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27.胸のうちに秘めたもの

 暗い、深い深い底に沈んでいく夢を見ていた。でも温かい。誰かの魔力が体の中を流れている。自分のものじゃない。馴染みのない魔力だ。弱々しく、不器用で、でも必死な。

 目を開けた時、最初に見えたのは霧だった。

 次にカシューの顔。真っ白だ。目を閉じている。息はある。胸が浅く上下している。

 ミルアも倒れていた。ジェドの膝の上に頭を乗せて。ジェドも座り込んだまま動かない。目は開いているが、焦点が合っていない。魔力を全部持っていかれた目だ。

「Juzia!」

 ラティアの声が降ってきた。泣きそうな声。ユージアの頭が膝の上にある。ラティアの膝だ。温かい光が途切れ途切れに注がれている。ラティアの回復魔法。限界まで使い続けてくれたのだ。目の下に隈ができている。

「Li vekiĝis! Rjuzu, li vekiĝis!」

「...!」

 足音。リューズが駆け寄ってきた。ユージアの顔を覗き込む。琥珀色の目が潤んでいる。いや、気のせいかもしれない。すぐにいつもの表情に戻った。

「Bone...bone. Vi vivas.」

 その一言に、どれほどの重さが乗っているか。声でわかる。

 ユージアは首を動かした。楔の石が視界の端に見えた。紋様が輝いている。安定した光だ。一つ目と同じ。いや、一つ目より強い。

 成功したのだ。

「Ĵedo donis sian magion al la ŝtono. Li tuŝis Miruan kaj...」

 リューズが言葉を探すように口を動かした。ジェドを指差して、それから楔を指差して。

「Li savis vin.」

 ジェドが助けてくれたんだ。足りない分を、ジェドが流し込んだのだ。ミルアに触れて、自分の魔力を楔に渡した。ジェドが倒れ込むのを見た気がする。だから今、あんな顔をしているんだ。

「...」

 ジェドが虚ろな目でゆっくりとこちらを見た。顔面蒼白で、唇に血の気がない。でも口の端が微かに持ち上がった。

「...Ĝi... funkciis.」

 掠れた声。それだけ言って、木の幹にもたれて動かなくなった。ミルアの頭を膝に乗せたまま。

「Ĵedo...! Li bezonas ripozon... ni ĉiuj bezonas...」

 ラティアの声が震えている。回復魔法を使いすぎて、彼女自身も限界が近い。

「Ni restos ĉi tie. Neniu moviĝas ĝis ĉiuj resaniĝos.」

 restos。リューズはここで休むつもりだ。みんな動けそうにない。

 霧の中で、川の音だけが静かに響いている。六人のうち、まともに動けるのはリューズだけだ。

 これで、残り一つ。

 どれくらい時間が経ったのだろう。霧が少し薄くなった気がする。川の音が変わらず流れている。ユージアはまだ体が重い。指先に力が入らない。でも意識ははっきりしてきた。

 カシューがまだ眠っている。呼吸は安定している。顔色が少しだけ戻っている。

 ミルアも動かない。ジェドの膝の上で静かに眠っている。ジェドは木の幹にもたれたまま、浅い眠りに落ちている。二人の姿が妙に自然で、まるで最初からそうだったみたいに見えた。

「Juzia, trinku.」

 ラティアが水筒を差し出してきた。彼女の目の下の隈が濃い。唇も乾いている。それでも笑顔を作っている。疲れているはずなのに、この人はすごい。

 水を飲んだ。冷たい。川の水だ。体の芯まで染み込んでいく。

「...」

 リューズは川岸の岩に腰かけていた。大剣を傍らに置いて。見張りだ。ずっとそうしていたのだろう。一人で。

 ユージアの視線に気づいて、振り返った。

「Juzia. Ripozu plu.」

 心配してくれている。でも、目が少し遠い。何か考え込んでいる。

「...La lasta kojno. Ĝi estas proksime al Velgrata.」

 Velgrata。ジェドが地図を見ながら言っていた、人間の町の名前だ。最後の楔がそこにある。リューズが川面を見つめたまま、独り言のように呟いた。

「Ĉu ni revenas al tiu urbo...?」

 声が低くなった。苦々しい声の響きだった。

「Ĝi estas la loko, kie ĉio ŝanĝiĝis por mi.」

 リューズの横顔が霧に溶けている。大きな背中が、一瞬だけ小さく見えた。

「...Rjuzu?」

 ラティアも気づいたらしい。心配そうにリューズを見ている。だが声をかけるのを躊躇っている。触れてはいけない場所があると知っているのだ。

 誰も動かない中で、川だけが流れ続けている。ユージアはリューズの横顔を見ている。霧に滲んだその輪郭が揺れている。Velgrata。最後の楔がある町。リューズにとって何かがある場所。

 聞きたい。でも言葉が届かない。いつものもどかしさが喉元に詰まる。

 ラティアが膝の上の水筒を握りしめたまま、リューズの背中を見つめていた。

「Li malofte malfermas la koron pri sia pasinteco.」

 ラティアが小さく呟いた。ユージアに向けてではない。独り言だ。でもユージアに聞こえる声で、自分の思いを共有するみたいに。

「Tamen, li ĉiam rigardas antaŭen. Ĉiam.」

 ラティアの目が少し赤い。疲れのせいか、感情のせいか。彼女はリューズを見ながら、そっと微笑んだ。

「...Latia. Vi ankaŭ ripozu.」

 リューズが振り返らずに言った。声だけが優しい。

「...Jes.」

 ラティアがユージアの隣に座り直した。肩が触れるほど近い。体温が伝わってくる。ニンゲンの体温は魔人より高いのかもしれない。とても、温かい。

 ラティアの疲れた瞳に光がある。ユージアの角に視線が移ると表情が柔らかくなった。

「Viaj kornoj... belas.」

 角を指差してbelasと呟く。ラティアが手を伸ばしかけて止めた。触れていいのか迷っているのか、手が宙で彷徨う。

 頭を差し出した。出会って間もない頃のように、撫でて欲しくて擦り寄った。

「...!」

 ラティアの顔がぱっと輝く。疲れが一瞬で消えたようだ。力のない指先がそっとユージアの巻き角に触れた。恐る恐る、やがて優しく撫でる。

「Hooo... glata... kaj varma...!」

 指が角の根元から先端へ丁寧になぞる。声が高揚している。楽しそうな声だ。

「Mi pensis ke ili estos malmolaj kaj malvarmaj, sed... ne! Ili vivas!」

 もう片方の手も伸ばす。両手で角を包み込む。指が首元のモコモコの毛に触れた瞬間。

「KIO ESTAS ĈI TIO!」

 叫ぶ。声が裏返った。

「Mola! Tiel mola! Rjuzu, Rjuzu, tuŝu ĉi tion!」

 リューズが振り返る。先程の暗い表情が呆れと微笑の間の何かに変わっていた。

「Latia. Li ne estas besto.」

「Mi scias! Sed! Sed!」

 ラティアの指がモコモコに埋もれ、離す気配がない。目がきらきらしている。疲労困憊のはずなのに、人間の回復力とはこういうものか。

「んぅ」

 カシューが身じろぎして目を薄く開ける。ラティアがユージアの首元に手を突っ込んでいるのを見た。

「……おい」

 低い声。金色の瞳が据わっている。

「何してんだ、ニンゲン」

 ラティアの手がぴたりと止まる。カシューの殺気に反応したのだ。だが手は離さない。離せないのだ。モコモコの魅力からは。

「ん……うるさいわね……」

 ミルアもジェドの膝の上で薄目を開ける。状況を一瞥してふっと笑った。

「いいじゃない。ユージアが許してるんだから」

 カシューが唸る。反論できない。ユージアが自分から頭を差し出したのだから。わかっている。だが気に入らない。

 ミルアがもう一度目を閉じかけて、自分がどこに寝ているか気付いた。ぱちりと目が開く。視線が下へ。自分の頭を支えているものの正体に気づき、表情が固まった。

 ジェドの膝だ。ミルアの頭はジェドの膝の上にある。彼は木の幹にもたれたまま眠っている。顔色は悪く呼吸も浅い。魔力を全て持っていかれたニンゲンの寝顔。だが穏やかだ。

 ミルアは動かなかった。

 尾が一度だけぴくと跳ねた。それだけだ。

 数秒。ミルアがジェドの寝顔を下から見上げた。黒髪が額に落ち、眼鏡がずれ、痩せた頬と魔力切れで青白い唇がそこにある。このニンゲンは足りなかった分をミルアを通して楔に注いだのだ。体に触れ、命を削って。

「……馬鹿ね」

 囁き声はジェドには届かない。

「ニンゲンの癖に」

 ミルアがそっと体を起こす。ジェドの膝から離れる時、指先がその手に一瞬触れた。意図的か無意識か、本人も気付いていないようだった。

 起き上がり、髪を整える。何事もなかったかのように。だが尾だけがふわふわと揺れていた。嘘をつけない尾だ。

「……動いてるぞ」

「何が」

「いや、別に」

 カシューが目を逸らす。賢い選択だ。ミルアを怒らせると怖い。

「ユージア」

 ミルアがこちらを見る。目が据わっている。

「あなたも、何も見てないわよね」

「見てないよ」

「……よろしい」

 ミルアの尾がぶんと一振り。不機嫌なのか照れているのか。多分後者だ。だが指摘したら反撃が怖い。ユージアはこっそり笑った。

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