4.裏切りの笑顔と、差し伸べられた手
中央スペースは立食形式で、色とりどりのスイーツが並び、若い貴族たちが優雅に談笑していた。
私たちが輪に加わっても、誰も特に気に留めない。
まずは、それだけでほっとする。
「ご機嫌よう、皆さま。ご一緒してもよろしいかしら?」
レイチェルは先ほどまでの控えめな姿が嘘のように、堂々とした笑みを浮かべて挨拶した。
さすが侯爵家の令嬢。
瞬く間に周囲の視線が集まり、次々と挨拶が飛んでくる。
「こちらがクレヴェルト伯爵家のフローラ様ですわ」
気づけば、私の紹介まで済ませてくれていた。
「は、初めまして……フローラ・クレヴェルトと申します」
慌てて礼を取ると、数名の少年が目を輝かせて近づいてきた。
「クレヴェルト家のご令嬢でしたか。道理でお可愛らしい……」
“道理で”の意味はよく分からないが、慣れない視線に頬が熱くなる。
そこへ、別の少年が滑り込むように現れた。
「クレヴェルト嬢、お会いできて光栄です。オルゴ・ターナスと申します」
流れるような動作で手を取り、手の甲にキスを落とす。
同年代とは思えないほど落ち着いた所作に、心臓がどくんと跳ねた。
――叫びそうになった。
必死に飲み込んだ自分を、少しだけ褒めたい。
だが手を離された瞬間、また別の少年が手を掴んだ。
「僕はトーマス・ブライトンと申します。もしよければ、あちらで二人でお話しませんか?」
「えっ、二人で……ですか?」
なぜ初対面の少年と二人きりで話さねばならないのか。
女の子の友達が欲しいのに……。
困惑する私の横に、すっと一人の令嬢が割って入った。
「ブライトン様、フローラ様が困っていらっしゃいますわ。それに、一人占めはいけませんのよ?」
彼女はやんわりと手を外してくれた。
彼は少しむっとしながらも、その場を離れていく。
――助かった……。
「初めまして、フローラ様! ジーナ・ハウエルですわ。レイチェル様のお友達ですの?」
「初めまして、ハウエル様。はい、今日お友達になったばかりで……。先ほどは助けてくださって、ありがとうございます」
「男性の中には強引な方も多いですからね。お気をつけになって」
ジーナはにこりと微笑み、レイチェルと視線を交わす。
「ね? レイチェル様?」
「ええ。それはもう……」
二人の親しげな様子に、胸の奥が少しざわついた。
――レイチェル、知り合いがいたんだ。
隅に一人でいたから、てっきり私と同じだと思っていたのに。
胸の奥に小さなざわめきが残る。
その違和感が形になりかけた、その時だった。
レイチェルの笑みが、どこか張り付いたように見えた。
さっきまでの控えめな雰囲気が、ほんの一瞬だけ影を潜める。
「皆さま、フローラ様って素晴らしいんですのよ!」
「レ、レイチェル様……?」
突然の名指しに戸惑う私をよそに、彼女は続ける。
「フローラ様は魔法研究がご趣味だとか。魔法の勉強も毎日されているそうですわ!」
「ちょ、ちょっとレイチェル様! それは私たちだけの秘密って……!」
止める間もなく、言葉は広がってしまった。
周囲がざわめき始める。
視線がじわじわと肌に刺さり、距離が一歩ずつ遠ざかっていくように感じた。
「令嬢が毎日魔法の勉強?」「魔法研究ってどういうことだ?」
「変わり者なのかしら」「見た目に騙されるところだったぜ」
小声のつもりなのだろうが、その言葉はすべて私の耳に届いた。
笑おうとしたのに、頬がうまく動かない。
息を吸おうとしても、胸がきゅっと固まってしまう。
――どうして。
魔法が好きなだけなのに。
誰にも迷惑なんてかけていないのに。
「ふふ……皆さま、フローラ様に聞こえてしまいますわよ?」
レイチェルは扇子で口元を隠し、楽しげに笑った。
けれど、その瞳だけは冷たく、どこか探るようだった。
さっきまでの柔らかさが嘘のように消えている。
――ああ、嵌められたんだ。
胸の奥がひやりと冷える。
この“急に態度が変わる感じ”を、私は知っている。
前世の記憶が疼く。
「真面目すぎて引くんだけど」「優等生ぶってて気持ち悪い」
努力を笑われた、あの痛みが蘇る。
視界が揺れ、足元がふらつく。
倒れそうになった瞬間――。
「貴女方、一人のご令嬢に寄ってたかって……恥ずかしくないのですか?」
声は静かだったが、その奥に確かな怒りが滲んでいた。
礼儀正しい所作のまま、レイチェルを真っ直ぐ見据えている。
冷たい声とともに、誰かが私の身体を支えた。
驚いて顔を上げると、
黒髪にロイヤルブルーの瞳を持つ少年が、無表情で私を見下ろしていた。
「今どき、ご令嬢が魔法を学ぶのは普通のことです。貴女方、少々古い考えをお持ちのようですね」
澄んだ声が、庭園に響き渡る。
レイチェルは扇子を揺らしながら、嫌味な笑みを浮かべた。
「急に現れて……あなた、どなたですの? まさかフローラ様を慕っておられる方かしら? ふふっ、趣味はともかく、お顔は可愛らしいものね」
私は少年の腕からそっと離れ、震える足に力を込めた。
「レ、レイチェル様……先ほどは“素敵な趣味”だと言ってくださったじゃありませんか。秘密にしてほしいとお願いしたのに……酷いです」
レイチェルは肩をすくめた。
「あら、素敵だと思っていますわ。“私は”ね。でも、私の善意をどう受け取るかは皆さま次第でしょう?」
「そ、それは……」
言葉が詰まる。
喉がひゅっと細くなり、声がうまく出てこない。
ジーナが一歩前に出て、わざとらしく肩をすくめながら、意地悪な笑みを浮かべた。
「まぁ、フローラ様って酷い方。レイチェル様は良かれと思って言っただけなのに、反応が悪いからって責めるなんて……社交界に相応しくありませんわ」
周囲からも同調する声が上がる。
――もう、誰も味方はいない。
涙がこぼれそうになった、その時。
「茶番もいい加減にしてください、サーデル侯爵令嬢」
先程の少年が一歩前に出て、冷たく言い放った。
「は? 茶番とはどういう意味ですの?」
レイチェルの笑みが、ぴたりと止まった。
「さっきから何ですの、あなた。名前をお聞きしても?」
レイチェルは扇子をバシンと手のひらに叩きつけ、吊り上がった目で少年を睨みつけた。
「僕はフランク・カールと申します。男爵家の者です」
その言葉を聞いた瞬間、レイチェルは鼻で笑った。
「男爵家? 本当にそんな家門がありましたかしら? 身の程という言葉、ご存じ? 男爵家の分際で侯爵令嬢の私に口答えするなんて……いい度胸ですこと」
ゆっくりとフランクへ歩み寄るレイチェル。
その足取りには、先ほどまでの控えめさなど微塵もない。
レイチェルの気配が、じわりと空気を押しつぶしていく。
私は慌ててフランクの横に寄り、小声で囁いた。
「フランクさん、私を庇わなくても大丈夫です。侯爵家に目をつけられたら……あなたの家が大変なことになります。私のせいで誰かが傷つくのは嫌なんです……」
フランクは一瞬だけ目を見開き、私を見つめた。
そして、ふっと柔らかく微笑む。
「……大丈夫。後は任せてください」
その言葉とともに、彼は一歩前へ進み出た。
レイチェルに対して一切怯む様子がない。
私は彼の背中に庇われながら、胸がざわつく。
――どうなってしまうのだろう。
胸の奥で、不安と期待が入り混じったざわめきが止まらなかった。
この瞬間が、後の運命を変えるとは知らずに。
ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。
今回の出来事は、フローラにとって大きな転機でした。
レイチェルの裏切りに、周囲のざわめき……読んでいて胸が痛くなった方もいるかもしれません。
でも、そんな中で心強い味方であるフランクが登場してくれました。
ここからフローラの世界は、少しずつ変わっていきます。
彼女がどんな未来を掴むのか、これからも楽しんでいただけたら嬉しいです。




