8. 面倒な舞踏会
キエド王国では、十五歳になると魔力を持つ者は三年間、魔法学園へ通うことが義務付けられている。
そして毎年、入学前の顔合わせとして――新入生と上級生が一堂に会する大規模な舞踏会が開かれる。
……正直、面倒でしかない。
胸の奥がじんわり重くなる。足取りまで鈍りそうだ。
華やかな場より魔法陣の前の方が、よほど落ち着くのに。
入学式があるのだから、舞踏会など必要ないのでは――と、私は本気で思っている。
そう思えば思うほど、胸の重さは増していく。
だが、王族の厚意で王宮が貸し出されている以上、粗相は許されない。
お母様とカイトからのプレッシャーは、もはや拷問レベルだ。
胸の奥がじわじわと重くなる。
しかも今年は、王太子殿下や公爵家の子息たちも入学するらしく、社交界では例年以上に注目が集まっているという。
十五歳から正式に婚約が可能になるため、令嬢たちはこぞって“未来の旦那様候補”を探しに来るらしい。
「あなたも頑張りなさい!」
お母様はそう言ったが、私は笑って誤魔化した。
――そんな戦場に巻き込まれてたまるものか。
これは舞踏会ではなく、令嬢たちの“婚活戦線”だ。
生半可な気持ちで踏み込める場所じゃない。
私にとっての舞踏会は、初めての王宮で“美味しい料理を食べる日”である。
そうでも思わなければ、気持ちが折れてしまいそうだった。
*
「フローラ! 待ってたわよ!」
会場に入ると、アーシャが小走りでやってきた。
令嬢の“走り”なので、優雅な早歩き程度だが――その姿を見た瞬間、張りつめていた肩の力がふっと抜けた。
この子は、数少ない“私の素を知っても離れない友達”だ。
今日ほど、その存在が心強く感じたことはない。
「あなた……びっくりよ。とっても素敵ね! こんなにドレス映えするのに、普段は引きこもりだなんて勿体ないわ〜」
「ありがとう。でも一言多いわよ。私は社交より魔法研究第一なの!」
「えー? 褒めてるのに〜」
アーシャは扇で口元を隠しながら笑う。
深紅のドレスが彼女の美貌とスタイルを引き立て、十五歳とは思えない色気を放っていた。
……この子、黙っていれば完璧な令嬢なのに。
そう思った瞬間、アーシャが鋭い視線を向けてきた。
「今、失礼なこと考えたでしょ?」
「まさか〜」
誤魔化すと、アーシャは気にした様子もなく言った。
「お腹すいちゃった。何か食べに行かない?」
「行く!」
元からそのつもりだった私は、即答した。
アーシャも 婚約者探しより食と魔法研究の仲間である。
本当に、良い友達を持ったものだ。
*
「あ〜美味しかった!」
王宮の料理は、どれも絶品だった。
サラダ、メイン、デザート……すべてが完璧。
胃も心も満たされていくのが分かる。
「本当ね。家の料理も好きだけど、王宮はやっぱり格が違うわ」
アーシャも満足そうに答える。
満腹になった私たちは、壁際の休憩用の椅子に腰掛けた。
「それにしても……王宮の舞踏会広間って、豪華すぎない? キラキラしすぎて目が痛いわ」
私が言うとアーシャも周りを見渡して同意する。
「ふふ、本当よね。調度品も一級品ばかりで、近づくのも怖いわ」
確かに、壊したら人生が終わる気がする。
できるだけ距離を置こう。
「そういえば、玄関ホール横に展示コーナーがあるらしいわよ。何が展示されているか知ってる?」
「え? フローラ見てないの? 私は早めに来たから見たけど……とっても素晴らしかったわ。王族に伝わる宝石や魔法道具が展示されていたの」
「……魔法道具?」
私は目を見開いた。
胸の奥で何かが弾けた。
心臓が跳ね、指先がじんと熱を帯びる。
その単語だけで、頭の中の優先順位が一瞬で塗り替わる。
「ええ。火・水・土・風、すべての力が込められた伝説のSS級魔法道具よ」
――知ってるなんてもんじゃない。
文献で読み、死ぬまでに一度は見たいと思っていた国宝だ。
心臓が跳ねる。息が熱くなる。
「なんでもっと早く言ってくれなかったの!? 私行ってくる!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
アーシャの制止も聞かず、私は立ち上がり、展示コーナーへ走り出した。
*
会場は広く、ドレスでは走りづらい。
さらに、やたらと声をかけられるのでイライラが募る。
……いや、違う。
ここは顔合わせの場なのだから、会話するのが普通なのだ。
可笑しいのは私の方だ。
ダンスの誘いもやんわり断りながら進んでいると、また一人の男性が近づいてきた。
「はじめまして。ハワード侯爵家嫡男、エリック・ハワードと申します。少々お時間よろしいでしょうか?」
逃げられない。
私は礼を取った。
「はじめまして、ハワード様。クレヴェルト伯爵家長女、フローラ・クレヴェルトと申します」
「クレヴェルト家のご令嬢でしたか。かの有名な深窓の令嬢とお会いできて嬉しいです」
……有名? 深窓?
誰よ、それ。私の知らない“別のフローラ”でも存在しているのかしら。
胸の奥がざわつく。妙な誤解が広まっている気がする。
訂正しようとした瞬間、彼は手を差し出した。
「宜しければダンスを。美しい貴方と踊る名誉を、私に」
周囲から黄色い悲鳴が上がる。
――なるほど、モテるタイプね。
だが私は丁寧に微笑んだ。
「お声がけいただきありがとうございます。あいにく体調が優れないため、休憩しようと思っておりました。また機会がありましたら、ぜひ」
「そうでしたか。では、私が休憩所まで――」
「お気遣いなく。ひとりで大丈夫です」
さすがに諦めたのか、彼は手の甲にキスをして去っていった。
……気障な人だ。
でも、悪い人ではなさそう。
ただ、今はそれどころじゃない。
ようやくダンスホール中央に辿り着くと、そこは人で溢れていた。
輪の中心には、王族の紋章を纏った男性――恐らく王太子殿下。
令嬢たちが群がり、彼は笑顔ながらも明らかに疲れていた。
――お気の毒様。
通り過ぎようとした瞬間、王太子殿下と目が合った。
ロイヤルブルーの瞳。
視線が触れた瞬間、空気が一瞬だけ揺れた気がした。
一瞬、あの少年の顔が脳裏をよぎる。
……違う。
彼は黒髪だった。それに男爵家の出だ。
それでも、胸の奥がわずかにざわついた理由は分からない。
私は軽く会釈し、同情の視線を送って通り過ぎた。
そこからは人も減り、スムーズに展示コーナーへ辿り着いた。
「こ、これが……伝説の魔法道具……」
目が潤む。
何百年も前に作られたとは思えないほど、輝きは失われていない。
精巧で、美しく、圧倒的だった。
その美しさに胸の奥がじんと熱くなり、言葉が出ない。
ただ見惚れるしかなかった。
息をすることさえ忘れそうになる。
しばらくその場に立ち尽くし、ただ輝きに見惚れていた。
――どれほど時間が経ったのだろう。
ようやく周囲の気配が耳に戻ってきた頃、
同じく魔法道具好きらしい男性と少し話したが……正直、内容は覚えていない。
魔法道具に夢中で、失礼な態度を取っていないかだけが心配だ。
結局、私は舞踏会が終わるまで展示コーナーに居座り、
痺れを切らしたアーシャに引きずられて帰ることになった。
8話を読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、フローラが“舞踏会”という華やかな場に放り込まれながらも、
結局は 魔法道具への情熱がすべてを上書きしてしまう回 でした。
社交より研究、恋より魔法──
そんな彼女らしさが強く出た一話だったと思います。
次回は、今回の舞踏会で出会った人々が、
フローラの学園生活にどう影響していくのかが動き始めます。
引き続き見守っていただけたら嬉しいです。




