35.一夜明け
目を覚ましたとき、木漏れ日が顔に落ちていた。昼だ。どれくらい眠っていたのか見当もつかないくらい、体が重い。でも昨夜よりはましだ。体の芯の凍えたような感覚はかなり薄くなっている。魔力が少しずつ戻ってきている。
カシューの翼の中から這い出すと、ミルアがすでに起きていた。木の根に座って地面に枝で何か描いている。ヴェルグラータの地図のようだ。
「おはよう。ラティアが偵察に出てるわ」
「……ッ」
カシューが跳ね起き、肩を押さえて顔をしかめた。
「いつだ。いつ出た」
「明け方よ。私が見張りを代わったあと。止めたけど聞かなかった」
ミルアの声は落ち着いているけれど、描いている線は不自然に深く土を掘り起こしている。
「……彼女はニンゲンだから。フードを被って町に入っても怪しまれない。理にかなってはいるの」
「一人でかよ」
「一人だから目立たないのよ。私たちを連れていたら即座に捕まる」
正論にカシューも黙った。
待つしかない。それが一番つらくても。
交代で落ちるように眠っては目を覚ます。そんな繰り返しで日が傾き始めた頃、茂みが揺れる音が聞こえた。
「!」
カシューが立ち上がって爪を出したが、すぐに力を抜いた。
「Mi revenis...!」
ラティアだ。赤い顔で息を切らせて、水色の髪に葉っぱをつけたまま駆け寄ってきた。町から走ってきたのだ。
「Mi trovis ilin. La malliberejo sub la garnizono. Ili vivas!」
ラティアの目がユージアを見た。
「Ili vivas, Juzia!」
「Vivas?」
vivas。ラティアの様子から意味がわかった。生きてる。ユージアはその言葉を噛みしめた。リューズも、ジェドも、生きている。
それにしてはラティアの顔が暗い。拳を握って、何度も自分の腕を殴る仕草をした。辛そうな顔で。
「Batoj... multaj batoj...」
二人の様子を伝えようとしているのだとすぐに気付いた。殴る、何度も何度も繰り返す。まるで終わりが無いかのように。
ラティアが次にジェドの名前を言って、自分の腕をだらんとさせてみせた。骨が折れた、というジェスチャーだ。
「……そう」
ミルアの声から感情が消えた。枝で地図を描く手が止まっている。
「リューズは?」
カシューが聞いた。ラティアが今度はリューズの名前を呼び、自分の体を指して、ぐったりと動かなくなる真似をした。それだけ殴られたんだ。
「……あの野郎」
カシューの金色の瞳に憎悪が燃え盛った。肩の傷を忘れたかのように拳を握りしめている。
「ラティア」
ミルアが地面の地図を指した。ラティアははっとして、地図に目を落とす。
「Kvar gardistoj. Nokte. Du ĉe la pordo, du patrolas.」
指を四本立てて見せ、減らして二本指にすると建物の入り口を指さす。もう一度二本指。今度は建物の周りをぐるりと指でなぞった。
「見張りは四人、二人は巡回ね……」
「Ŝanĝo. Noktomezo.」
noktonに似ている。夜だ。ラティアが地図に這わせていた手を反対の手と入れ替えた。交代、夜。
「……いける。交代の後を突く」
「いつだ。今夜か」
「まだよ。明日の夜。魔力が完全に戻るまで待つ。絶対に失敗できない」
ミルアがユージアを見た。それからカシューを。
「……決まりだな」
カシューが頷いた。
「助け出す。それから、ぶっ殺す。あの豚野郎を。全力で暴れてやる」
ミルアの唇が弧を描く。綺麗な笑みなのに目が笑っていない。羽が逆立つって尾が地面を叩いた。
「殺しはしないわ」
穏やかな声にぞくりと背中が粟立った。
「でも腕の一本で許してあげられるかはわからない」
「……お前、そういう顔するんだな」
「あら。女は怒らせないほうがいいって、知らなかった?」
ミルアが枝を折った。ぱきん、と乾いた音が鳴る。それから地図に向き直る。切り替えが早い。
「ラティア」
ミルアはラティアに向けて地図の建物を指し、棒人間を描いた。横に線を引き、指で厚みを変える仕草を見せる。
ラティアが手で厚さを示した。拳二つ分くらい。
「正面から行く必要はないわね。カシュー、壁は砕ける?」
「魔力が戻りゃあな。紙みてえにぶち抜いてやるよ」
「じゃあこう」
ミルアが地面の地図を指でなぞった。
「交代の後、カシューが裏の壁を壊す」
ミルアが棒人間に翼と尾を足した。殴る仕草をして、隣の線をぐちゃぐちゃにしてみせる。
「混乱している間に私が見張りを無力化。ラティアはユージアを守って。Latia gardos Juzia.」
「...Kaj se Zanda venos?」
ラティアの声が硬い。ザンダの名を口にするとき、唇が震えた。
「あの大きいの?来るでしょうね。だから速さが全て。速攻で終わらせる。ユージア、あなたの仕事は一つだけ。二人のところに走って、治癒すること。あとは二人が自分で歩く」
ミルアの目が真剣だ。
「できる?」
できるできないじゃない。
「やる」
「……いい返事ね」
カシューが鼻を鳴らしてユージアの頭に手を乗せた。
「お前が一番度胸があるんだ、昔から」
ラティアの両手がユージアの手をぎゅっと包んだ。それから胸の前で祈るような仕草をした。
「Ni sukcesos. Mi kredas.」
「じゃあ確認。明日の夜、カシューが裏の壁を破壊。私が見張りを潰す」
ミルアが枝で地図を叩いた。
「ユージアはラティアと一緒に、真っ直ぐ二人のところへ走る。見つけたら癒やす。それだけ」
「オレは壁の後どうする」
「暴れなさい。派手に。得意でしょう」
「……へっ。任せろ」
カシューが獰猛に笑って拳を鳴らした。戦いを前にした竜の笑みだ。
「一日ある。体を休めて、魔力を満たして。……絶対に取り戻すわ」
ミルアの視線がヴェルグラータの方角を向いた。羽が風に揺れる。
明日の夜だ。もう少しだけ待ってて、リューズ、ジェド。




