15.交渉成立です
放課後。夕焼け空も赤みを増して、ひかりと灰司を橙に照らす。シャルンへ向かう道中、彼は一言も白雪の事を話題に挙げなかった。
「いらっしゃいませ」
「おーいらっしゃい!」
校門を出て車道を渡り、幾分か歩いたところにシャルンはある。"Welcome"と書かれた木造の看板をベル付きの扉の近くに掲げ、引扉を開ければそれはゆらゆらと揺れる。その先には制服とエプロンを身に纏った胡桃と百合原がいた。
友人二人の来訪に嬉々とした態度で席に案内してくれる百合原は、嬉しさの中にどことない気まずさを滲ませている。案内されたのは壁際のソファ席。百合原は立てかけられたメニュー表を慣れた手つきで机に並べ、ご注文が決まりましたら……と小綺麗な口調で伝え去っていった。
「橙也、よくやってるね」
メニューを眺めながら、灰司はそう言った。ひかりが言わずとも察していたようだったが、二人ともそれ以上の話は避けてまずは注文内容を決める事にした。
「いちごタルトとスフレチーズケーキ。あっ、モンブランも美味しそう……どうしよう、決められない」
「私はこのコーヒーロールケーキにする。食べきれなくても私半分こ出来ないからね」
予めご了承ください、と付け加えれば、あわよくば半分こしようと目論んでいたのか、しょぼんと灰司は眉を下げた。全部食べられるくせに。ひかりは祭りでの彼の食いっぷりを忘れてはいなかった。
おろおろと悩む時間は想像より早く終わり、灰司が決めた! と声をあげるや否やひかりはすぐに呼び出しのボタンを押す。すると長い身体を屈ませて次は胡桃がやってきた。
「俺は認めてないからな」
胡桃はお待たせしましたも無く、早速喧嘩腰で灰司に突っかかる。ゆるい眦をいつもよりキッと釣り上がらせ、ハンディを両手で持ちながらそう言った。
「注文いいですか?」
「いい度胸だ、灰司くん」
とはいえ、甘味の前の灰司には何者も立ち入れない。肝の座った灰司に、胡桃は言われた通りハンディへと注文を打ち込んでいった。
「いちごタルトとスフレチーズケーキとモンブラン……あと、」
「後、コーヒー二つとコーヒーロールケーキで」
無限に注文しそうだった灰司の言葉端を無理くりに奪い、ひかりは割り入って注文を伝える。二、とピースサインを胡桃に向ければ、にっこりと甘やかしたような笑みで頷いた。
「作戦は順調みたいだな」
「そう見えます?」
「二人でデートまでするんだ、順調だろ?」
口をへの字に曲げ、明らかに拗ねてますアピールをする胡桃にひかりは困ったと灰司に視線を向ける。それを何と受け取ったのか、灰司は元気よく頷いてしまった。
「順調です!」
「……チッ! しばらくお待ちください!」
ひかりは頭を抱えた。
***
二人分のティーカップに、二人分にしては偏ったケーキ皿たち。それが届くまでにひかりは向かい側の彼とどんな会話をしたかを覚えてはいない。記憶まで早送りされてしまったのか、或いはこの先の会話に柄にもなく緊張していたのか。
ひかりはティーカップに口をつけ、苦味いっぱいを飲み込んで口を開いた。
「……と、りひきをしたいんだけど」
「ん?」
砂糖とミルクをあるだけコーヒーに入れているその手が止まる。ダークグレーの瞳がこちらを射止めると、ひかりはティーカップをソーサーに静かに置いた。
「私には彼女たちと戦う術がない」
「うん」
「けど、棗くんにはある」
「あるってほどではないけどね」
「……だから、私がその術を棗くんから貰いたい、何かと引き換えで!」
ずっと考えていたことだった。
ひかりは何の能力も持ち合わせていない。誰かに好かれるように振る舞うことも、誰かを陥れるための知能も。
ただ持っているのはここまでの"運"だけ。ひかりは周りの力に頼りっきりだった。
いつものひかりであったらそのまま時の流れに身を任せていたが、此処はいつもの世界ではない。
このままではノーマルエンドどころかバッドエンドにまっしぐらになってしまうのだ。自力で生きる術を身につけなければいけない。人は支え合う生き物とはいえ、その片方が重荷になっては生きてはいけないのだ。
「何かって?」
砂糖とミルクをかき混ぜながら灰司は問う。その声は些か冷えて聞こえてきた。
「わ、私に出来ることなら手にでも足にでも……!」
「何でもするだなんて言わないでね、良くないよそういうの」
「でも……私が差し出せるものなんて何も、」
「ひかりちゃんの口から聞きたいな」
ずるい。ひかりは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。食道を通る言葉たちは焼けるように熱い。
「……取引してくれるのなら、私が苦痛に思うことも耐えてやってみせる」
ひかりに出来るのは耐えること。自分だけの傷なら耐えるくらいは出来る。簡単に言えば"なんでもやる"に変わりはない。不甲斐なさにテーブルの下でぎゅっと拳を握った。
「いいね」
「最悪……」
「別に取引なんてしなくても僕はひかりちゃんの手を取ったけど?」
「ずっと無条件で腹を探られてるみたいで気持ち悪い」
「ね、大変だねーー……」
僕ら、と聞こえた気がした。刹那的に顔を上げるが、既に目の前の男は何食わぬ顔でスイーツにありついていた。きっと我慢できなかったのだと思う。
「ま! でも、そんなマゾすぎる提案は嫌だけどね!」
「…………ハァ!?」
「別に心を殺してまで耐えてもらうような事なんて頼まないよ、僕彼氏だし!」
けろりと言いのける灰司の口角には生クリームが付いている。ひかりはまた別の意味で拳を握った。ぶん殴りたい、この一心だった。
「ひかりちゃんには他のことを頼みたいな」
「? なに? 私本当に役に立つ自信ないよ、棗くんみたいに」
「僕には出来ないことだから、その時に頼みたいと思う」
「その時じゃ遅いかもしれないんだけど」
「うん、だからまずは……」
灰司は甘ったるそうなコーヒーをぐびと飲み干すと、制服のポケットからスマホを取り出し一人でに操作を始める。そして、何かにたどり着いたのか徐に画面をこちらに向けるとひかりにこう言った。
「シャルン代で手を打とう!」
画面には一つの動画が流れていた。
ひかりの上履きを窓から投げ捨て、ひかりの机を囲み落書きをして、ひかりにペンキを投げる当事者たちの後ろ姿であった。




