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29.作戦会議

 川沿いを北西へ。森は徐々に薄くなっていく。霧から離れるにつれて、木々が細くなり、日差しが強くなった。

 ニンゲンの領域に入っていく。その感覚が足裏から伝わってくる。

 一日目の夜はリューズが見つけた岩陰で野営した。二日目の昼過ぎ、小さな村が見えてきた。

「Tiu estas Felden. Ni aĉetos robojn tie.」

 リューズが足を止めた。それからユージアたちを振り返り、フードを深く被る仕草をする。ここからだ、と目で伝えている。

「……もう隠すのか」

「覚悟を決めなさい」

 ミルアが外套の下で翼をぴったりと背中に沿わせ、尾を腰に巻きつけた。

「……っ」

 カシューは体を包むように翼をたたみ、さらに尾を強引に巻き付ける。尾の付け根をねじ曲げると痛いらしく、顔をしかめている。頭まで突き出た翼の爪が外套を押し上げていて、どう見ても不自然だ。

「Juzia, venu!」

 ラティアがユージアのフードを整えた。何度も調整して、頷いた。

「Bone! Vi aspektas kiel malgranda pilgrimanto!」

 ラティアが嬉しそうに手を叩いた。

「Ĵedo, vi kaj mi eniros. La aliaj atendos ĉe la rando.」

「Kompreneble.」

 リューズとジェドが村に向かって歩き出した。残された四人は道端の木陰に身を寄せた。

「……窮屈だ」

 カシューが低く唸った。翼が痙攣している。

「これからずっとこれか?」

 金色の瞳が不安と苛立ちの間で揺れている。姿を大っぴらにするわけにはいかない。でも、苦しそうなカシューも心配だ。

「……ちょっと見せて」

 ミルアがカシューの背中に回った。外套の下に手を入れて、翼の付け根を確認する。カシューが息を詰めた。

「ここ、筋が張ってる。畳み方が悪いのよ」

 ミルアの手が翼の関節を探った。ぐ、と角度を変える。

「いっ……」

「はい、我慢」

 翼がより自然な角度で体に沿った。膨らみが少し減る。

「これなら少し楽でしょう。完全には無理だけど」

「……ああ。まあ、さっきよりマシだ」

 カシューが肩を回した。まだ窮屈そうだが、さっきの苦悶は消えている。

「Mirua estas tre zorga, ĉu ne?」

 ラティアが微笑んでいる。言葉はわからなくても、世話を焼いている光景は微笑ましいらしい。

 しばらくして、リューズとジェドが戻ってきた。腕に布の束を抱えている。灰色の質素なローブだ。

「Jen. Pilgrimaj roboj.」

 リューズがローブを配った。ユージアの分は一番小さい。それでも丈が余る。ラティアがくすっと笑いながら腰に紐を巻き、裾を上げてくれた。

「Mi trovis ankaŭ ĉi tion.」

 ジェドが布の帯を取り出した。カシューに向けて、翼を固定するように巻く仕草をして見せた。

「……」

 カシューがジェドを睨んだ。でも、手を広げた。巻け、と。

「……」

 ジェドが一瞬驚いた顔をして、それから黙ってカシューの背中に帯を巻き始めた。手つきが丁寧だ。翼の骨を避けて、圧迫しすぎないように。

「……思ったほど悪くねえ」

 カシューの小さな声にジェドが眉を上げた。

「Bone. De nun, ni estas pilgrimantoj. Silentaj, humilaj pilgrimantoj.」

 リューズが全員を見回した。灰色のローブを纏った六人の巡礼者。

「Velgrata. Morgaŭ vespere.」

 明日。最後の楔が待っている。

 目を閉じて集中する。楔の方向のあたりだけでもつけておきたい。気配を感じ取れるかもしれない。集中する。川の音が遠くなる。風が消える。カシューの呼吸も、ラティアの衣擦れも、全部遠くへ。

 あった。

 微かな脈動。死にかけの心臓が最後の力で打つような、弱くて切ない信号。北西。目指す町の方角と合っている。でも、深い。地面の下だ。かなり深い場所にある。

「ユージア?」

 ミルアの声で目を開けた。ミルアが覗き込んでいる。夜色の瞳が真剣だ。

「凄く下の方にあるみたい」

「……面倒だな。町の中で地下に潜るってことか」

 カシューが舌打ちした。

「それに、すごく弱ってる」

 ミルアが唇を噛んだ。焦りが滲んでいる。

「急がなきゃならねえのに、喋るなだの隠れろだの……」

「だからこそよ。焦って正体がばれたら楔に辿り着く前に終わる」

 ミルアがリューズの方を見た。リューズは少し離れた場所でジェドと話し込んでいる。地図を指差しながら。

「……地下に入り口がある場所。リューズなら知ってるかもしれないわね。あの町のこと、知ってそうだったもの」

 ミルアが立ち上がった。リューズに歩み寄り、地面を指差して、下へ下へと手を動かした。それから北西を指差す。

「……Sub la tero?」

 リューズの目が見開かれた。ジェドと顔を見合わせる。

「La katakomboj. Sub la katedralo de Velgrata.」

 ジェドが地図の一点を叩いた。その下に、何かがあるらしい。

「……Tio estas rekte sub la naso de Zanda.」

 リューズの声が苦い。ざんだ。その言葉が口から出たとたん、リューズが拳を強く握ったのがわかった。

「Vi havas ideon?」

 ユージアは地面の下を指さしながら、ミルアを真似て手を上から下へ動かした。その場所に地下へ行く方法があればいいのだけど。

「……」

 リューズがユージアを見た。小さな巡礼者が地面を指差している。その仕草の意味を汲み取って、頷いた。

「Jes. Estas vojo.」

 リューズが地図の上に指を走らせた。町の中心部に描かれた大きな建物の絵。そこから下へ線を引く仕草。

「La katedralo havas subteran enirejon. Sed...」

 リューズの指が地図の上で止まった。目的地を指先で押さえつける力が、心なしか強くなっている。

「Gardistoj. Multaj. Zanda kontrolas la katedralon.」

 まただ。ざんだという言葉が出た瞬間、リューズの表情が硬くなる。

「La katakomboj mem estas malpermesitaj por civiluloj. Nur kavaliroj kaj klerikoj povas eniri.」

 ジェドが眼鏡を押し上げる。カシューが小さく舌打ちした。

「ああもう、わかんねえ。危ない場所なのか?」

「Sed mi estas klerikino! Mi havas sanktan insignon...」

 ラティアが縋るように自身の聖印を見せたが、ジェドは静かに首を振った。

「De alia diocezo, Latia. Ili ne akceptos vin sen permesilo de la loka episkopo.」

 ラティアが肩を落とし、場の空気が重く沈む。リューズもジェドも、いつも明るいラティアでさえ、躊躇している。怖がってる?この町には何かがあると、三人の表情が物語っていた。

 重苦しい沈黙を破ったのは、リューズだった。

「……Estas alia vojo.」

 低い、搾り出すような声。リューズが地図の東の壁に視線を落とす。

「Alia?」

 ジェドが眉を上げる。

「Kiam mi servis tie... mi trovis kaŝitan enirejon. En la malnova akvokonduko, sub la orienta muro.」

 リューズは地図を指でなぞりながら、どこか遠くを見ているようだった。記憶を掘り起こすこと自体が、自分を痛めつけているようだ。

「Vi neniam menciis tion antaŭe.」

「Mi neniam bezonis ĝis nun.」

 リューズは不意に顔を上げ、真っ直ぐにユージアと視線を合わせた。

「Juzia. Mi gvidos vin. Sub la tero. Al la ŝtono.」

 ユージアの手を握るその力は迷いなく強い。

「Fidu min.」

 いつもの、安心させてくれる表情がそこにあった。頷いて、しがみついた。信頼していることが、ちゃんと伝わるように。

 角がローブの下からリューズの腹に当たっている。リューズの手がユージアの頭に乗った。いつものように、フードの上から。ぽん、ぽん、と二度叩いた。

「...Dankon, ŝafido.」

「...Ĉu vi ĵus ŝtelis mian vorton?」

 ジェドが眉を上げた。不満そうに、でも口の端が微かに上がっている。

「Ha. Ĉu vi havas ekskluzivan rajton?」

「...Tch.」

 ジェドが舌打ちして地図を畳んだ。それからユージアを見下ろして。

「Ŝafido. Ne pendu sur li tro longe. Ni devas marŝi.」

 ジェドの声はいつも通り素っ気ない。でも目が笑っている。ほんの少しだけ。

「Ho...」

 ラティアが両手を頬に当てている。目がきらきらしている。何か感動しているらしい。

「……おい」

 カシューの声が低い。

「いつまで触ってるんだ」

 金色の瞳がリューズの手を凝視している。ユージアの頭に乗ったその手を。ヤキモチだ。背中で尾が地面を叩きたそうに動いている。

 ミルアがくすくす笑いながら、ユージアを真似をするように動いた。抱きしめられたラティアが声を上げて、すぐに嬉しそうに抱き返す。

 向きを変えたミルアがリューズの大きな体に腕を回した時には、リューズは一瞬固まって、それから苦笑して背中をぽんと叩いた。

 そしてミルアがジェドに向き直った。

 楔の分、と呟いたミルアが、地図を片手に硬い表情で思考を巡らせているジェドを見やった。

「逃がさないわよ」

 ジェドが近付くミルアに気付き、顔を上げる。ミルアの腕がジェドの胴に回った。さっきのラティアやリューズへの軽いハグとは違う。しっかりと。ミルアの額がジェドの鎖骨のあたりに触れた。緑の翼が外套の下で微かに震えている。

「あなたが魔力を注いでくれなかったら、わたしたち三人とも死んでたかもしれない」

 声が小さい。ニンゲンの耳なら、ジェドにしか聞こえない距離だ。でもカシューの耳には届いているし、ユージアにもはっきり聞こえていた。

「……馬鹿。ニンゲンの癖に、無茶するんだから」

 ミルアの指がジェドの背中のローブを掴んで握った。

 ジェドの両腕が中途半端に浮いている。呼吸が止まっている。顔が赤い。顎の横にミルアの赤い髪が揺れている。

「Hooo...!」

 ラティアが口を両手で覆った。目がこれ以上ないほど輝いている。

 リューズが口笛を吹こうとして、やめた。空気を読んだのだ。

 三秒。五秒。ジェドの腕が動いた。震える手がミルアの肩甲骨のあたりに触れた。置いただけだ。力なんて入っていない。

「...Ne... dankinde.」

 掠れた声。喉が枯れている。たったそれだけを絞り出すのに全身の勇気を使い果たしたような声だ。

 ミルアが離れた。何事もなかったような涼しい顔で髪を耳にかけた。でも、尾がゆったりと、嬉しそうに左右に揺れている。本当に、嘘をつけない尾だ。

 ジェドは動かない。肩甲骨に触れていた手がまだ宙に浮いている。心が体から離れたように動かない。

「……ユージア」

 カシューが耳をぴくぴく動かしながら囁いた。

「心臓、止まったぞ。さっき。二拍くらい飛んだ。で、今ありえねえ速さで動いてる。大丈夫かあいつ」

「Ĵedo? Ĵedo, vi devas... Ĵedo??」

 ラティアがジェドの肩を揺さぶっている。ジェドの瞳孔がゆっくり焦点を結んだ。地面に落ちた地図を見下ろして、それが何なのか思い出すのに数秒かかった。

「...Mi estas... bone.」

 全然boneじゃない声だった。膝が笑っている。笑い声が木漏れ日の中に溶けていく。ラティアがジェドをからかい、リューズが肩を揺らして笑い、ミルアが涼しい顔で先を歩く。カシューでさえ口の端が緩んでいる。

 ジェドだけが三歩後ろを歩いていた。顔の赤みが引かない。地図を持つ手がまだ微かに震えている。

 明日にはヴェルグラータだ。危険が待っている。リューズの過去が待っている。地下の楔が死にかけている。

 それでも今はそんなことも忘れて、六人の巡礼者たちは笑っていた。

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