21.厄介な隣人①(ロイデル視点)
「……はぁ。よりによって、こんな日に風邪を引くとはな」
全身を襲う悪寒に歯を食いしばりながら、俺――ロイデル・カウストは試験会場へ向かっていた。
熱は四十度近い。皮膚が焼けるように熱いのに、背筋は氷のように冷える。
視界は揺れ、足元はふらつき、思考も途切れ途切れだ。
使用人には「絶対に行くな」と止められたが、試験を受けなければ下位クラス確定。
カウスト家の名に泥を塗るわけにはいかない。
(気合いだ……気合いでどうにかするしかない)
そう自分に言い聞かせ、一歩一歩、足を前へ運んだ。
なんとか試験会場に辿り着き、全科目を受け終えた頃には、意識はほとんど朦朧としていた。
(途中で倒れなかったのが奇跡だな……)
周囲の生徒たちは、風邪を移されてはたまらないと距離を取り、足早に帰っていく。
マスクで顔を覆っているせいで、俺が誰かも分からないのだろう。
椅子に腰を下ろし、深く息を吐いたその時――
「えっと……風邪、引いてるんですよね? 寮まで歩けますか?」
気の抜けたような、しかしどこか澄んだ声がした。
振り返ると、ブルーの大きな瞳をした令嬢が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「……あぁ。問題ない。あまり近寄ると風邪が移るぞ」
移って文句を言われても困るので、手で追い払うようにジェスチャーする。
だが令嬢は、なぜか自信満々に自分の肩を叩いた。
「私の肩でよければ貸しますが」
(……は? どこからその自信が出てくるんだ)
そんな華奢な身体で男を担げるわけがない。
俺は心の中で盛大に突っ込んだ。
「本当に大丈夫だ」
そう言うと、令嬢はあっさり引き下がった。
「分かりました。お大事にしてくださいね」
そう言って教室を出ていく。
(……助かった。もう会話する気力もない)
俺は椅子に身体を預け、目を閉じた。
*
しかし、しばらく休んでも身体は動かない。
足に力が入らず、立ち上がることすらできなかった。
(まずいな……使用人が気づいて来てくれればいいが)
その時――
ガチャリ、とドアが開く音がした。
「はぁ……はぁ……やっぱり! 来てみて良かったです!」
先ほどの令嬢が、息を切らしながら駆け込んできた。
ハニーブロンドの髪が少し乱れている。
「またあんたか……」
俺が呟く間もなく、彼女は勢いよく駆け寄ってきた。
「さぁ、早く医務室へ行きますよ!」
「お、おい! 女のお前には無理だ!」
止める間もなく、彼女は俺の肩を担ごうとする。
(無茶だろ……!)
だが、彼女はニヤリと笑った。
「身体よ、軽くなれ!」
次の瞬間――俺の足元に魔法陣が展開された。
(……魔法を声に出すのか? 変わった発動の仕方だな)
そう思った瞬間、俺の真下に魔法陣が展開された。
「う、うわっ!?」
足元から重力が抜けるように、身体がふわりと浮き上がる。
(こ、これは……浮遊術魔法!?)
浮遊魔法は加減が難しい。
軽い物ならともかく、人間の男を浮かせるのは高度な技術だ。
一年生が使えるはずがない。
「手荒な真似をしてごめんなさい! でも早くお医者様に見てもらった方がいいと思います!」
そう言って、彼女はポケットを探り――
「いでよ水! ハンカチよ貼り付け!」
また妙な詠唱をした。
次の瞬間、濡れたハンカチが勢いよく俺の額に飛んできた。
「つ、冷たっ……!」
文句を言おうとしたが――
(……気持ちいい……)
冷たさが火照った額に染み渡り、力が抜けていく。
彼女は安心したように微笑むと、俺を抱えたまま教室を出た。
「医務室ってどっちだっけ?」
(……知らないのかよ……先に調べておけ……)
そう思ったところで、俺の意識は途切れた。
*
次に目を覚ました時、俺は医務室のベッドにいた。
医者によると、あの令嬢はすぐに帰ったらしい。
(……まぁ、待ってるわけないか)
名前を聞きそびれたことに気づき、少しだけ後悔する。
礼くらいは言うべきだろう。
寝返りを打ちながら、彼女の魔法を思い返す。
(浮遊魔法に、水魔法……どこで身につけた?それに、あの発動方法……)
思い出した瞬間、思わず吹き出しそうになった。
(“いでよ”って……なんだよ)
笑いを堪えていると、医者から連絡を受けた使用人が駆けつけてきて、
「だから止めたのに!」
と泣きながら説教された。
俺は素直にそれを受け入れた。
――あの厄介な令嬢の顔を思い浮かべながら。
胸の奥に、ほんのわずかだが温かいものが残っていた。
厄介なのに、不思議と嫌じゃない。
むしろ……あの状況で助かったのは、紛れもない事実だ。
21話を読んでくださりありがとうございます。
今回は、ロイデル視点で描かれた“試験当日の大事件”でした。
極限状態の中で出会った一人の令嬢が、彼の常識を軽く飛び越える行動と魔法で助けてしまう──
その予想外の展開が、ロイデルの心に小さな温度を残す回だったと思います。
次回もロイデル視点が続きます。楽しみにお待ちいただけると嬉しいです!




