3.悪の気配ですね
ひかりは大きく口を開け、一口で大学芋を頬張った。思ったより大きかったそれをはふはふと口の中で転がしながら、ひかりは美味を表情で目一杯表せば白雪はいたく喜んだ。大学芋の甘さはオーケー。けれど、サツマイモタルトは食べれない。ひかりの甘味のラインはかなり繊細であった。
「ひかりちゃんったら、白詰様の妹みたい」
「は、はは……シロちゃんって優しいからつい甘やかされちゃって」
栗色の髪を邪魔にならないように片手でまとめて、お弁当の煮豆を食べるうらら。彼女から話を振ってきたのに、ひかりの誤魔化しには既に興味がないらしい。気遣いも馬鹿らしくなるほど、ひかりとうららの関係は一方的だった。
別にひかりもそれ以上踏み込む努力はしない。好きでもない、関わってメリットもない人に好かれる努力をするなんて、ひかりの中では最も無意味な事だからだ。
だからといって、こんな目に遭わされると予め聞かされていたら、ひかりだって態度を改めたのに!
「上履きがない」
ある朝、登校してきたひかりは自分の空っぽの下駄箱に驚いた。その日は偶然時間が合った為に、一緒に登校した百合原も近くにいて、驚きのままに彼に上履きがない事実を伝えた。
「……持って帰ったとかはねーよな? 今日火曜日だけど」
「ないなあ、なんでだろう。とりあえずスリッパ借りに行ってくるね」
「俺も一緒に行ってやるよ」
ひかりが靴下のまま廊下を歩くと、慌てて百合原も一緒について来てくれた。何故だか上履きがないひかりより百合原は悲しそうな顔をしている。それが何だかひかりの罪悪感を刺激して、職員室に着くまで百合原とひかりの間に会話はなかった。
その後、無事職員室でスリッパを借り、紛失届を出して百合原と教室前で別れた。パタパタと床を鳴らす音が少し恥ずかしいが、致し方ない。教室の扉をガラリと開ければ、ちょうどのタイミングで灰司と鉢合わせをした。
「あ、おはよう。灰司くん」
「おはよう、相良さん。なんでスリッパなの?」
「下駄箱に上履きがなかったの」
「……それ大丈夫?」
ひかりのあまりにけろりとした報告に、灰司が逆に動揺を示す。深刻そうに問いかけてくれる人の良さは、今のひかりにそれなりに鋭く刺さる。けれど、そんな素振りを微塵も見せないようにひかりは笑ってみせた。
「大丈夫。もし誰かに盗られたんなら、へこんでる姿なんて絶対に見せたくないし」
そう言ってひかりは灰司を横切った。強がりは一瞬。最後は灰司の顔を見る事ができなかった。
自分の席に座って、授業を受けている間もじくじくとひかりの漠然とした不安は治まらなかった。
しかもそういう時に限ってナナコがいないせいで、スキップが全くといっていいほどない。いや、これもイベント? だとしたら上履きがなくなるなんて悪趣味だとひかりはシャーペンの先を机に叩きつける。
(……やっぱり、いじめ?)
持って帰っていない、どこかにやった記憶もない、だとしたら変態の犯行かいじめの標的にされたくらいしかひかりには思いつかなかった。
(いじめだったら、最悪だな……このゲーム、自分からやめられないのに)
架空の世界の妙なリアリティに、心を痛めるのはもうこりごりだ。ひかりは教師の説明も上の空状態で、後ろから見えるうららの背中を見つめた。
(……まあ、あの人関連だよな)
恐ろしきかなこういう時のひかりの予想は当たる。
時が経ち、次は翌日。休み時間に移動教室らしい胡桃が1-Aに遊びに来て、談笑していた時だ。
「百合原、バイト慣れました?」
「だいぶ慣れたと思う。元々愛想もいいしな」
「シャルンも愛想が良い男がレジに二人もいたら、助かるでしょうね」
「確かに女性のお客さんが増えたかも」
胡桃と軽い冗談を投げかけ合っている間に、ふとモブ女子生徒たちの声がひかりの耳に入ってきた。
「私は他とは違うみたいな顔しちゃってさ」
「ただの男たらしなだけじゃん」
「ああいう自称サバサバ系みたいなの痛いよね」
いつもなら誰のことだろうと流してしまうような話題でも、どうしてか悪意が自分に向くと妙にはっきり聞こえる。これはひかりに向けて言っているのだとすぐに分かった。あまりにも突然の悪意に、胡桃と笑い合っていたひかりの表情が固まる。振り向いてやろうか、いや、でも明確に名前を指されているわけでもないのにとその数秒間で必死に頭を回転させる。答えは様子見しかない。ないのに。
「ひかりちゃん?」
そんなひかりの異変を胡桃が察し、心配そうに声をかける。ひかりは笑顔を崩さず、胡桃の肩をぽんぽんと押した。
「時間大丈夫ですか? 間に合わないんじゃ……」
「ああ、そうだな。そろそろ行くかな」
「はい、じゃあまた……っ!?」
そう言って自分の席に戻ろうとしたひかりの腕が突然引っ張られる。咄嗟によろけそうになった身体を誰とも知らない席に手をついて支え、引っ張った主を睨んだ。そこにはにっこり胡桃。もちろん、知っていたが。なんだ、なんだその顔は、とひかりはあまり良い気のしない予感に首を傾げた。
「――あれがまともな人間だったら、俺はなりたくないなあ」
いつもうるさすぎない柔らかい声が、教室中に、というより女子生徒らに聞こえるような声量で発せられた。学校での評判を失っても尚、胡桃は顔の良さと愛嬌で生きていけている。けれど、そんな事は彼の興味の対象にはとうに無い。
無邪気で鈍感な人間は怖い。そして、強い。振り向いた先にある女子生徒らの絶句した顔は、それはそれは笑える間抜けさだ。ありがとうと言うべきか? 迷っている間に胡桃はいなくなっていた。多分、次会った時には忘れていそうだ。




