15.新しい日、新しい目標
翌朝の学園門前。
私は、胸が張り裂けそうなほどの寂しさを抱えながら、ローズにしがみついていた。
「ローズ……! 寂しいわ……絶対に手紙書くからね……!」
「お嬢様、泣きすぎです。メイドとの別れでここまで号泣する令嬢、恐らくお嬢様くらいです」
呆れたように言いながらも、ローズの手は優しく私の頭を撫でてくれる。
その手つきが、幼い頃に夜泣きした時と同じで、余計に涙が込み上げた。
「だ、だって……ローズとは小さい頃からずっと一緒だったんだもの。離れるなんて、まだ実感が湧かないわ……」
差し出されたハンカチで涙を拭うと、ローズは静かに微笑んだ。
「学園の決まりですから仕方ありません。……ですが、お嬢様が立派に成長されるのを楽しみにしています」
ローズの言葉に、胸がきゅっと締めつけられる。
確かに、ローズの言う通りだ。
この学園では、荷ほどきや入寮手続きのためにメイドを連れてくることは許されているけれど、作業が終わり次第、お付きの者は学園に留まることができない。
王族や一部の高位貴族だけが例外で、私のような普通の貴族令嬢は、身の回りの世話も学園の使用人に頼る決まりになっている。
だから――今日が、ローズとの本当のお別れなのだ。
「うぅ……ローズも寂しいって言ってくれてもいいのに……!」
泣きじゃくる私に、ローズは最後まで穏やかな笑みを崩さなかった。
「では、お嬢様。淑やかに、礼儀正しく、三年間学業に励んでくださいませ」
そう言って深く頭を下げ、ローズはゆっくりと背を向けた。
「ローズ……私、頑張るからね……!」
去っていく背中に向かって呟いたその時――
「随分とメイドと仲がいいんだな」
背後から低い声がした。
振り返ると――
「この前はどうもな」
軽く手を挙げて近づいてきたのは、試験前に一緒にブローチを探した彼だった。
あ、生徒会の勧誘の時もいたわよね。
あの時は緊張しすぎてまともに会話もできなかったけれど、
アルバートが名前を呼んでいたのを思い出す。
確か……サディアス。
そう、昨日ブローチを探してあげた彼――サディアス・ミルトンだ。
「ミルトン様、御機嫌よう。えぇ……彼女は私にとって姉のような存在でしたから……」
私は、先ほどローズに返しそびれたハンカチでそっと目頭を押さえた。
まだ彼女の温もりが残っている気がして、胸がきゅっと締めつけられる。
「そうか。まあ、一生の別れじゃない。元気を出せ」
そっぽを向きながら、ぽん、と私の頭に大きな手が置かれた。
その温かさに、胸の奥がじんわりと緩む。
「ありがとうございます」
微笑むと、彼も照れたように口元を緩めた。
「改めて自己紹介させてくれ。国境のミルトン領を治める辺境伯家長男――サディアス・ミルトンだ。よろしく頼む」
差し出された手を握り返すと、彼はにやりと笑い、私の手の甲に軽く口づけた。
「ミ、ミルトン様……?」
「何か?」
「い、いえ……」
貴族として当然の挨拶だと分かっていても、前世の感覚が邪魔をして慣れない。
胸がどきどきしてしまう。
「お前に見つけてもらったブローチ……本当に大切な物だったんだ。もう無くさないように今はしまってある。……母の形見でな、助かった」
その声は、ほんの少しだけ震えていた。
彼の胸の奥にある、大切な想いに触れた気がした。
「いえいえ! お気になさらず。お顔を上げてください」
私は慌てて答えた。
「お母様の形見だったんですね。大事な物を無くさずに済んで、本当に良かったです!」
「……あぁ、ありがとう」
サディアスが静かに礼を言う。
その灰色の瞳が、ふっと柔らかく揺れた。
形見ということは、お母様はもう亡くなられているのだろう。
彼にとってどれほど大切な存在だったのか、その一言だけでよく分かった。
大したことはしていないのに、何度もお礼を言われると――
なんだかこちらが照れてしまう。
「フローラ。お前のこと、そう呼んでいいか? ……友人になってもらえると嬉しい」
「もちろんです! では私も……サディアス様と呼ばせていただきますね」
「……あぁ、好きに呼んでくれ」
彼は眼鏡をくいっとずり上げた。
その仕草のせいか、頬がほんのり赤い気がする。……気のせいだろうか。
「はい! ありがとうございます」
友人が少ない私にとって、“友達になれた”という事実が胸の奥でじんわり広がる。
あ、そういえば――。
「ミルトン領と言ったら、クレヴェルト領とさほど距離はありませんね」
訪れたことはないけれど、国境にあるミルトン領は栄えていると聞いたことがある。
我が領地から馬車で二時間ほどで行ける場所で、いつか行ってみたいと思っていた場所のひとつだ。
「そうだな。クレヴェルト領の噂はよく聞くぞ」
「噂……?」
悪い噂だったらどうしようと身構えると、サディアスは吹き出した。
「ははっ。悪い噂じゃない。“住みやすい領地”として有名だ」
「そ、そうなんですか……! 父が聞いたら喜びます。よければ今度、領地をご案内しますね。湖も綺麗ですし、海産物も美味しいんですよ!」
サディアスは一瞬だけ目を見開き、
「……楽しみにしている」
と、先ほどよりも柔らかい声で言った。
その灰色の瞳に、わずかな期待の色が宿る。
けれど次の瞬間、ふっと表情が引き締まる。
歩みが自然とゆっくりになり、空気が少しだけ変わった。
「ところで……なぜ生徒会に入らなかった? 殿下もレオンハルト様も、不思議がっていたぞ」
う……。敢えて避けていたけれど、やっぱりその話題になるわよね。
胸の奥がきゅっと縮む。
私は観念して、心の内をぽつりぽつりと語ることにした。
「目立ちたくないと言いますか……生徒会って煌びやかすぎて、自分には分不相応で……それに、他にやりたいことがあるので……」
魔法研究のことは伏せたが、サディアスは特に驚いた様子もなく頷いた。
「やりたいこと、か。お前がそう判断したなら俺は何も言わん。……だが、副会長には気をつけろよ。二年のヘレナ・ウェストン伯爵令嬢だ」
「副会長……? あの、気をつけろとは……?」
私が聞き返すと、サディアスは一瞬だけ“しまった”という顔をした。
何かを思い出したのか、みるみるうちに表情が青ざめていく。
「……いや、何でもない。とにかく気をつけろ」
言いかけた言葉を飲み込むように、彼は目をそらした。
「授業が始まるぞ。急ぐぞ!」
サディアスが時計塔をちらりと見上げる。
学園の象徴でもあるその大時計の針は、もう予鈴の直前を指していた。
一日目から遅刻なんて洒落にならない――
「本当だ! 急がなきゃ!」
私たちはまた全力疾走した。
「なぁフローラ。俺たちって、いつも走ってないか?」
「確かに……試験の時も走ってましたね……!」
隣を走る彼の灰色の髪が、風に揺れてお日様の光を反射してきらりと光った。
「うっ……走りながら話すと……い、息が……!」
体力にはそれなりに自信があるのだけれど、“走る”という行為だけは昔からどうにも得意じゃない。
途切れ途切れに肺から声を絞り出す私を見て、サディアスは口元を押さえて笑いを堪えている。
「ぶっ……無理に話すな。お前、本当に面白いな」
「笑わないでくださいよ!」
「ははっ! すまんすまん」
そして――
予鈴の直前、私たちは同時に教室へ飛び込んだ。
注目を浴びたけれど、遅刻するよりはずっとマシ。
私は息を整え、何事もなかったように席へ座った。
こうして、学園生活一日目が始まったのだった。
*
昼休みの食堂は、香ばしい肉の匂いと、ざわめきが混ざり合っていた。
私はチキン定食、アーシャは迷いなくステーキ定食を選び、空いた席に腰を下ろす。
「いやぁ〜最高だったわね、今日の授業! 特に空間魔法の講義! 理論通りに空間を移動できたら……あぁ、夢が広がるわ! ねぇアーシャ!」
早くアーシャと今日の授業について語りたくて、私はウキウキと身を乗り出して話を切り出した。
しかし――返ってきたのは予想外の声だった。
「そんなことはどうでもいいのよ! あんたには聞きたいことが山ほどあるんだから! 白状してもらいますからね!」
……え、なんでそんなに怒ってるの?
私、何かしたっけ……?
「聞きたいことって何よ?」
そう返しながら、私はチキンを一口ぱくりと食べた。
んー! 酸味のきいたトマトソースがチキンに絡んで最高に美味しい。
あ、人参のグラッセもバターの香りがふわっと広がって絶品だ。
幸せを噛みしめて頬を押さえていると――
頬っぺたをムニッと両側から挟まれた。
「なゃ、なゃにふるのひょー!」
「“あんたが吞気に食べてるから”でしょ? ね、生徒会に誘われたって本当? しかもその誘いを断ったって本当? それと、なんで今日サディアス様と一緒に登校してきたわけ? しかも時間ギリギリに、あんな目立つ登場して……!」
矢継ぎ早に言葉を浴びせられる。
「……あー、そのことね……」
やっと解放された私は、すりすりと頬を労わりながら答えた。
アーシャはいつもどこから情報を仕入れてくるのか分からない。
社交界の噂話も、学園の動きも、私が知らないことをほとんど知っている。
だから、生徒会に誘われたことを知っていても驚きはしなかった。
「決まってるじゃない。生徒会に入ったら魔法研究の時間がなくなるでしょ? せっかく魔法学園に入ったのに、そんなの絶対イヤよ。アーシャも分かるでしょ?」
周囲に聞こえないよう、私はそっと声を落として続けた。
「まぁ、分かるけど……生徒会よ? でも……」
アーシャは小さくため息をつき、肩をすくめた。
「フローラ、あんたってほんとそういう人間よね。権力とか名誉とか、興味ゼロなんだから」
そう言いながら、アーシャはようやくステーキにナイフを入れ、優雅に切り分けつつも視線だけはこちらに向けてくる。
「で、それはいいとして――サディアス様の件は?」
「実は……」
私は試験前に落とし物を見つけたこと、今朝ローズの見送りの時に偶然会ったこと、そして流れで友人になったことを説明した。
アーシャは額に手を当て、深いため息をつく。
「はぁ……。フローラ、あんた本当に鈍感ね。サディアス様って、ご令嬢の間でかなり人気なのよ? 殿下の側近候補で、ミルトン辺境伯家の跡継ぎで、背も高くて、見目麗しくて……。友人になるのはいいけど、ライバル認定されて刺されないように気をつけなさいよ」
「さ、刺されるって……そんな大げさな……」
私は背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。
まさかそんな人気者だったなんて。
軽い気持ちで友人になってしまった私は、もしかしてとんでもない地雷を踏んだのでは……?
アーシャは苦笑し、フォークを置いた。
「まぁ、友人になってしまったものはしょうがないんだから、諦めなさい」
そう言うと、ナイフとフォークを取り直し、優雅な所作でステーキを切り分けて口元へ運んだ。
「……うん、なかなかいけるわね」
しっかり咀嚼して飲み込んだあと、アーシャは満足げに息をつき、
そして――ピシッと私に人差し指を突きつけた。
「でね、フローラ。一応あんたも伯爵令嬢なんだから、これを機に“社交界の情報収集”くらいはしなさい。噂のひとつも知らないと、恥をかくことだってあるのよ?」
「失礼ね。私だって噂話のひとつくらい……」
と考えてみたが――
……知らない。
誰が人気だとか、誰と誰が婚約しそうだとか、ひとつも知らない。
魔法以外にも、もう少し興味を持ったほうがいいのだろうか……。
アーシャはふっと笑い、私の額を軽く突く。
「ふふ。まぁ、人には向き不向きがあるものね。……やっぱりいいわ、さっきの言葉取り消す。必要な情報はこれからも私があげるから、フローラはそのままでいなさいよ」
「アーシャ……ありがとう」
なんやかんやで優しいアーシャが大好きだ。
けれど、それを口にするのは少し気恥ずかしくて――胸の奥にそっとしまっておく。
「話は変わるけど、クラスで隣の席になったロイデル・カウスト様って人がね……」
私は、魔法道具作りで大きな権威を持つカウスト家の人間と隣同士になったことを話した。
その瞬間、アーシャの瞳がギラリと輝いた。
まるでスイッチが入ったように、表情が一気に変わる。
「フローラ、あんた絶対にロイデル様と仲良くなりなさい。そして私に紹介して!」
突然の勢いに、私は思わず瞬きをした。
アーシャの真剣さがあまりに強くて、胸の鼓動が一瞬だけ跳ねる。
「えっ、アーシャが男性を紹介してなんて珍しい……まさか、彼とお付き合いしたいとか?」
私の言葉に、アーシャは心底イヤそうな顔をした。
眉をひそめ、まるで“何を言い出すのよ”とでも言いたげだ。
「何言ってるのよ。私が婚約に興味ないのは知ってるでしょ?」
「あ、そうだったわね」
私が苦笑すると、アーシャはすっと身を乗り出した。
「仲良くなって、魔法道具研究会を作るのよ!」
アーシャは拳を握りしめ、力強く宣言した。
その姿は、もはや戦場へ向かう将軍のようだった。
「研究会……?」
「そう。生徒四人以上で研究会や同好会が作れるの。研究室や研究道具も借りられるらしいわ。魔法道具を好きなだけ作れるのよ? 最高じゃない?」
「……作りたい!」
私は即答した。
魔法学園の研究室を借りて、
同じ趣味を持つ仲間たちと好きなだけ魔法道具を作る――。
そんなの、天国でしかない。
胸の奥が一気に熱くなり、頭の中では、すでに作りたい魔法道具の設計図がいくつも、いくつも浮かび始めていた。
「でしょ? だからロイデル様は絶対に必要なの。あんた、隣の席なんだから頑張りなさい」
「分かったわ。四人必要だからロイデル様もメンバーに入れたいってわけね。確かに彼、自分でも魔法道具を作るって言ってたもの。きっと興味を持ってくれると思うわ!」
アーシャが力強く頷くのにつられて、私も思わず渾身のガッツポーズを決めた。
「えぇ、隣の席のあんたにかかってるんだからね。よろしく」
話し込んでいるうちに、気づけばお昼休憩が終わる時間が近づいていた。
……ん?
よく考えると、“隣の席”というだけでまんまと押しつけられた気がしないでもない。
まぁ、いっか。
隣人と仲良くするのは、研究会の動機がなくても必要なことだ。
男性に自分から話しかけた経験なんてほとんどないから、若干の不安はあるけれど――
研究会発足のためにも、やるしかない。
私は小さく拳を握り、自分に喝を入れた。
14話を読んでくださりありがとうございます。
ローズとの別れ、サディアスとの再会、そしてアーシャとの研究会構想――
フローラの学園生活は初日から大きく動き始めました。
人間関係も魔法の道も、ここからさらに広がっていきます。
次話も楽しんでいただけたら嬉しいです。




