19.友情と研究のはじまり
授業は基本的に移動教室で行われるため、Aクラスの教室に留まる時間は驚くほど短い。
休憩時間は、次の授業の準備と移動であっという間に消えてしまう。
私はアーシャとメアリーと並んで、隣の校舎にある魔法薬学の教室へ向かっていた。
Aクラスには女性が十人もいない。
華やかなクラスでありながら、どこか孤独を感じることもあった。
だからこそ、こうして気の合う友人ができたことは、私にとって何よりの宝物だった。
メアリーとは席が前後ということもあるが、決定的だったのは――
ある日、私が落としたハンカチを拾ってくれたこと。
その瞬間から、距離がふっと縮まったのだ。
私は、あの日のことを思い出していた。
***
昼休み、アーシャと別れて廊下を歩いていると、背後から控えめな声がした。
「……あの、フローラ様?」
振り返ると、メアリーが少し遠慮がちに立っていた。
「はい、メアリー様。何か……?」
「えっと……こちら、落とされていましたわ」
差し出されたのは、私のハンカチだった。
刺繍入りの、大切にしているものだ。
「あ……ありがとうございます! 気づきませんでした」
「ふふ。良かったですわ。あの……フローラ様って、授業中にとても真剣にノートをお取りになって、時々とても嬉しそうに微笑まれるでしょう? そのご様子が素敵だなと思っていましたの」
思いがけない言葉に、胸の奥がじんわり熱を帯びる。
そんなふうに見られていたなんて、考えたこともなかった。
「えっ……そ、そんな……! なんだか……恥ずかしいです……」
褒められ慣れていない私は、どうしても視線を落としてしまう。
頬が熱くなるのを隠すように、指先がそわそわと動いた。
メアリーは、そんな私を包み込むように微笑んだ。
「恥ずかしがることないです」
その声は春風のように優しかった。
――けれど、ほんの一瞬だけ。
次の瞬間、彼女の瞳がかすかに揺れた気がした。
胸の奥に冷たいものが触れたような、説明のつかない違和感。
(……今の、何だろう?)
問いかける間もなく、メアリーはいつもの明るい笑顔に戻っていた。
「そうだ! よかったら、今日一緒にお昼を食べませんか? あなたとお話してみたいって、ずっと思っていましたの」
思わぬ提案に、先ほどの小さな疑問もすぐに消える。
「わ、私で良ければ……ぜひ……! あ、友人のアーシャも一緒でいいですか?」
「勿論です。私、お邪魔してしまってもいいのかしら?」
「全く問題ありません! アーシャも喜ぶと思います」
即答した私に、メアリーは嬉しそうに目を細めた。
「ありがとうございます。あの……フローラと呼んでもいい? 私のこともメアリーって呼んでほしいの」
丁寧だった口調が、ほんの少しだけ柔らかく崩れている。
距離が縮まったのだと、胸の奥がくすぐったくなる。
「……はい。メアリー」
「ふふっ。よろしくね、フローラ」
その笑顔は、春の陽だまりみたいに温かかった。
きっと、これが友情の始まりなのだ。
***
「フローラ、どうしたの?」
「へ? いや、何でもない!」
メアリーと友達になった日のことを思い出して、ついぼんやりしていた私は、慌てて首を振った。
「ふふっ、変なフローラね」
くすりと笑うメアリーの声は、今もあの日と同じ柔らかさを帯びている。
メアリーは、知れば知るほど魅力的な子だ。
人を包み込むような穏やかな雰囲気に、淑女の鏡のような美しい所作。
その自然な気品は、隣を歩くだけで周囲の空気まで明るくしてしまう。
その一方で、私とアーシャの前では、時折ぴりっとした毒舌を見せる。
もちろん悪意などなく、むしろサバサバした性格ゆえの本音で、私たちはそれを笑って受け止めていた。
「それにしてもフローラ、あなたロイデル様にずいぶん積極的よね? もしかして気があるのかしら?」
メアリーが意地悪く笑いながら、わざとらしく首を傾げる。
最近、彼女はこうして私を揶揄うのが楽しくて仕方ないらしい。
「ち、違うわよ! 私たちには目的があるの。ね、アーシャ?」
「そうだったかしら? ……って、ごめんごめん。私が仲良くなるように仕向けたんだったわね」
私の鋭い視線に気づいたアーシャが、慌てて訂正する。
そういえば、メアリーにはまだ研究会の話をしていなかった。
「えっとね、実は……」
私は研究会を作りたいこと、四人必要なこと、そしてロイデルをメンバーに加えたいことを説明した。
「二人とも魔法道具を作れるなんてすごいわ! なんで今まで教えてくれなかったの?」
メアリーは目を輝かせて身を乗り出す。
「だって、貴族令嬢が魔法研究なんて珍しいでしょ? 変な目で見られるかもしれないし……。でも、メアリーは偏見を持たないって信じてた」
メアリーは幼い頃から財務大臣の娘として、厳しい教育を受けてきたと話していた。
Aクラスに入れるほど勉強してきたのだろう。
それだけ努力してきたはずなのに、過去のことになると急に口数が減る。
――本人は多くを語らないけれど。
「当たり前でしょ! 魔法道具の研究が好きだからって、偏見を持つなんてあり得ないわ!」
ぷんすか怒るメアリーは、小動物みたいで全く迫力がない。
可愛い……。
「ふふ、ありがとうメアリー」
アーシャも笑いながら続ける。
「魔法道具を作りたい人なんて、男性でも滅多にいないからね。だからロイデル様と仲良くなって、研究会に勧誘しようとしてるのよ」
「でも四人必要なんでしょ? あと一人はどうするの?」
メアリーが首を傾げる。
「あ……」
私はようやく気づいた。
ロイデルのことで頭がいっぱいで、四人目のことを完全に忘れていた。
「それはロイデル様を懐柔してから考えるわ」
アーシャがさらりと言う。
……今の言い方、完全に悪役令嬢だった。
一瞬、アーシャの背後に黒いバラが見えた気がしたのは気のせいだろうか。
私はふと思った疑問を口にした。
「ねぇアーシャ、あなたがロイデル様に声をかければ良かったんじゃない? 私よりずっと向いてる気がするんだけど」
社交上手のアーシャの方が、よほど適任だと思うのだけれど。
「何言ってんの。あんた隣の席でしょ」
「まぁ、それはそうだけど……」
実際、私は社交上手とは言い難い。
むしろ嫌われている気さえする。
ロイデルのあの不機嫌そうな顔を思い出し、胸がちくりと痛む。
「人には向き不向きがあるの。私がいきなり近づいたら裏があると思って警戒されるわよ。ロイデル様はご令嬢に対して警戒心が高いことで有名らしいから。だから、あんたみたいな人畜無害そうな子が適してるの」
アーシャの言葉に、私はさらに混乱した。
「んー……よく分からないけど。研究会と関係なく、隣の席だし仲良くはしたいと思ってるから、もう少し頑張ってみるわ」
「私は分かるわよ」
メアリーがにっこり笑う。
「フローラってどこか抜けてて、こちらの毒気を抜かれるのよね。きっとそのうちロイデル様もあなたの魅力に気づくわ!」
「抜けてるって……それって褒めてるの?」
「ふふ、べた褒めよ!」
そう言って、メアリーは私の頬をぷにぷにと押した。
……最近、メアリーが小悪魔化している気がするのは、きっと気のせいじゃない。
*
昼休みが終わり、Aクラスへ戻ると――
珍しくロイデルが席に座り、静かに読書をしていた。
休憩時間に彼と顔を合わせることは滅多にない。
移動教室や準備で慌ただしく、ゆっくり話せるのは放課後くらいだからだ。
アーシャとメアリーはまだお手洗い。
今この教室にいるのは、私とロイデルだけ。
(……よし、今しかない)
胸の奥で小さく気合を入れ、私はそっと声をかけた。
「カウスト様。読書中にすみません。今、少し宜しいですか?」
ロイデルは本から視線を上げ、短く答える。
「何だ?」
「この間お話しした、魔法道具作りをお見せする件なのですが……」
そう切り出した瞬間、彼は口元をわずかに吊り上げた。
「あぁ。ようやく嘘を認める気になったのか?」
(いやいやいや、違うから!)
「日程はいつが宜しいかと思いまして」
「は? お前、この茶番をまだ続ける気か?」
パタン、と本が閉じられ、鋭い視線が突き刺さる。
「ちゃ、茶番とは……?」
意味が分からず尋ねると、彼は長い脚を組み、深く息を吐いた。
「……まぁいい。いつでも良い。さっさと終わらせたいからな」
よく分からないけれど、このまま終わらせられるのは困る。
私は努めて笑顔で答えた。
「ありがとうございます。では、放課後に私の寮部屋へ来ていただけますか? 女子寮B棟の201号室です」
この学園では、夜十時まで男子寮と女子寮の行き来が許されている。
私は詳しくないが、国として魔力持ち同士の結婚を推奨しており、互いの交流を深めるために、このような規則になっているのだそうだ。
前世では考えられない制度だ。
「……お前の部屋、だと?」
ロイデルは驚愕したように目を見開き、頬を赤く染めた。
(そんなに驚くほど嫌だったのだろうか……)
「はい。研究道具を色々持ってきているので、外へ全部持ち出すのは難しくて……。やはり、ご都合が悪いでしょうか?」
「いや……そういうわけではないが……淑女の部屋に一人で行くのは……。……しょうがない、俺の友人を連れて行ってもいいか?」
なるほど。
変な噂を避けたいのだろう。
「もちろんです。では私も友人を一人誘ってもいいですか?」
(研究会を作るなら、ここでアーシャを紹介しておくのがベストだ)
「好きにしろ」
そう言って再び本へ視線を落とした。
「ありがとうございます。では放課後、宜しくお願いします」
こうして私たちは放課後に会う約束を交わした。
はぁ……ドキドキしてきた。
魔法道具についてどんな討論ができるのか、楽しみで仕方がない。
それから私は放課後まで、胸の高鳴りを抑え込むのに必死だった。
19話を読んでくださりありがとうございます。
学園生活の忙しさの中で、友人との関係や研究会の目標が動き始め、物語の“日常と緊張”が同時に進んでいく章になったと思います。
次話では、放課後の“寮部屋での魔法道具お披露目”が描かれます。
フローラの研究がどんな形でロイデルに伝わるのか、ぜひ楽しみにしていてください。




