23.それぞれの交流
ぱちぱち。ぱち。
木の爆ぜる音が最初に聞こえた。それから肉の焼ける匂い。
ユージアの意識が浮上する。体が重い。まだ魔力が完全には戻っていない。瞼を持ち上げると夕暮れだ。空が深い橙色に染まっている。
「……起きたか」
すぐ傍から声がした。カシューだ。
カシューの顔色はまだ少し白い。でもさっきよりましだ。金色の瞳がユージアの顔を覗き込んで、確認するように細められた。
「丸一日寝てたぞ」
「あら、おはよう」
焚き火の向こう側からミルアの声がした。ジェドの隣に座っている。二人の間に地図が広げられていてミルアが手元で何か書き込んでいる。ニンゲン語の単語帳らしい。ジェドが指差しながら発音している。
「...rivero. Ri-ve-ro.」
「Ri...vero.」
「Bone.」
ラティアが焚き火の傍で何かを焼いていた。ユージアが目を開けたのに気づいて、ぱっと顔を輝かせた。
「Juzia! Bonvenon reen! Ĉu vi malsatas?」
串焼きを一本、ユージアに向かって差し出した。香ばしい湯気が立ち上っている。
「Latia, lasu lin vekiĝi unue.」
リューズはジェドの隣で大剣を膝に置き、革で磨いている。穏やかな声だった。目がユージアを捉えて小さく頷いた。
「Saluton, Juzia. Ĉu vi fartas bone?」
「Jes...」
体調を聞かれているようで、ユージアも応えて頷いた。
「……あいつらが飯作ってた。食えるか?」
カシューが串焼きを顎で示した。ぶっきらぼうだが自分の分が既に一本減っているところを見ると、もう味見は済んだらしい。
「寝ちゃってた」
「当たり前だ。あんだけ持ってかれたんだから」
カシューがユージアの巻き角の付け根を軽く小突いた。乱暴なようで、力は入っていない。
「オレも少し寝た」
嘘だ。目の下の隈が物語っている。ずっと起きてユージアの様子を見ていたのだろう。
「はいはい、少しね」
ミルアが焚き火の向こうから呆れた声を投げた。単語帳から顔を上げて。
「ユージア、食べなさい。魔力の回復には栄養が要るの」
ラティアが再び串焼きを差し出してきた。ユージアの手に半ば押し付けるように。
「Manĝu, manĝu! Vi bezonas forton por morgaŭ!」
一口かじる。鳥肉だ。塩と何かのハーブで味付けされている。素朴だけど美味しい。空っぽの体に染み込んでいく。
「La sekva punkto estas sude, laŭlonge de la rivero.」
ジェドがミルアに地図を示しながら言った。南の川沿いを指で辿る。ミルアが頷いてユージアに振り返った。
「次は南ですって。ここより遠いみたい。丸三日はかかるかも」
「……また同じだけ吸われんのか」
カシューが骨を火に放り込んだ。不安を隠しきれない声だ。
「そうね。だから明日までしっかり回復しないと」
火がぱちりと弾けた。夜が近い。星が一つ、二つと空に滲み始めている。
六人が焚き火を囲んでいる。ニンゲンが三人、魔人が三人。同じ火で焼いた肉を食べている。こんなの誰が想像しただろう。そのくらい奇妙だった。
カシューはユージアとリューズの間に座ると言い張って譲らなかった。ミルアはジェドの隣で単語帳を広げたまま、時折ジェドに質問している。ラティアは誰の隣でも気にしないというより、全員に串焼きを配って回るのが楽しそうだ。
「Kaŝu, ĉu vi volas pli?」
ラティアがカシューに追加の串焼きを差し出した。
「……」
カシューが串を見た。ラティアを見た。串を見た。
「……もらう」
ぶっきらぼうに受け取った。ラティアが意味は分からずとも笑顔を返す。
「Heh.」
リューズが手を止めて、小さく笑った。カシューの耳が動いて、リューズの方を睨んだ。
「Mirua. Ĉi tiu vorto, Fuĝu. Ĝi signifas...」
ジェドが地面に枝で文字を書きながら、ミルアに単語を教えている。それだけでは伝わらないと判断したのか、ジェドは一度立ち上がり、大袈裟に背を向けて駆け出す真似をした。
「Fuĝu...」
ミルアが復唱した。ジェドが頷く。
「ユージア、あなたも覚えなさい。Fuĝu。逃げろよ」
「逃げる?オレがいるんだから覚えなくていい」
「ばか言わないの」
枝を放り投げ、ジェドは焚き火を見つめた。
「Batalado ne estas la nura vojo por transvivi.」
ぱちぱちと火が弾ける。星が増えた。空が暗い紺色に変わっていく。
食事が終わり、火が熾火に変わる頃。リューズが伸びをして立ち上がった。
「Mi gardos la unuan noktovicon. Ĵedo, vi estas la dua.」
「Komprenite.」
ジェドが欠伸を噛み殺しながら頷いた。単語帳をミルアに手渡して、少し躊躇している。
「...Studadu, se vi volas.」
ミルアが受け取った単語帳をめくるのを見て、ジェドはさっさと毛布に潜り込んだ。
「見張りだろ。オレもやる」
「あなたは寝なさい。魔力回復が先」
「だがこいつらだけに任せて……」
「カシュー」
ミルアの声が静かに、しかし有無を言わさぬ響きで落ちた。
「このニンゲンたちは今日一日、動けないわたしたちを守ってくれていたわ。いいかげん信じてあげなさい」
カシューが唇を噛んだ。金色の瞳がリューズの背中を追う。焚き火の向こうで、リューズが岩に腰かけている。夜の森を見渡すその横顔は真剣だった。警戒している。ユージアたちではなく、外から来る何かに対して。
「……少しだけなら」
低く呟いて、ユージアの隣に横たわった。黒い翼がユージアを覆うように広がる。即席の毛布だ。
「何かあったら起こせ。絶対に」
それきり黙った。数分後には深く寝息を立てている。限界だったのだ。
「Bonan nokton, Juzia.」
ラティアが毛布の中から手を振った。白い指がひらひら。すぐに寝息に変わる。
夜の森に、虫の声と熾火の音だけが残った。リューズの背中が暗闇に溶けている。大きくて、静かで頼もしい背中だ。
眠れない。いや正確には、一度浅く眠って目が覚めてしまった。体は重いのに、頭の芯が妙に冴えている。楔に魔力を注いだ余韻がまだ骨の奥でじんじんと震えているのだ。
カシューの翼が温かい。規則正しい寝息が背中に当たる。ミルアは少し離れた場所で丸くなっている。ライオンの尾が時折ぴくりと動く。夢を見ているのだろうか。
ユージアは寝床から抜け出した。そっと。カシューの翼を持ち上げないように。
熾火が赤い。その向こうにリューズがいた。岩に腰かけたまま、夜の森を見ている。大剣が膝の上に横たわっている。
リューズの横顔が、熾火の光で縁取られていた。動かない。でも起きている。瞬きが規則的に繰り返されている。
ユージアの動きに気づいたのだろう。リューズがゆっくりと振り向いた。
「...Juzia?」
声が低く、静かだった。夜の空気を壊さない程度の音量。
「Kial vi ne dormas?」
眠れないのか聞いているようだ。リューズが隣の岩を軽く叩いた。座れ、という意味だ。
熾火がぱちりと小さく弾けた。森の虫が鳴いている。カシューの寝息。ミルアの寝息。ラティアの寝息。ジェドの寝息。六人のうち、今起きているのは二人だけだ。
リューズがユージアの顔を見下ろした。心配そうな、でもそれだけではない。何か考えている目だ。
「Kiam vi tuŝis la kojno-ŝtonon, ĉu ĝi doloris?」
リューズが自分の手のひらを見せて、それから顔を歪めてみせた。
「Doloris?」
手のひらを見ながら顔をしかめた。痛い?かな。
「Ne.」
リューズがユージアの返事に、ふっと息を吐いた。安堵の音だ。
「Bone. Ne doloras. Bone.」
リューズが頷いて、自分の手のひらを握ったり開いたりした。それから熾火を見つめた。しばらく沈黙が流れる。虫の声と、木の燃え殻が崩れる音だけ。
リューズが不意に口を開いた。
「Juzia.」
ユージアの名を呼んで、自分の胸に手を当てた。
「Vi faris bone. Mi fieras pri vi.」
ゆっくりと、一語ずつ区切るように。ユージアに伝わるように。褒めてくれている。断片的にだけどわかる。これまでずっと、沢山話しかけてくれたおかげだ。
リューズの目が熾火に照らされて琥珀色に光っている。嘘をつく目じゃない。
ああ。この人は本当にいい人だ。
「Do, dormu. Vi estas sekura.」
リューズが岩の上からユージアの頭をぽんと叩いた。角を避けて毛のもこもこした耳の間を。
カシューの寝息が背後で聞こえる。ミルアの尾がぴくりと動く。ラティアが寝返りを打つ衣擦れの音。
眠れそうだ。体がゆっくりと重くなっていく。岩の上は冷たいけど、熾火が温かい。リューズが起きている。大丈夫だ。
「...Bonan nokton, malgranda.」
「...bonan nokton, Rjuzu.」
リューズの口元がふわりと緩んだ。名前を呼ばれたことが嬉しかったのかもしれない。
ユージアは岩から滑り降りて、カシューの隣に戻った。黒い翼が無意識にもぞりと持ち上がって、ユージアを迎え入れるように開く。潜り込むと、温かさが包み込んだ。
意識が遠のいていく。今度の眠りは深い。楔の余韻ももう静かで……。




