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3.森の向こうへ

「……ユージア。ぼくの名前は、ユージアです」

 深呼吸をして覚悟を決める。ユージアは自分の胸に手を当てた。心臓がどくどくと掌を押し返してくる。ニンゲンの目が、ユージアの唇の動きを追っていた。

「...Juzia?」

 茶色の髪のニンゲンが首を傾げる。ユージアの名前を確かに繰り返した。それから自分の胸を叩いて、

「Rjuzu. Mi estas Rjuzu.」

 リューズ。このニンゲンの名前らしい。ユージアの目を見て、ゆっくりと頷いてみせた。

「Ho, ĝi komprenas! Rigardu, ĝi diras sian nomon!」

 水色の髪の女性が嬉しそうに駆け寄ってくる。リューズの横にしゃがみ込んで、自分も胸に手を当てた。

「Latia! Mi estas Latia. Mi ĝojas renkonti vin, Juzia!」

 ラティア。この人はラティアだ。笑いかけてくれている。敵意はない、多分。

 黒髪のニンゲンは少し離れた場所でメイスに寄りかかったまま、興味深そうにこちらを観察している。近づいてはこない。

 リューズが何かを喋っている。手振りを交えて、結界を指差し、ユージアを指差し、それから自分たちの方を指差す。何度も繰り返す。

 わからない。全然わからない。でも、その表情は穏やかで、理解することを急かしている様子はなかった。

 ユージアの蜂蜜色の髪がふわふわと風に揺れる。ニンゲンの世界の空気は、アイレアより少し冷たい。

 一緒に来いって言ってる……?

 手の動きを目で追って、ためらいながら頷いてみせた。

 ユージアが頷いた瞬間、リューズの顔がほっと緩んだ。大きな手をぽんと自分の膝に打ちつけて立ち上がる。

「Bone. Venu kun ni, Juzia. Ni iros al Elbes.」

 リューズがある方向を指差す。森の向こう、何かがある。

「Ho, ĝi konsentis! Kiel bela ĝi estas, rigardu tiujn kornojn...」

 ラティアが立ち上がりざま、ユージアの巻き角に手を伸ばしかけて、リューズに肩を掴まれた。

「Latia. Ne tuŝu ĝin sen permeso.」

「Pardonu, pardonu! Mi nur...」

 ラティアがしょんぼりと手を引っ込める。でもその目はきらきらしている。怖がっている目じゃない。子どもが珍しいものを見つけた時の目だ。

 黒髪のニンゲンがようやく近づいてきた。メイスを肩に担いで、ユージアを上から下までじろじろ見ている。

「Ŝafido, ĉu? Tute senhelpa. Kial ni kunportu ĝin? Krome, ĝi ne estas nur simpla magia besto. Ĝi havas homan aspekton. Ĉu vi komprenas la signifon de tio?」

 その声は冷たい。明らかに歓迎していない響き。リューズが振り返って何か言い返すと、黒髪のニンゲンは舌打ちして先に歩き始めた。

「...Ni iru, Juzia.」

 リューズが手招きする。大きな背中。その後ろを歩けば安全だと、言葉がなくてもなんとなくわかった。

 一歩踏み出す。アイレアの結界が、背後で静かにきらめいている。振り返りたい。でも振り返ったら、きっと動けなくなる。


 だから、前を向いた。


 霧の中を歩く。ひたすら歩く。ニンゲンたちの歩幅は大きくて、少し急がないとついていけない。

 森の中は薄暗い。霧が視界を覆う。アイレアの森は中から見れば穏やかな木立だったのに、外から見るとこんなにも陰鬱なのか。木々の枝が爪のように絡み合い、太陽を遮っている。

「Juzia! Ĉu vi estas laca?」

 ラティアが振り返って何かを言う。ユージアの足元を見て、歩調を緩めてくれた。それから自分の水筒を差し出してくる。

 ……飲んでいいのだろうか。

 でもラティアは自分でも一口飲んでみせて、にっこり笑った。大丈夫、という意味だろう。

「Ni malŝparas tempon. Elbes estas ankoraŭ malproksima.」

 黒髪のニンゲンが先頭から振り返って苛立たしげに吐き捨てる。ユージアを一瞥して、露骨にため息をついた。

「Ĝi savis mian vivon, Ĵedo. Montru iom da respekto.」

 リューズの声が低く、静かに響く。ジェド?と呼ばれた黒髪のニンゲンは何か言い返しかけたが、結局舌打ちして前を向いた。

 それからも、歩いて、歩いて、霧が薄れ、ついに森が開けた。沈んだ夕日の忘れ物のような微かな明かりの下、遠くに確かに見える。大きな壁だ。結界の中とは違う無機質な匂いが、風に乗って漂ってくるような気がした。

 遠い昔の物語で読んだことがある。角や鱗を欲しがる生き物たちが住む場所。


 ニンゲンの、町だ。

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