2.ニンゲンたち
カシューが激しく結界を殴っている。余計なことをするなと叫ぶ声が聞こえる。
でも、でも!目の前で血を流して倒れている人がいる!
「だめだ!」
ユージアの両手から淡い金色の光が溢れる。温かい、いつもの感覚。治癒の力が指先から離れ、倒れたニンゲンへと流れていく。距離がある分、いつも以上の魔力を押し出す。届け!
ニンゲンの傷口が塞がっていく。血が止まる。折れた肋骨が軋みながら元に戻る音がした。
倒れていたニンゲンが目を見開く。日焼けした肌、束ねた茶色の髪。その男がユージアの方を振り向いた。
目が合った。
ニンゲンの瞳が大きく見開かれる。ユージアの頭の巻き角を見て、その口がぱくぱくと動いた。
「Kio...!? Kornoj!? Magia besto... ĉu... magulo...?」
男が信じられないという顔で立ち上がる。さっきまで死にかけていたとは思えない動きで大剣を構え直し、迫る魔物の爪を受け止めた。
もう一人のニンゲン、水色の髪の女が、こちらを見て何か叫ぶ。
「Rigardu, ĝi kuracis lin! ...Ĝi helpas nin?!」
何もわからない。言葉が、通じない。
「ユージア!!見つかっただろうが!逃げろ!」
結界の向こうからカシューの声が響く。でもユージアの目の前では、まだ血を流すニンゲンたちがいる。
ユージアは岩陰から身を乗り出した。カシューなら、きっと戦う。ぼくは、ぼくにできることをする!
突き出した両手から光が溢れる。ニンゲンたちが傷つく度に、その傷が閉じていく。
蜥蜴の魔物が咆哮する。三体目が地面を蹴って突進してきた。ユージアの方へ。
気付けば隠れていた岩から随分離れてしまっていた。体が凍る。足が動かない。
だが、茶色の髪のニンゲンが割り込んだ。大剣が弧を描き、魔物の顎を跳ね上げる。
「Restu malantaŭ mi!!」
何を言っているかわからない。それでも、あのニンゲンがユージアを庇ったのはわかった。
黒髪のニンゲンがメイスを掲げ、何事かを叫ぶ。炎の塊が魔物の腹を貫いた。水色の髪の女の声に光の膜が現れ、別の魔物の爪を弾く。
ユージアは岩陰に戻りながら、手を伸ばし続けた。治せ。治せ。誰も死んじゃだめだ。
どれくらい経ったのか、最後の魔物が倒れ、地面を震わせた。
静寂。荒い息遣いだけが響く。
ニンゲンたちが振り返る。三対の目がユージアを見ている。好奇心、警戒、驚愕。入り混じった視線。
ユージアの脚が動いた。結界へ。走る。今なら!
結界の壁に両手をつく。弾かれる。また弾かれる。何度やっても同じだ。
「……くそ、なんでだ。おい、ユージア、もう一回!」
「長老たちが言ってた!外からは入れないって!……ユージア、大丈夫、なんとかする。なんとかするから!」
ミルアの声が震えている。カシューの拳が結界の内側を叩く音が、どん、どん、と響いた。
ぱちん。ぱちん。ぱちん。何度触れても結界がユージアの指を弾く。まるで、おまえはもう外の者だ、と宣告するように、冷たく、容赦なく。
背後に足音が近づいてくる。複数。ユージアの耳がぴくりと動いた。
「Trankviliĝu. Mi ne volas vundi vin.」
茶色の髪のニンゲンが大剣を鞘に収め、両手を見せながらゆっくりと近づいてくる。敵意がないことを示しているらしい。多分。
「Ĝi ne povas trairi, ŝajnas... Rigardu, provas reiri!」
水色の髪の女が首を傾げながら、ユージアと結界を交互に見ている。
「ユージア、そいつらから離れろ。オレが……」
カシューの声が途切れる。結界の壁が二人を隔てている。どうにもできない。その事実がカシューの顔に刻まれていく。
「……カシュー、落ち着いて。あの子を怖がらせないで」
ミルアが結界の内側からユージアの目を覗き込む。
「ユージア、聞いて。こっちから方法を探すわ。だから今は、そのニンゲンたち、あなたを助けたでしょう?少なくとも今すぐ危険じゃないはず」
ユージアの目に涙が滲む。振り返れば、ニンゲンたちがじっとこちらを見ている。言葉のわからない危険な世界に、文字通り一人放り出されてしまった。
ぐっと涙をこらえた。泣けば二人が心配する。
唇の内側を噛む。目を閉じて、三つ数える。
いち。
に。
さん。
目を開けた時には、もう泣きそうな顔はしまってある。
ユージアは結界越しにカシューとミルアを見上げた。精一杯の笑顔を作って。多分ちょっと歪んでいるけど。
「……無理すんな」
カシューの声が低く割れる。金の瞳が怒りに燃えている。でもその怒りは、結界を、この状況を、そして何もできない自分自身を責めているようだった。
カシューは結界を挟んで、ユージアの目の前に立つニンゲンたちを睨みつけた。黒い翼が威嚇するように広がり、鱗の尾が地面を叩く。
「てめえら……ユージアに指一本でも触れてみろ。必ず殺す」
カシューの殺気を漂わせた低い声が結界越しに響く。
「Hmm... Ŝajnas, ke ĝiaj kunuloj estas sufiĉe protektemaj.」
黒髪のニンゲンが、結界の向こうのカシューを見て肩をすくめた。
「カシュー、来なさい。長老のところへ行くわよ」
ミルアがカシューの腕を引く。彼女の声は冷静さを取り戻そうとしていたが、カシューの腕を握る手には力がこもっている。
「……死ぬなよ。絶対だ」
カシューは最後の言葉を吐き捨て、ミルアに引かれて丘の向こうへ消えていった。
ひとりぼっちだ。
ユージアの背後で、砂利を踏む音がした。恐る恐る振り向くと、さっきの茶色の髪のニンゲンが数歩離れた場所にしゃがみ込んでいた。目線を合わせようとしている。
「...Hej. Ĉu ĉio en ordo?」
かけられた声に思わず身をすくめた。言葉がわからない。でも、その声は静かだった。




