ。粉塵が舞う。向こう側に、暗い廊下が見えた。
「行けッ!!」
走った。暗い廊下を。ラティアの水色の髪が前を揺れている。ラティアの囁きで杖の先に淡い光が灯り、足元を照らす。
背後で怒号が上がった。何かが弾ける音がする。カシューの咆哮。金属がひしゃげる音。悲鳴。振り返らない、走る!
「Maldekstre!」
ラティアが左に曲がった。ユージアも続く。石の階段を駆け下りる。地下だ。空気が冷たくなる。血の匂いがする。
鉄格子が見えた。その向こうにいる二人を見た瞬間、ユージアは反射的に手を伸ばした。金色の光がユージアの手から溢れる。
光の束は格子を抜けようとして、そのまましぼんでいった。走り寄る勢いで格子にぶつかりそうになり、ユージアは慌てて踏みとどまった。
鉄格子が魔力を吸い込んでいる。
それならと格子のすき間に手を突っ込んだ。体の芯を吸い出されるような感覚に慌てて手を引き戻す。
ユージアは呆然と格子の向こうを見つめた。
リューズが壁にもたれていた。顔が腫れ上がっている。腫れた瞼で片目が塞がって、唇が切れて血が固まっている。それでも、こちらに気づいた。
ジェドはその隣で横たわっていた。折れた左腕を不自然な姿勢で庇っている。顔面は紫色の痣だらけで、眼鏡はない。
「Juzia...?」
リューズの声が掠れている。信じられないという声で、片目が見開かれた。
「Ĉi tie ne estas ŝlosilo...!」
ラティアが壁を見回している。鍵だ。鍵束を探している。このままでは二人の怪我を治せない。格子が魔法を吸ってしまう。
足音が階段の上から響いた。時間がない。
「Juzia...!」
ラティアが振り返ってユージアを見た。どうする、と目が訴えている。
そのとき、足音が階段を駆け下りてきた。カシューだ。全身に返り血を浴びて、金色の瞳を爛々と光らせている。
「どけ」
一言。カシューが鉄格子を両手で掴んだ。目を細めて奥歯を噛み締めている。魔力が吸い出されているんだ。でも離さない。筋が浮き上がる。尾の鱗が根元から逆立っていく。
ぎぎぎ、と金属が悲鳴を上げた。
「ッらぁああ!!」
鉄の棒が飴のようにひしゃげ、引きちぎられた。二本、三本。人が通れる隙間が空いた。カシューの手のひらから血が滴っている。そんなことはお構いなしに、カシューは引きちぎった鉄を投げ捨てた。
「ユージア!!」
ユージアは飛び込んだ。膝をついて、リューズの手を掴んだ。冷たい。ボロボロだ。指の爪が何枚か剥がされている。
直接触れる、直接流し込む、一番効果のある治癒の魔法。蜂蜜色の温かい光が手のひらから溢れた。
「Kh...!」
リューズの体が跳ねた。骨が鳴った。容赦のない、強制的な治療に体が悲鳴を上げているのがわかる。我慢して!治って!治れ!
次。ジェドに手を伸ばす。折れた腕に触れた。ジェドが呻いて目を開けた。
「...Mi... sonĝas...?」
焦点の合わない目がユージアを見上げている。
「Ni estas ĉi tie. Ni estas ĉi tie! Vi estas bone!」
力のない苦しげな悲鳴が漏れる。ジェドの折れた腕から骨が繋がる感覚が、手のひらを通じて伝わってくる。
「...Kio...? Kion vi... diras...?」
ジェドが瞬いた。何度も。焦点が合ってくる。そしてユージアの顔を認識した瞬間、目が潤んだ。
「Idioto... kial vi...」
いつもの強がりだ。でも声が震えている。ジェドが左腕をそっと動かし、痛みを思い出して顔をしかめる。ちゃんと動く。
「...ha.」
リューズが壁に手をついて立ち上がった。片目がまだ腫れているけれど、治癒の効果が今、体中を巡っているはずだ。
「Vi vere venis... vi frenezuloj.」
リューズの片目が笑った。血まみれの唇で。それからラティアを見た。
「Rjuzu...!!」
ラティアが飛びついた。リューズの胸に顔を埋めた。リューズが呻いた。でも片腕でラティアの頭を抱えた。
「Bone... bone, mi vivas. Dankon.」
「感動は後だ!上から来てる!」
階段を駆け下りてくる複数の足音。カシューが牢の入口に立ち塞がった。
「Mia armilo... kie...」
ジェドが周囲を見回す。壁際に、没収された武器が積まれていた。ジェドのメイス。リューズの大剣。
リューズがよろめきながら大剣に手を伸ばした。柄を握った瞬間、目が変わった。傷が癒えた体に、火が灯る。
「Ni eliras. Ĉiuj. Nun.」
「Kiom da ili?」
「だからわかんねぇって!黙ってオレについてこい!」
「Tri sufiĉas por varmigo.」
リューズが笑った。大剣を肩に担いで階段に向かう。
「《Sankta ŝildo, ĉirkaŭu nin!》」
光の防壁が五人を包んだ。今のラティアは震えていない。声も、手も。
「Ĵedo, malantaŭ mi. Kaŝu, flanke. Ni trapikos ilin.」
「……なんだよ。命令すんなよ、ニンゲン」
カシューが歯を剥いた。でも、わからないなりにリューズの言葉に耳を傾けている。
「……今回だけだからな!」
「Dankon, amiko.」
「友達じゃねえ!」
一瞬、カシューの口角が上がったのが見えた。




