6.心に刻まれた名
王族として生まれた以上、社交界に顔を出すのは義務だ。
誰に会い、誰と話し、どんな印象を与えるか――
そのすべてが“王太子としての評価”に直結する。
息苦しさを覚えることも、もう慣れてしまった。
だが、慣れたところで楽になるわけではない。
令嬢たちから向けられる笑顔は、どれも同じだ。
その視線の先に“俺自身”はいない。
見られているのは肩書きだけ。
幼い頃から、それは変わらなかった。
父も母も優しかったが、王族としての務めは常に彼らの背にあった。
忙しい両親の代わりに、広い王宮で過ごす時間のほとんどは一人きりだった。
侍従たちは丁寧に仕えてくれるが、
彼らの視線はいつも“殿下”という肩書きに向けられている。
名前を呼ばれることは少なく、俺という人間よりも“王太子としての正しさ”が優先された。
家族に愛されていると分かっていても、立場がその温かさに薄い影を落とす。
その影のせいで、“自分が何者として愛されているのか”分からなくなる瞬間があった。
だから、いつしか思い込むようになった。
――生まれで決まる。
――血筋で決まる。
――俺は“王太子”である前に、何者にもなれない。
そう信じることで、揺れそうになる心を保っていた。
それでも、次期社交界を担う若者たちの情報を集めるのは避けられない役目だ。
ルイス=ウェインライト――王太子である俺にとって、それは義務でもあった。
だから俺は、王子という身分を隠し、魔法で髪色を変えて、ただの男爵家の少年としてお茶会に参加した。
*
そんな折、サーデル侯爵令嬢たちが企んでいる“悪だくみ”を耳にした。
彼女が“フローラ”と呼ばれた少女を貶めようとしているのを聞くのは、どうにも気分の良いものではなかった。
だから――ほんの気まぐれで、彼女を助けただけのつもりだった。
なのに、胸の奥が妙にざわついた理由は分からない。
あの小さな令嬢の横顔が、なぜか頭から離れなかった。
しかし。
「人は……生まれじゃなくて、行いで決まると思います。私は、そういう世界で生きたいんです」
その言葉が落ちた瞬間、呼吸が止まった。
胸の奥がきゅっと掴まれ、世界の音が一瞬だけ遠のく。
生まれで決まる。
血筋で決まる。
王族である限り、逃れられない鎖。
俺はずっと、それに縛られてきた。
――なのに。
彼女は迷いなく言い切った。
まるで、それが当たり前の真実であるかのように。
(……行いで、決まる?)
そんな言葉を、誰かが本気で口にするなど思ってもみなかった。
俺自身も、そういうものだと諦めていた。
だが――
彼女はその価値観を、あっさりと否定した。
まるで、“生まれに縛られた俺”を救い上げるように。
その言葉に触れた瞬間、
長く閉ざされていた扉が、わずかに軋んだ気がした。
胸の奥が、じんと痛むほど熱くなる。
(……フローラ・クレヴェルト。君は、本当にそんな世界を望んでいるのか)
その名を心の中で呼んだだけで、胸の奥で、何かが静かに跳ねた。
熱が広がる。
痛いほどに。
(……そんな世界を、俺も見てみたい)
気づけば、彼女から目を離せなくなっていた。
あの小さな令嬢が、俺の中の何かを、たった一言で揺さぶった。
彼女は知らないだろう。
その言葉が、どれほど俺を救ったかなんて。
だが――
あの瞬間、確かに刻まれた。
フローラ・クレヴェルト。
君の言葉は、俺の心に残った。
忘れられないほど深く。
6話を読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、ルイスの胸の奥に長く沈んでいた“影”に、フローラの言葉がそっと触れる回でした。
彼にとっては当たり前だった価値観が、たった一言で揺らぐ――そんな静かな変化の始まりです。
フローラはまだ何も気づいていませんが、
彼女の言葉は確かにルイスの心に届きました。
その小さな揺らぎが、これからどんな未来につながるのか。
ゆっくり見守っていただけたら嬉しいです。




