34.ニンゲン
「Mi ne timu. Rjuzu, mi estas bone.」
ユージアの声にザンダが足を止めた。振り返った男の目が、目の前の小さな魔人を捉える。
「……Ho? Parolas, ĉu?」
ザンダが唇を歪める。獲物の反応を楽しむように。
「Mi ne timu. Ha! Mi trejnos vin unue. Vi lernos kio estas timo.」
ザンダがユージアの頭に手を置いた。家畜をあやすような手つきで乱暴に髪を掻き混ぜる。視線がリューズに向いた。
「Vi rigardos.」
その言葉にリューズが目を見開いた。
「UUUOOOOHHHH!!」
咆哮と共にリューズを押さえつけていた騎士たちが吹き飛んだ。その勢いのまま大剣を掴んで踏み込み、振り抜いた大剣がザンダの胸当てを浅く裂く。金属音とともに火花が散った。
「《Sankta ŝildo, ĉirkaŭu nin!》」
クロスボウが空を穿ち、ラティアの叫びとともに光の壁に弾かれた。
「Ĵedo!! Portu ilin al la arbaro!!」
「Sed vi...!?」
「RAPIDU!!」
リューズが大剣を構え、ザンダと斬り結ぶ。ジェドがミルアの腕を掴んだ。
「Ni devas iri! Nun!」
ジェドが何か詠唱の言葉を叫んだ。騎士に雷を叩き込み、兜ごと焼き払う。だがその隙に、別の騎士の槍がジェドの脇腹を掠めた。ローブに血が滲む。
「Kh……!」
「ジェド!」
「Nur... grateto. Fuĝu! Mi haltigos ilin kun Rjuzu!」
ジェドが傷口を押さえ、リューズに並ぶ。背中合わせに。
「行くぞ!」
カシューがユージアの腕を掴み、ミルアがラティアの手を引く。
「無駄にすんじゃねえ……!!」
背後の激突音を振り切って森へ飛び込んだ。枝が顔を打つ。足元が見えない。月なき夜が全員を呑み込む。
走った。カシューの手が腕を掴んで離さない。引きずられるように走り続ける。腕から滴る血はカシューのものだ。
やがて、足が止まる。
「……ここまで来れば」
ミルアが木の根に座り込み、息を荒くする。ラティアがその横に崩れ落ちた。
「Rjuzu... Ĵedo...」
ラティアの声が震え、祈るように両手が組まれる。
「……くそ。くそッ」
カシューが拳で木の幹を殴りつけた。樹皮が砕け、拳の皮が裂ける。構わずもう一度殴った。
「なんでだよ……!なんであいつら残んだよ……!ニンゲンだろうがよ!」
「……わかってるでしょう。あの数相手に全員は逃げられなかった」
ミルアの声は静かだった。握りしめた膝の上が白くなっている。
「わかってる……ッ!」
カシューが振り返る。金色の目が濡れている。怒りと悔しさに。
「...Ni devas reveni por ili. Ni devas...」
ふらつきながらラティアが立ち上がろうとして、膝をつく。魔力が尽きている。全員、空っぽだ。
「Latia.」
ユージアは震えるラティアを抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫だから。Ni ripozu. Mi promesas. Ni gardos Rjuzu, Ĵedo. Ni estas ĉi tie.」
聞きかじった言葉を羅列する。これまで自分にかけられた言葉。たくさん、たくさん、聞いた言葉。通じるか、伝わるか、そんなことどうでもいい。思いつく言葉をとにかく続けた。
ラティアが一瞬固まり、それから堰を切ったように顔をユージアに押し付けた。
「...Dankon. Dankon, Juzia...」
嗚咽を押し殺す声。白い指がローブを掴む。
文法も発音も滅茶苦茶だ。けれどラティアは頷いてくれた。
「……ユージア」
ミルアが近づき、ラティアの背中に手を置く。
「あなたの言う通りよ。今は休まないと。魔力が戻らなければ何もできない」
ミルアの視線は遠く、森の向こう、ヴェルグラータの方角を向いている。
カシューが木に背を預けて座り込んだ。血の滴る拳を膝に乗せ、暗闇を睨みつける。
「……あいつらは強い。簡単にはくたばらねえ」
一言一言、ゆっくりと。自分に言い聞かせるように。
「だから……今は寝ろ。交代で見張る。オレが先だ」
「その肩で?」
「かすり傷だ」
「……嘘つき」
ミルアはそれ以上言わず、ラティアを木の根元に座らせた。
「...Ni savos ilin. Ĉu ne?」
ラティアが涙の跡を光らせながらユージアを見上げる。自分を宥めるような目だ。
「Savos. Jes. Savos. Ni savos ilin. Jes.」
ラティアの目が遠くなり、腕の中で眠りに落ちた。限界だったのだ。
森は静かだ。虫の声と川の音だけが聞こえる。ヴェルグラータの松明の列は見えない。
「……寝かせてあげましょう」
ミルアがラティアを受け取り、毛布代わりの翼で覆った。
「ユージア、あなたも休みなさい」
「さっさと寝ろ。オレの傷、治したいだろ」
言い聞かせるように促すカシューの肩は、ローブに染み込んだ血が固まっている。
「ほら」
カシューの尾がユージアの体を押して、草の上に寝かせた。片方の翼が風を遮るように広がる。
「……さっさと元気になるぞ」
闇を見据えたままカシューが言った。
「……明日の夜にはある程度魔力も戻る。計画を立てましょう。二人のいる場所、見張りの数、ラティアの防壁が何人分持つか……」
ミルアの尾が苛立つように揺れた。
「……ジェドが怪我してた」
声が震えている。
「致命傷じゃなさそうだった」
「あの男は見栄を張るのよ」
風が梢を鳴らす。
「……寝ろ。二人とも。オレが起きてる」
魔力が足りない体は心臓から凍えそうだった。でも囲むように広げられたカシューの翼の内側は、温かい。それだけで、今は大丈夫だと自分を安心させることができた。
助けに行く。約束した。絶対に助ける。
心の中で何度も繰り返し、ユージアは目を閉じた。




