当たり前の生活を当たり前に
リゲル歴4045年末月。
荷馬車のヒッチハイクを繰り返し、ついに年内に帝都にたどり着いたネオとデイブス。
彼らが捜しているノア・シラミネは、帝国神聖魔術士養成大学の寮に居るということはわかっていた。
街の人に聞いたところによると、帝国神聖魔術士養成大学は、スチュアートリア帝国直属の大学であり、大学はもちろん寮も厳重に軍所属の騎士達守られており、猫の子一匹入り込む余地は無いとのことだった。
軍の騎士によって守られ警備されているだけでなく、そもそも魔法学校である。
魔法でも守られているのであるから、一般の人間の入り込む余地は無い。
そのような状況で、どうすればノアに会えるのか見当がつかなかった。
成功法で面会を申し込むという手もあるが、『大黒主神教』の者と怪しまれたらアウトである。
帝都に入ってから、『大黒主神教』が徹底的に排除されたのであろうことは、なんとなく察せられた。
自分たちも『大黒主神教』関係者だと怪しまれたら、逮捕されて刑務所送りは必至だろうとネオは考えていた。
またもや犯罪者扱いされ、逮捕の危機である。
地球でも、自分の意志とは関係なくいつの間にか犯罪に加担させられそうになった。
おそらくあのまま地球に居たら、逮捕されて前科が付いたことだろう。
ここでも、またいつの間にか国家に反逆する『大黒主神教』の一味にさせられてしまっている。
俺の人生は、どこへ行ってもこうなのだろうか?
だが、同じ境遇に立たされてもノアは違った。
だかこそ、ノアに会いたい。
会って、この不本意な状況から脱出したい。
だからこそ、なんとしても捕まることなくノアに会って話したかった。
ネオは、素性がバレたら逮捕の恐れがある成功法での面会は最後の手段とすることにした。
まずはノアが居るという帝国神聖魔術士養成大学と、その寮について調べてから考えることにした。
「とりあえず、今夜泊まるところを捜すとするか」
と、デイブスが言った。
「もうそろそろ新年祭のシーズンになるから、宿も観光客でいっぱいになる」
「今のうちに宿を探しておかないと野宿する羽目になるぞ」
と、言うデイブスの言葉にネオは
「えー、この冬空に野宿ですか?ノアに会えるまで何日かかるかもわからないのに」
「そりゃ、なんとしても宿を探さないとだな」
と、それは避けたいと思っていた。
ブロッサン国に比べれば南に位置するトロアだが、やはり冬の夜は寒い。
魔力で作った外套で、外気の寒さは防げるとしても野宿は嫌である。
せっかく、海での長旅で披露していた体力も回復したのに、ここに来てまた体調を崩すのも嫌だった。
何よりも街中の石畳の上での野宿なんて考えるだけでも体が痛くなってしまいそうだ。
ここは、なんとしても宿を探したい!
デイブスは、ガニバランから黒魔術師のダボシムと連絡を取るように言われていた。
タボシムは、レイマーシャロル地区の『大黒主神教』施設に居るはすだった。
だが、全くその施設は気配すら見当たらず、ダボシムという名を知る者も居なかった。
諦めたデイブスは、その街でネオと共に宿を探すことにした。
この日は、週末では無かったが、年の瀬ということも有りマルシェも賑わっていた。
リゲル・ラナに来てからは、パドラルのジャンバラン村の市場くらいしか知らないネオは、レイマーシャロル地区のマルシェの賑わいに目を見張った。
地球で言えば、西洋の中世の街並みのような雰囲気で、美しく、清潔で、活気がある。
また、それぞれの店で売られている物の種類と品数の多さに目を見張っていた。
ジャンバラン村の市場とは雲泥の差である。
並べられている商品も現代日本で喜ばれそうなオシャレなものから、骨董好きが喜びそうな物まで、種々様々である。
食品も野菜、果樹、肉、卵、魚…どれも新鮮で立派なものがかりであり、調理された食べ物の良い匂いに、ついつい空腹を覚えるほどだった。
久しぶりに地球の自分が住んでいた繁華街の街並みを思い出したネオは、
「すごいな、ここは原宿?新大久保?アメ横?を全部混ぜたようだが、街並みは中世ヨーロッパだな」
と、思いながら歩いていた。
デイブスも、豊かで賑やかなマルシェを歩きながら
「こんな所に住んでいたら、パドラルには戻りたく無くなりそうだな」
と、思っていた。
貧しい異国の漁村育ちのデイブスには、綺麗な服を来て幸せそうに行き交う人々が羨ましく思えた。
ここには、人として当たり前の生活が当たり前に繰り返されているように見えた。
ただ平凡に、家族と平和に日々の暮らしを繰り返せるだけで幸せなのに。
デイブスには、この人間として当たり前の生活が当たり前では無かった。
ふたりは、初めて見る賑やかなマルシェの通りを人並みに押されるようにして進むうち、中央の広場まで近くまでやって来ていた。
そこで、地元の者らしき男に
「この辺りで適当な宿はありませんか?」
と、尋ねると男は親切にこう教えてくれた。
「ここらの宿は、この時期は常連さんの予約でいっぱいの所が多いから、むやみに探しても無駄足になるよ」
そして、がっかりする二人に
「宿の中には、平日の夜はダイニングバーをやっている所もある」
「そういうところは酔いつぶれた客を一時的に寝かせる部屋を確保している宿もあるから、そういう所を探すといい」
と、言って男の知る数件の宿を紹介してくれた。
ふたりは男に礼を言い、今居る場所の近くから順に、紹介して貰った宿を訪ねてみた。
部屋が空いているか?長期滞在が可能か?…が、両方を満たす宿は無かった。
そして、最後の一軒に望みをかけて尋ねた。
すると、その宿の受付の者が言った。
「はい。ひと部屋のみでしたらご用意可能です」
「お二人一緒の部屋になりますが宜しいですか?」
ネオとデイブスは顔を見合わせて笑顔ですぐに頷き
「宜しくお願いします」
「お世話になります」
と、声を合わせて言った。
これで、なんとか宿の確保ができた。
今日のところは、宿でゆっくり休んで長旅の疲れを癒し、明日から情報収集をすることにした。
ネオは、ついに帝都レイマーシャロル地区まで辿りついた。
ノアとの再会まであと一歩である。
一方、ノア、リリアーナ、アイラ、ポリアンナ達が談話室に集まっていた。
ポリアンナは、ブルーフォレスト城への移動方法についてふたりに話した。
「帝都からブルーフォレスト辺境伯領地へ行くには、馬車だと数日かかってしまうのだけれど、竜に乗って行けば二日で行けるの」
「リリアちゃんとアイラちゃんは、騎竜パイロット訓練を受けていないから、私とクロエに乗るか、お兄様とクレイブに乗って移動して貰おうと思うのだけれどどうかしら?」
と、ポリアンナが言うと、
「えっ?オスカー様と一緒に乗るの?」
と、アイラが驚いたように顔を赤らめて言った。
「お兄様と一緒が嫌なら、私か他の従者の騎竜に乗って貰ってもよいのよ?」
「それとも馬車で数日かけて移動の方が良いのかしら?」
と、ポリアンナは不安そうなふたりに優しく問いかけた。
「いえ、そんな嫌とかじゃなくて…」
と、アイラが慌てて否定する横で、リリアーナも小さくつぶやいた。
「空を飛ぶの?」
そう、空を飛ぶなんてことは、普通の人間の日常生活には有り得ない。
この世界には、飛行機やヘリコプターなんてものは無いのである。
現代地球においてでも、飛行機を怖がり断固拒否なんて人も存在する。
そんな気持ちをよく理解しているノアは、リリアーナにそっと声をかけた。
「きみは、高所恐怖症なの?」
「いえ、わからないわ。空なんて飛んだことも無いから」
と、リリアーナは自信無さそうに答えた。
そこへ、キース、クリスとフォー、アンナの三人もやって来てた。
先頭を歩いていたキースがポリアンナに
「ポリアンナ嬢。レッドリオン公爵の許可も貰えたよ」
と、声を掛けてから、
「僕たちも一緒に金鱗竜部隊の騎竜に乗って移動する許可を貰ったのでよろしくお願いするよ」
と、アンナとクリストファーと共に三人で頭を下げた。
「よろしくね」
「それは、良かったです。皆と一緒に空の旅なんて、私も初めてだから楽しみです」
と、ポリアンナが言うと
「僕らも、そこまでの長距離飛行は初めてなので楽しみだよ」
と、キースが言った。
すると、ノアがリリアーナとアイラを横目に見て
「こちらのふたりは、空を飛んだ事が無いので不安らしいんだ」
と、言うと、
「じゃあ、まずは私のクロエで飛行の練習をしてみましょう」
「それでも、どちらか一方が無理そうなら、私たち三人は馬車で移動することにしましょうね」
と、ポリアンナが提案した。
「それは、良い案だね」
「まずは、慣れることが大切だから練習してみるのが一番だ」
と、キースが言うと
「私も最初は戸惑って皆から遅れをとったけれど、時間をかけて練習しているうちに慣れて来たわ」
と、アンナが言った。
そして、リリアーナとアイラの肩に手を置いて続けて言った。
「空の世界は素敵よ?鳥になった気分になるわ。」
「滅多に出来ない経験だからチャレンジする価値はあると思うの」
「でもね。初めは下を見ちゃだめよ?怖くなるだけだから」
「あと、騎竜に乗る時に役立つ魔法もあるのよ?私も協力するから練習してみない?」
アンナは、キースやクリストファー達に比べて、騎竜パイロット訓練では人一倍苦労した。
最初は、騎竜訓練から降りては?と提案されたくらいだった。
それでもアンナは、持ち前の負けん気で食らいついたHoly Mage候補である。
他のHoly Mageクラスの生徒のように両親のいずれか、または両方がHoly Mageのような貴族の子女ではない。
リリアーナとアイラのように僅かに神聖力を持っていると判定され入学できた平民であり、White MageクラスからHoly Mageクラスに昇格した、彼女たちの憧れの先輩である。
Holy Mageを目指したいリリアーナとアイラにとって、アンナの言葉は重かった。
「はい。頑張ってみます」
「まずは、やってみることからですよね?頑張ります」
と、リリアーナとアイラは、アンナの励ましに元気に答えた。
先程までの不安はどこへやらである。
そうだ!自分たちはHoly Mageを目指しているんだ!
チャレンジもせずに最初から諦めていては先へ進めない。
そう思ったら不安は、吹きとんでいた。
なによりも、騎竜空軍部隊を設立する為に尽力しているのは、ほかでもないリリアーナの敬愛するアラン・クレオ・ハイデルベルト・レッドリオン公爵である。
[わたしが騎竜に乗れるようになったら、アラン様も驚くかしら?]と思いリリアーナも奮起した。
アイラも[頑張って恐怖を克服したら、オスカー様と一緒に空の旅が出来るのよね]と乙女心で、こちらも勇気を奮い立たせていた。
「あ、ところでもし竜での移動になったとしたら、ライナスとロザリーはどうなるんですか?」
と、リリアーナが誰にとではなく言うと、アイラもそうだった!というようにみんなの顔を見回した。
ライナスとロザリーとはふたりが飼っている使徒候補のふくろうのことである。
飼い主である主人の神聖力次第で使徒に昇格可能ではあるが、今はまだ「使い魔」としての訓練をしている途中だった。
以前、ポリアンナに「竜に対面させるのはまだ早い」と言われたので、同行することに不安がよぎった。
すると、ポリアンナが
「もちろん、一緒にブルーフォレス城に連れて来てちょうだい」
と、言ったがリリアーナとアイラには「どうやって?」と、言う疑問が浮かんでいた。
すると、アンナが
「もちろん、私のノエルとクリスのマエルも一緒に行くのよ」
と言うと、クリストファーも
「そうだよ。今、一緒に乗る訓練をしているんだよ」
と、言った。
「でも、ノエルちゃんとマエルちゃんは使徒だから…」
と、アイラが言うと
「ライナスとロザリーも使い魔訓練を始めているでしょ?」
「肩に乗せて一緒に騎上はまだ厳しいでしょうけれど、スリングを作って一緒に移動すれば安全よ?」
と、アンナが提案した。
「スリング?」
アイラとリリアーナが口を揃えて言うと
「赤ちゃんを抱っこして移動する時に使う抱っこ紐のことよ」
「カンガルーのお母さんのようにお腹の袋で運ぶ感じ?」
と、アンナが説明した。
「そのスリングに上空の冷たい空気や、薄い空気を調節する魔法をかけておけば安心でしょ?」
と、アンナは、笑顔で人差し指を立てながらウィンクした。
リリアーナとアイラは、スリングにそれぞれのふくろが入っている姿を想像して
「かわいい~」と叫んだ。
どうやら、ふたりの不安は薄らいだようであるが…空の旅への訓練はこれからである。
その週の週末ノアは、レイマーシャロル地区の宿アフィニティへ行くことにした。
『大黒主神教』のせいで、しばらく寮から出ることも出来ずにいた。
そのため、ノアにとってリゲル・ラナの実家である宿アフィニティへ戻ることも出来ていなかった。
だから、年末年始は宿に戻って手伝いをしようと思っていたのだ。
だが、ポリアンナ達とブルーフォレス城へ行くことなり、年末年始の帰省が出来なくなった。
そのことを、宿の主でありノアの親代わりであるもる親父さんことティム・ランダーに報告に行こうと考えていた。
週末の早朝。
ノアは、大学の寮であるミラ・ローズ宮から、寮の専属の護衛騎士と共に寮の馬車に乗った。
行く先はもちろんレイマーシャロル地区である。
地区の入り口に馬車が着くと、ノアの横に乗っていた騎士が先に馬車を降りてドアを開けた。
ノアは、馬車開けられたドアから降りると
「ありがとうございます」
と、騎士に礼をしてから言った。
「今夜はアフィニティに泊って明日の夜までには寮に戻る予定です」
御者席に座った方の護衛騎士が
「では、明日の日没に、ここでお待ちしております」
と、答えた。
すると、ノアより先に馬車から降りたもうひとりの騎士が、馬車のドアを閉めノアに向かって言った。
「大黒主神教関連施設が一掃されたとはいえ、まだどこにBlack Mageの手の者がいるかわかりません」
「我々は、軍上層部よりあなたを最重要保護人物として護衛命令を受けております」
「人知れずお守り致しますので、ご安心下さい」
と、言って胸に手を当てて敬礼した。
ノアは、なんだか申し訳ない気もしていたが、自分が置かれた立場もよくわかっていた。
「申し訳ありません。よろしくお願い致します」
きっと、この騎士は魔導士以上の騎士であり、人知れず自分を警護してくれるのだろう。
安心でもあるが申し訳ない気持ちでいっぱいでもあった。
ノアは、騎士達に再度、頭を下げて礼をするとレイマーシャロル地区に入って行った。
スチュアートリア帝国の帝都はいくつもの地区に分かれており、それぞれがひとつの街となっていた。
帝都トロアは、帝国が成立以前のトロア王国と呼ばれていた小国時代からの都市である。
これらの城壁に囲まれた街は、戦いが絶えなかった時代のトロア王国の名残を色濃く残していた。
ほとんどの地区は、街全体を城壁でぐるりと囲まれており、その東西南北に城門がある。
その門からの四本の大きな道は、中央の広場に繋がっていた。
小さな街では、週末にその道沿いに露店が立ち並び市場となるがレイマーシャロルのような大きな街では露店ではなく常設店が立ち並びマルシェとなっていた。
ノアは、城壁の門を潜りマルシェの見慣れた通りを歩いていた。
この地区の週末のマルシェは朝から賑わう。
ましてや、年末に向けて慌ただしさを増しており、早朝とは思えぬほど活気づいていた。
さすがに、買い物客の姿はまだなかったが、それぞれの店は開店準備で忙しい。
そんないくつもの店の前を通り過ぎるように歩いていると、
「おや、ノアじゃないか!しばらく見なかったな」
と、声をかけてくれる顔なじみがチラホラいた。
ノアは、声をかけられる度に、しばらくその店の前で立ち話をした。
みんなノアの事を心配してくれたり、勉強頑張っていることを褒めてくれたりした。
そして、宿に戻るならと仕入れたばかりの野菜や果物を土産にと渡してくれた。
本当にみんな良い人たちである。
地球で暮らしていた時は、隣近所との交流などは一切なかった。
子供の頃は、学校の生き返りに声をかけて来る大人も居たが挨拶程度だったし、知らない大人に声をかけられても無視しろと教わっていた。
こんなにほっこりする気分で近所を歩いたことなどただの一度も無かった。
そんなふうに声を掛けられる度に寄り道しながら歩いてるうちに、ノアの両手は手土産でいっぱいになっていた。
両手でかかえた手土産で前が見えない状態のまま、ノアは久しぶりのアフィニティに到着した。
早朝ということも有り、正面の入り口は閉まっているだろうと思い、裏口に回わった。
裏口には馬の納屋があり、そこから懐かしいつぶらな瞳がふたつノアを見つめていた。
ノアは、手に一杯の荷物を地面に降ろすと
「ひさしぶり!俺のこと覚えているか?」
と、言って納屋の中から顔をのぞかせた馬に近寄った。
一緒に野菜の仕入れに行っていたその馬は、ノ首を振りながらノアに自分の顔を摺り寄せて来た。
ノアは、動物の言葉を理解できるようになって来ていたので、馬が「覚えているよ」と、言ってるのを聞いて嬉しくなった。
そして、ふと竜飼育施設に居るエディを思い出してしまった。
「ほら、お土産だよ」
と、ここまでくる間に街の人から貰った野菜の中から馬の個物の野菜を取り出して馬に見せた。
馬は嬉しそうにその野菜を食べた。
初めてこの宿に来て、この馬を見た時には、大きくて立派な馬だと思った。
だが、大学の騎馬戦闘訓練用の馬に毎日乗って目が肥えたノアには、その違いが歴然だった。
騎馬戦闘訓練用の馬は、常に障害物を飛んだり走り込んだりをしているので筋肉の張りが全く違う。
恐らく馬としての種類も違うのだろうが、アスリートと一般人くらいの差があると感じていた。
この子は荷物を運ぶだけで、日々のんびり暮らしている馬だ。
それはそれで幸せな暮らしであるとも思った。
そして、ノアは、ふと
「俺は、どっちらなんだろう?」と、思っていた。
「いや、地球に居た頃の俺は、どちらでもなく、ただゴロゴロダラダラしていた」
「この子はしっかり働き人の役に立っているから、あの頃の俺より立派だ」
と、思うと改めて以前の自分が情けなく思えた。
馬に水と餌を与えてブラシもかけてあげていると、宿の裏口に人影が現れた。
「ノアじゃないか!」
聞き覚えのある声は、親父さん!ティム・ランダーだった。
「親父さん、ただいま!」
と、ノアが答えると、ティムはノアに近寄るとノアを両手で抱きしめて言った。
「おかえりノア!無事で良かった」
そうであった!
前回この宿を出た時は、ピート達『大黒主神教』に追われ逃げるように大学の寮へ戻ったのだった。
その後、親父さんに連絡はとっていたものの、こうして会うのはその時以来だった。
「ごめん親父さん」
「もっと早く顔を見せに来たかったんだけれど、なかなか外出許可が降りなくて遅くなった」
と、ノアがティムに謝るとティムは、
「何を謝ることなんて無いさ」
「お前は、大学と帝国から大切にされている存在なんだから、用心深く行動しないと」
「あの後しばらくして、おまえの大学の先生たちがバーに来てくれたんだ」
「素晴らしい先生たちで、俺は安心したぞ!」
と、大黒主神教施設を一斉摘発前にレイマーシャロル地区の調査に来たというふたりの先生の話をした。
「うん、素晴らしい先生たちだよ」
「親父さんのことも褒めていた」
「親父さんが、俺のことを本当の子供のように思ってくれているって言ってたよ、ありがとう」
と、ノアが言うとティムは顔をくしゃくしゃにして、再度ノアを抱き寄せて
「お前は俺の自慢の息子さ」
と、言った。
ノアは、心が熱くなる思いがして嬉しかった。
そして、ノアはここに来るまでに貰った手土産をティムに見せた。
「今日の食材の仕入れは半分で済むな」
と、ティムが笑った。
「この時期は猫の手も借りたいほどだろう?」
「今夜は、ここに泊まって明日の夕方に寮に戻る予定なので、それまでは手伝うよ」
と、ノアが言った。
「それじゃあ、朝食の手伝いで厨房に入ってくれるか?既に満室なんだよ」
「相変わらずこの時期は繁盛するね」
「ああ、嬉しい悲鳴だ」
「朝食の卵の採取はもう終わってるの?」
「いや、これからだ」
「じゃぁ、鳥小屋に行って生みたて卵を集めて来るよ。満室なら30個はいるかな?」
ティムと、そんなやりとりをしながら、ノアは宿での日々を思い出していた。
こんな日々も悪くは無い。
当たり前の生活を当たり前に繰り返す日々。
それが幸せなんだなと言う事に、地球の生活では気づけなかった。
なぜなんだろう?
答えは出なかったが、ひとつだけ確かなことがあった。
この当たり前の生活を崩してはならない、守らなければならない。
それだけは間違いなかった。




