5.青い瞳が落とした色
「サーデル侯爵令嬢。先ほど、貴女がご友人と話していた内容……聞こえていましたよ」
「っ……はい? 何の話ですの?」
レイチェルの喉がひくりと動き、扇子を握る指先がわずかに震えた。
一瞬だけ顔色が揺らいだが、すぐに作り物めいた笑みを貼りつける。
フランクは淡々と告げた。
「サーデル領からクレヴェルト領へ、領民が流れているそうですね」
「っ!!」
レイチェルの顔がはっきりと歪む。
「原因は、サーデル領主――貴女のお父上の悪政だとか。それを逆恨みした貴女は、フローラ嬢に近づき、弱みを探した。そして彼女の“変わった趣味”を利用して、周囲に噂を流した」
「なっ……! いい加減なことを……!」
「それだけではありません。クレヴェルト嬢の良い評判を疎ましく思い、“社交界に戻れないほどのトラウマを与えたい”とも話していましたね」
ロイヤルブルーの瞳が細まり、冷たい光を宿す。
「う、うるさい! 男爵家の分際で……!」
レイチェルが扇子を振り上げた。
――いけない!
足が勝手に前へ出た。
怖い。それでも、誰かが傷つくのはもっと嫌だった。
このままではフランクが叩かれる。
彼は微動だにせず、覚悟を決めたように立っている。
胸の奥がぎゅっと縮む。
考えるより先に、身体が動いていた。
私は咄嗟に彼の前へ飛び出した。
バチンッ!!
視界が一瞬白く弾け、頬の内側に鉄の味が広がった。
右頬に焼けつくような痛みが走り、呼吸が一拍遅れる。
身体が弾かれ、地面に倒れ込んだ。
「い、痛っ……」
頬と尻がじんじんと熱を持つ。
レイチェルは“しまった”という顔で固まっていた。
「ちょ、ちょっと貴女! なぜ前に出てきたんです? 貴女が叩かれることはないでしょう!?」
フランクが慌てて屈み込み、私の肩を掴む。
赤く腫れた頬を見て、顔を歪めた。
「いえ……私のために、見ず知らずのあなたが叩かれるなんて……。巻き込んでしまって、申し訳ありません」
「はぁ……君は伯爵家だろう? 男爵家の僕が代わりに叩かれれば、それでいい」
その言葉に、胸がカッと熱くなる。
「身分なんて関係ありません! “下の者は罰を受けていい”なんて考え、間違っています!」
フランクは目を瞬かせ、そして小さく頷いた。
「……そうだね。君の言う通りだ。悪かった」
その瞳に、何かが静かにほどけていく気配があった。
「いえ、私も言い過ぎました……」
そう言いながら、私は胸に手を当てて続けた。
「人は……生まれじゃなくて、行いで決まると思います。私は、そういう世界で生きたいんです」
ぽつりと零れた言葉に、フランクは驚いたように目を見開き、
そして、少しだけ照れたように視線を逸らした。
その仕草に、胸の奥がほんのり温かくなる。
彼に手を貸されて立ち上がった、その時。
「おい、君たち。何の騒ぎだ?」
低く響く声。
その瞬間、庭園の空気がひやりと引き締まった。
振り返ると、長い髪を後ろで束ねた少年が歩いてきた。
その姿を見た瞬間、周囲がざわめき、自然と道が開く。
――誰?
彼の琥珀色の瞳は、穏やかな表情とは裏腹に一切笑っていなかった。
「レ、レオンハルト様……こ、これは……」
レイチェルが青ざめて後ずさる。
「やぁ、サーデル侯爵令嬢。君に名前呼びを許した覚えはないが?」
「っ……!! し、失礼いたしました……!」
ジーナも呆然と立ち尽くしている。
レオンハルトはフランクに視線を向けた。
「で? 何があったのか説明してくれるか、フランク。ああ、彼は僕の遠縁の親戚でね。仲良くしている友人だ。まさか、彼に何かしたわけじゃないよな?」
その言葉に、レイチェルは地面に頭がつきそうな勢いで謝罪した。
「も、申し訳ございませんでした! レオンハルト様のご友人だとは知らず……!」
そして、逃げるように会場から走り去った。
「レ、レイチェル様ー! 待ってください!」
ジーナも慌てて後を追う。
レオンハルトは肩をすくめた。
「もう少し色々聞いて、いじめてやろうと思ったが……まぁいい。君たちも噂に惑わされず、女性に対しても偏見を持たないように。解散!」
その一声で、参加者たちは気まずそうに散っていった。
残ったのは、私とフランク、そしてレオンハルトだけ。
私は深く頭を下げた。
「ありがとうございました。場を収めてくださって……」
顔を上げると、レオンハルトはにやりと笑った。
「俺も風魔法で大体の話は聞いていた。災難だったな、えっと、クレヴェルト嬢、だったか?
それに、礼なら、こいつに言ってやれ」
「おい、レオンハルト……!」
フランクは眉間に皺を寄せたが、レオンハルトは続ける。
「サーデル侯爵令嬢が企んでいるのを、俺とフランクで聞いていたんだ。俺はどうでもよかったが……普段、人と話さないこいつが自分から誰かを庇うなんて珍しくてな。つい首を突っ込んだ」
フランクは苦々しい顔をした。
「……聞いていて、気持ちの良いものではありませんでしたから。そのお節介が、かえって君を傷つけてしまい……申し訳ない」
「いえ! 気にしないでください。私が不用意に自分の弱みを話してしまったのが悪かったのです。
巻き込んでしまって……すみません」
フランクは複雑な表情を浮かべた。
「君は……魔法を学ぶことを“弱み”だと思っているのですか?」
「っ……それは……。貴族令嬢が魔法を突き詰めるのは、よく思われないと知っていますので……」
視線を落とすと、フランクは静かに問いかけた。
「では、もう学ぶのをやめるのですか?」
「それはありません!」
思わず顔を上げた。
「魔法を学ぶことは、私の生きがいです。将来の夢もありますし……!」
「夢?」
しまった。言いすぎた。
前世で、夢を語ることがどれほど怖かったかを思い出す。
私は咳払いして言い直した。
「とにかく! 私は魔法を諦めません。これからも学び続けます!」
その宣言に、二人は同時に吹き出した。
「な、なんで笑うんですか!」
「いや……あまりに元気が良くてな」
レオンハルトが涙を拭う。
フランクは優しく微笑んだ。
「その意気です、フローラ嬢。僕たちのように、女性が学ぶことに偏見を持たない者もいます。他人の意見に流されて、自分のしたいことを諦めるなんて馬鹿げています。どうか、夢を大切に。貴女は貴女のために生きてください」
「フランク様……」
胸が熱くなり、涙が溢れた。
前世では叶えられなかった夢。
もう一度、夢を見てもいいのだろうか。
――応援してくれる人がいるのなら。
「ありがとうございます。フランク様、レオンハルト様」
涙を拭い、満面の笑みで礼を言うと、
二人はなぜか目を見開き、ぎこちなく返事をした。
*
お茶会が終わり、私は屋敷へ戻った。
フランクがかけてくれた言葉は、本当に嬉しかった。
胸の奥に灯った温かさは、今でも静かに残っている。
けれど――あの日の出来事は、軽いトラウマとして心に刻まれた。
それから私は、社交界にはほとんど顔を出さなくなった。
魔法研究の話も、本当に信頼できる相手にしかしなくなった。
風の噂では、レイチェルたちはあれ以来、社交界に姿を見せていないらしい。
……理由は分からない。
ただ、あの場で見せた彼女たちの表情を思い出すと、胸が少しだけ痛んだ。
それでも――。
私は時々、思い出してしまう。
黒髪に、宝石のようなロイヤルブルーの瞳をした、あの少年のことを。
私を庇い、
「貴女は貴女のために生きてください」
と告げてくれた、あの声を。
あの日の光景は、今も胸の奥で静かに輝いている。
あの日の青い瞳は、私の世界にそっと色を落としていった。
第5話を読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、フローラにとって“自分の信じるものを初めて言葉にした日”でした。
傷つく出来事の中で、フランクとレオンハルトという二人の少年が、
彼女の心にそっと寄り添い、支えてくれます。
「人は生まれではなく、行いで決まる」
その想いは、これからのフローラの未来を形づくる大切な一歩です。
彼女の世界に灯った小さな光が、どんな色に変わっていくのか。
次回も、フローラの物語を見守っていただけたら嬉しいです。




