24.ニンゲンを襲うニンゲン
目が覚めた時、辺りはまだ薄暗く、空の端だけが白み始めていた。体が軽い。魔力が戻ってきている。完全にではないが、昨日のような空っぽの感覚はもうない。
「……ん」
カシューが隣で身じろぎした。翼がばさりと開いて、冷たい朝の空気がユージアの肌に触れた。
「……朝か」
金色の瞳が薄く開いて、まずユージアを確認した。それから周囲を。定位置確認だ。
「おはよう、二人とも」
ミルアはもう起きていた。単語帳を膝の上に広げて、焚き火に新しい枝をくべている。顔色はすっかり戻っている。
「Bonan matenon! Mi kuiris kaĉon!」
ラティアが鍋を掲げた。粥だ。湯気が立ち上っている。
「Ni manĝu rapide kaj ekiru.」
リューズは岩の上で腕を組んでいた。疲れた様子はない。ユージアと目が合って、昨夜の延長のように、軽く頷いた。
「……あいつ寝たのか?」
「夜中にジェドと交代していたみたい。何時間かは眠れたんじゃないかしら」
「そうか……」
少しだけ、ほんの少しだけ、カシューの目に感心の色が浮かんだ。
「Bonan matenon, Latia.」
起きるのを待ち構えていたように、ラティアが微笑みながら粥のお椀を差し出した。温かい。
「Dankon.」
「Bonan matenon, Juzia! Ne dankinde!」
ラティアが満面の笑みで手を振った。木の匙を一本、粥と一緒に渡してくれる。
粥は麦と干し肉を煮込んだもので、塩気が効いている。空っぽの体に沁みる温かさだ。
「……」
カシューが無言で粥を受け取った。ラティアが差し出した時、一瞬だけ目を合わせて、視線を逸らした。礼は言わない。でも手は受け取っている。昨日よりほんの少し、動作が柔らかい。
「La rivero-vojo estas pli danĝera ol la monteto. Estas raportoj pri rabistoj en tiu regiono.」
ジェドが粥を啜りながら地図を広げた。南への川沿いの道筋を指で辿る。顔が険しい。
「Rabistoj, ĉu?」
「Lastatempe, jes. Kelkaj karavanoj estis atakitaj.」
リューズが顎に手を当てた。考え込んでいる。
「……ユージア」
ミルアがユージアの隣に座った。声を落として。
「次の場所へ向かう道に何かが出るかもしれないって。rabistoj、まだ聞いたことない単語だけど、あの黒髪の子の顔見て。あんな険しい顔するってことは、魔物じゃないわ。ニンゲンよ。悪いニンゲン」
「悪いニンゲン?」
カシューの匙が止まった。金色の瞳が鋭くなる。
「ニンゲンがニンゲンを襲うのか」
「全員がこの人たちみたいなわけじゃないってこと」
カシューが鼻を鳴らした。やっぱりな、と言いたげに。
「Ni iros kaŝe. Evitu la ĉefvojon.」
リューズが立ち上がった。
「Juzia.」
ユージアに向き直り、森の木々を指差して、それから口元に人差し指を当てた。静かに。
「Mi... komprenas」
真似をして口元に指を当てる。
「Bone!」
リューズが笑った。白い歯が朝日に光る。ユージアの真似が可愛かったのだろう。それから全員を見渡し、荷物をまとめるよう手振りで示した。
野営の痕跡を消す作業は手早かった。リューズが焚き火に土をかけ、ジェドが鍋を片付け、ラティアが毛布を丸める。慣れた動きだ。何十回も繰り返してきた旅の朝。
カシューがそれを黙って見ていた。学んでいる目だ。次からは手伝う気だろう。
「さて」
ミルアが外套を整えた。翼をできるだけ覆い隠す。
「静かに行くのはわたしたちも得意よ。魔物を刺激しないよう暮らしてきたんだもの」
「オレは静かにするのは得意じゃねえ」
「知ってるわ。だから努力して」
カシューが舌打ちした。黒い翼を外套の下にきつく畳み込む。窮屈そうに肩が上がった。
六人が森の中に踏み込んだ。リューズが先頭。ジェドが最後尾。ユージアたち三人を挟むような隊列だ。川沿いの街道を避けて、霧の漂う森で野宿をし、獣道を縫うように、南へ。
数日歩くと森の様子も変わり、木々が密になった。その間に焚き火の囲み方や朝の準備にも無駄がなくなり、カシューも時々小さな声でニンゲンたちに返事をするようになった。
道行く足元に苔が増え、水の匂いがする。川が近い。
リューズが拳を上げた。全員止まれ。
「……」
リューズの目が森の外側、街道の方向に固定されている。大剣の柄に手がかかった。何か聞こえたのだ。ユージアにも聞こえた。枝を踏む音。一つじゃない。複数の重い足音だ。
「……来たな」
カシューの声が低い。ユージアの前に立った。金色の瞳が霧の向こうを射抜いている。
ニンゲンとニンゲンの戦いがどう決着するのか、ユージアは知らない。行動不能になるまで?どちらかが死ぬまで?どう行動すればいいのかわからずリューズを見つめる。
リューズがユージアの視線に気づいた。一瞬だけ振り返り、口元に指を当てた。何度も見た同じ合図。静かに。それから手のひらを下に向けて押し下げた。伏せろ。
リューズの目は冷たかった。さっきまでの穏やかな茶色じゃない。戦いを知る目だ。
「伏せろって」
カシューがユージアの肩を押し下げた。茂みの影に。ミルアも既にしゃがんでいる。
前方の音が近づいてくる。足音が三つ、四つ。枝を折る音に混じって、金属がぶつかる音。武装している。
「Ĉi tie devas esti la karavano-vojo. Mi vidis spurojn.」
「Atendu. Mi aŭdis ion.」
茂みの向こうに人影が見えた。革鎧。手斧。短剣。冒険者ではない。装備がちぐはぐだ。盗品だろう。四人、いや、五人。
「……」
リューズは大剣を抜かなかった。代わりに片手でジェドに合図した。ジェドが頷き、メイスを握り直す。ラティアが唇を湿らせる。詠唱の準備だ。
やり過ごせるかもしれない。向こうが気づかなければ。
だが。
風が吹いた。ユージアの外套のフードが、ふわりと浮いた。ブカブカのフードが風をはらんで揺れる。黒い巻き角、フワフワの金色の髪の毛…
「Kio?!」
目が合った。先頭の男と。髭面の、目つきの悪い男と。
「MAGIA BESTO?!」
男が手斧を構えて叫んだ。仲間が一斉に武器を抜く。
「ちっ!」
カシューがユージアの前に立ちはだかった。外套が翻り、黒い翼が広がる。
「Malantaŭen!!」
リューズの大剣が鞘から解き放たれた。鈍い金属の音。リューズが盗賊たちとユージアの間に割り込む。背中が壁のように視界をふさぐ。
「Ĵedo, nun!」
「《Rapide kuru, fariĝu klingo!》」
風の刃が先頭の盗賊の足元を抉った。牽制だ。盗賊たちが一歩後退る。
「Diable! Kio diable estas tio? Ĝi aspektas kiel homo! Rigardu, rigardu la kornojn!」
恐怖と欲が入り混じった目がユージアとカシューを交互に見ている。
「Kornaj bestoj! Kaj la flugiloj! Ĝiaj partoj valoras fortunon!!」
盗賊たちがこちらに向かってニヤついた笑みを浮かべた。




