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30.ヴェルグラータへ

 日が傾き始めた頃、リューズが街道から外れた場所に野営地を定めた。岩壁に囲まれた窪地。火を焚いても外からは見えにくい。

「Ni haltu ĉi tie. Morgaŭ matene ni atingos Velgratan.」

 リューズが薪を積み上げながら、ジェドに何か指示している。ジェドが慣れた手つきで火を起こした。魔法ではなく火打ち石を使って。少しでも魔力を温存しようとしている。

「Latia. Gardu kelkajn aĵojn por mi.」

 ベルトにつけた革のポーチを外しながら、リューズがラティアを呼んだ。ずしりとした重みで、受け取ったラティアの手が沈む。

「En ĝi estas nia pago. Se io okazos al mi... fandu ilin. La ceteron mi lasas al vi.」

 ラティアがリューズを見上げ、何度か小さく頷いた。

「……明日か」

 カシューもユージアの隣に腰を下ろした。帯を少し緩めて、深く息を吐く。火の光がカシューの金色の瞳に映っている。

「町に入ったら、オレたちだけじゃ動けねえ。あいつらに」

 カシューがリューズたちを顎で示した。

「全部任せることになる」

 その声に、以前のような敵意はない。でも不安がある。自分で守れない状況に身を置くことへの、本能的な恐怖だ。

「信じましょう」

 ミルアが火の向こう側から言った。膝を抱えて座っている。炎がその顔を照らしている。

「今更でしょう。ここまで来たんだもの」

「……まあな」

 カシューの尾がユージアの背中にそっと触れた。無意識だろう。安心を求める動作。幼い頃からの癖だ。

「……最後の一つ、終わらせて帰ろう。みんなで」

「ああ、一緒に帰ろう」

「……そうね。みんなで」

 ミルアが微笑んだ。炎に照らされた顔が柔らかい。それからちらりと、火の向こうのジェドを見た。視線はすぐに戻ったが、尾が一度揺れた。

 みんな。その言葉の中に、いつの間にかニンゲンたちも入っている。ぼくたちだけじゃない。六人一緒だ。

「...」

 リューズが火の傍に戻ってきた。薪を一本くべて、座った。ユージアたちの顔を順に見て、言葉はわからなかったはずだが、何かを感じ取ったのだろう。静かに頷いた。

「Morgaŭ. Ni finu ĉion.」

 明日だ。明日、みんなであの町に行く。

 火が爆ぜた。星が見えない夜だ。雲が空を覆っている。でも火の周りだけは温かい。

「Dormu bone, ĉiuj. Mi preĝos por nia sukceso.」

 ラティアが両手を組んで目を閉じた。唇が小さく動いている。祈りの言葉だ。

「...Mi gardos la unuan duonon de la nokto.」

「Mi prenos la duan. Veku min, kiam vi finos.」

 ジェドが岩壁に背を預けて、暗闇に目を凝らし始めた。夜の見張りだ。

「……寝ろ、ユージア。明日に備えて」

 カシューがユージアの頭をぽんと叩いた。

「オレがいるから。安心しろ」

 カシューの翼が、帯に縛られたまま、それでもユージアを覆おうと動いた。いつもの仕草。その意思だけで十分温かかった。

 火の音。遠い川の音。虫の声。

 目を閉じる。明日が来る。最後の楔が待っている。ヴェルグラータが待っている。

 きっと大丈夫だ。みんなが一緒だから。


 朝の空は曇っていた。灰色の雲が低く垂れ込めて、空気が湿っている。歓迎されていないみたいに。

 六人は無言で支度を済ませた。纏ったローブを整え、フードを深く被る。ユージアの角が布の下で窮屈そうに押し込められている。カシューは角をフードに収め、翼と尾は改めて帯で固定される。ミルアもローブの下で翼を整えた。

 街道を歩く。人が増えてきた。荷車、商人、農夫。誰もが灰色のローブの巡礼者たちを気にも留めない。良い兆候だ。

 そして、見えた。

 城壁だ。高い石壁が街を囲んでいる。門の前に騎士が二人、槍を持って立っている。

「...」

 リューズの足が止まった。ほんの一瞬。それから何事もなかったように歩き出す。フードを深く被り直した。

「Trankvilu. Ni sukcesos trompi ilin.」

 ジェドが小声で囁いた。

「...Mi scias.」

 門が近づく。騎士の鎧が光っている。ユージアの心臓が速くなる。

「Haltu. Kien vi iras?」

 門番が片手を上げた。

「……」

 リューズは答えない。ジェドが前に出た。

「Ni estas pilgrimantoj, direktataj al la katedralo. Silentaj pilgrimantoj kun sankta voto.」

 ジェドの声は完璧に平坦だ。嘘をついている気配が微塵もない。

「Ses personoj?」

「Jes. Kvar el ni faris voton de silento. Mi kaj ŝi estas iliaj akompanantoj.」

 騎士がフードの奥を覗き込もうとユージアの前に立った。目が合いそうになる。

「Pardonu, sinjoro!」

 ラティアが割り込んだ。ペンダントを掲げて、にっこり微笑む。

「Mi estas klerikino de la Sanktejo de Lumière. Ĉi tiuj pilgrimantoj estas sub mia gvido. Ĉu vi deziras vidi mian atestilon?」

 騎士の目がラティアのペンダントに移った。それから、ラティアの顔に。水色の髪、白い肌、柔らかい笑顔。騎士の表情が緩んだ。

「...Ne necesas. Pasu.」

 石造りの門をくぐる。

 息を吐く。吐いていいのかもわからないけど、止められなかった。

 町はどこまでも灰色だった。石畳、石壁、建物まで、重苦しい曇り空と同じ色に沈んでいる。人通りは多い。商人、職人、兵士。巡礼者もちらほら見える。溶け込めている、はずだ。

「Ne rigardu ĉirkaŭen tro multe.」

 ジェドが前を向いたまま囁いた。きょろきょろと周りを見るたびに背中を叩かれる。

「Bone farita, ĉu ne? Mi ankoraŭ havas ĉarmon!」

 ラティアが小声で得意げに笑った。リューズが軽く彼女の頭を叩いた。

「Dankon, Latia. Sed ne malstreĉiĝu. Ni estas ankoraŭ en danĝero.」

 リューズの声が低い。フードの奥の目が通りの向こうを見ている。何かを、誰かを探しているように。警戒している。

「……兵が多い」

 カシューが小さく呟いた。確かに。通りの角には鎧姿が立っている。槍を持ち、道行く人を眺めている。見張りというより、監視だ。

「顔を上げないで。二人とも」

 ミルアがユージアとカシューの間に入った。三人並んで歩く。静かに、慎ましく。

 大聖堂の尖塔が建物の隙間から見えた。高い。町の中心に聳えている。地図にあった絵の建物だ。あの下に、楔がある。

 今にも途絶えそうな脈動を感じる。近い。弱々しい気配が訴えている。急いで、と。

「...Ni iru orienten. Al la malnova akvokonduko.」

 リューズが路地に折れた。六人が影の中に消えていく。

 路地は狭い。石壁が両側から圧迫し、頭上の空を細い帯に変えていく。水の匂いがする。古い、苔むした水の匂いが。

 リューズが足を止めた。壁から湧き出るような水の流れ。蔦に覆われ、誰も気にしていないような、古い水路の入り口だった。

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