15.iru、行け!
狩人たちの目が変わった。恐怖と欲望。彼らが目にしているのは、ただ素材を剥ぐためだけの魔獣じゃない。詠唱もなく発動する治癒魔法。角。ニンゲンによく似た姿。その価値を計算している顔だ。
「Kaptu ĝin viva! Pli da mono, se viva!」
叫んだ瞬間、三人同時にユージアに向かって走り出した。
「Venu al mi, kanajloj!!」
リューズが割り込んだ。肩の傷は治っている。大剣が横薙ぎに振るわれ、先頭の男が吹き飛んだ。肋骨が折れる音がした。
「《Rapide kuru, fariĝu klingo!》」
風の刃が二人目の足元を抉った。土煙が上がる。
「《Sankta ŝildo, ĉirkaŭu nin!》」
ラティアがユージアの前に立った。淡い光の膜がユージアを覆う。矢が一本、光にぶつかって弾かれた。
一人が倒れ、一人がよろめき、でもまだ三人が弓を構えている。
「ユージア、帰ってこい!!今すぐ!!」
カシューが結界を殴り続けている。どれだけ力任せに叩き続けているのか、拳から血が滴っている。ミルアがカシューの腕を掴んでいる。
「ユージア!」
ミルアの声が響いた。リューズたちが戦ってる。
ユージアの手がまだ光っている。金色の、柔らかい光。
逃げるか。戦場に留まるか。結界越しに触れれば帰れる。でも。
「あなたが狙われてるのよ!あのニンゲンたちも、あなたが戻れば戦う理由がなくなるの!」
ミルアの声が、戦場の喧噪を切り裂いた。冷静で、正しくて、痛いほど的確だった。
そうだ。ぼくが、ぼくの角が、この戦いの原因なんだ。
ユージアが結界の中に消えれば、狩人たちは追えない。リューズたちを傷つける理由もなくなる。
「Iru! Nun!」
ジェドが叫んだ。風の刃を放ちながら、石柱の間を指差す。
「Iru hejmen, ŝafido!」
ジェドの叫び声に、リューズが大剣で矢を弾きながら振り返った。血と汗にまみれた顔が笑った。
「Ni fartas bone! Iru!」
みなが言う。iru、行け!
ユージアの足が動いた。石柱に駆け寄る。カシューの手のひらに向かって手を伸ばす。結界の膜に指先が触れた。沈む。昨日は弾かれた壁が、ここでは水面のように揺れている。
反対側から、カシューの手が突き出てきた。血まみれの拳。ユージアの手首を掴んだ。
「掴まえた!!」
引っ張られる。体が膜を通り抜ける。ぬるい水をくぐるような感覚。耳が詰まって、世界の音が遠くなって。
そして。
霧が晴れた。空気が変わった。肌のぴりぴりが消えた。
結界の内側だ。
「ユージア!!」
ミルアが抱きついてきた。緑の翼がユージアを包む。カシューの腕がその上から重なる。きつい。息ができないほどきつい。
「……馬鹿。馬鹿。遅ぇんだよ……」
カシューの声が震えていた。
帰ってきた。
カシューとミルアの腕の中で、ようやく息を吸った。この空気。霧のない、澄んだ空気。結界の内側の、甘くて穏やかな香り。
でも。
ユージアは振り返った。結界の膜の向こうが見える。
リューズが戦っている。ラティアの盾が光っている。ジェドの詠唱が響いている。まだ終わっていない。
「見るな。お前の仕事は終わった」
カシューがユージアの頭を胸に押し付けた。見せまいとしている。だが、ユージアは腕の間から見続けていた。
結界の向こうで、狩人の一人が叫んだ。
「La kornulo malaperis! Sed rigardu! Drako! Kaj grifo!」
狩人たちの目がギラつく。ユージアがいた時よりもさらに貪欲に輝き出した。黒い翼のカシューと、緑の羽を持つミルアを見ている。
「Novaj oraj ovoj! Ĉi tiu loko estas trezorejo!」
狩人たちが、明らかに獲物を仕留めようと武器を構え直したその時、ジェドが大きく踏み込んだ。
「Tro avida!《Brulu, gula lango!》」
詠唱と共に放たれた炎の塊が、狩人たちの目の前で爆ぜた。熱風が顔を焼く。狩人たちが悲鳴を上げて後ずさる。
「Retiriĝu! Foriru de ĉi tie!」
リューズが叫んでいる。ユージアたちに。
「……私たちのせいだわ」
ミルアが唇を噛んだ。自分たちの姿が、狩人たちをさらに刺激してしまった。
「……チッ」
カシューがユージアをミルアに預け、一歩前に出た。結界のすぐ内側で、狩人たちを睨みつける。
黒い翼が威嚇するように大きく広がる。だが、それは狩人たちにとっては、より価値のある獲物に見えるだけだった。
帰ってきた。でも、安全じゃない。結界は内側からの攻撃を通さない。外側からの矢も通さない。完全に遮断された世界。そして、リューズたちはまだ外にいる。
「あいつら、オレたちを見て興奮してやがる」
カシューの声に殺意が滲んでいた。翼をばさりと畳んで、ユージアとミルアを背中に庇った。
「離れるわよ。わたしたちの姿が見えなくなれば、あのニンゲンたちも冷静になる」
ミルアがユージアの手を引いた。森の奥へ。結界から離れる方向へ。
ユージアの足が止まった。結界の向こうを見ている。リューズが大剣を振るう。ラティアの盾が矢を弾く。ジェドが詠唱を唱え続けている。
リューズがまた肩を庇っている。さっき治したはずなのに。
「ユージア。来い」
「……あのニンゲンたち、強いわ。大丈夫よ」
ミルアの声は優しいけれど、目は結界の外を注視していた。冷静に戦況を見ている目だ。
その時、ジェドの声が響いた。
「《Skuu, disrompu, revenu al la tero!!》」
地響きと共に地面が波打ち、狩人たちの足元が砕け散った。爆ぜるように舞い上がった土砂が、狩人たちの視界を奪う。
「Retiriĝu!」
リューズがユージアに向かって叫んだ。
ユージアの体が浮き上がる。結界から離れるように駆け出したカシューに抱えられながら、それでも結界の外を見ていた。砂塵と霧で視界が悪い。狩人たちが結界に駆け寄ろうとした時、霧喰いの低い唸り声が響いた。三つ目の獣が霧の中から姿を現す。一匹。二匹。三匹。
狩人たちの足が止まり、後退していく。
リューズたちの背中が遠ざかる。無事だ。きっと。
「……ここまで来たら大丈夫だろう」
地面に降ろされたユージアの肩に、カシューの手が触れた。重くて、温かい。
「……あのニンゲンたち、怪我をしていたわね」
ミルアの声が静かだった。結界の方を見つめたまま、尾がゆっくりと揺れている。
「……助けに行けないのが、もどかしいわ」
ユージアは立ったまま動けなくなっていた。ほっとする、ということができない。胸の奥で何かがずっとぐるぐる回っている。
リューズが血を流していた。ラティアが盾を張り続けていた。ジェドが何回も叫んでいた。みんな、ぼくのせいで戦ったのだ。
「……おい。座れ」
カシューがユージアの背をぽんと叩いて、近くの切り株に座らせた。自分もその横に腰を下ろす。翼がばさりと畳まれて、背中がちょっとだけ窮屈そうだった。
「あのニンゲンたちは強かったわ。五対三で持ちこたえたんだもの」
ミルアが水筒をユージアに差し出した。
「……あの女、防御魔法を使ってたな」
カシューが腕を組んだ。金色の瞳が森の一点を見つめている。何か考え込んでいる顔だった。
「あいつらの魔法は遅い。だが、連携は悪くなかった」
ぶっきらぼうな口調だけど、励まそうとしてくれているらしい。
「……ねえ、ユージア」
ミルアがユージアの隣にしゃがんだ。目線を合わせてくる。夜色の瞳がまっすぐユージアを映している。
「あの人たちのこと、心配?」
うん、と頷くより先に、涙がぽろっと落ちた。帰ってこれて嬉しいのか、リューズたちが心配なのか、ぐちゃぐちゃで自分でもよくわからない。
ミルアは何も言わず、ユージアの頭をそっと抱き寄せた。




