8月27日 図書館 2
「あのアップルパイ、あまりにも美味しかったから。でも確かにあんな時にするべき行動ではなかったよね」
ひとしきり控えめに笑った後、灰司は素直に反省の意を示した。別に間違いだったと言いたかったわけではないのに。そのあまりの素直さにひかりの方が萎縮してしまう。それに思ったより大きな声も出してしまった。勉強コーナーとはいえ良くはない、とひかりは一層身を屈めた。
「それにしても、相良さんは周りを良く見てるね」
「……そう?」
「疲れない?」
再度あらすじを書き出したひかりの手が止まる。灰司の問いかけは嫌味のないさらりとした言い方だったが、ひかりには妙にひっかかった。純粋な疑問だ。突っかかる必要はない。ひかりは、誰もが知っているであろう白雪姫のあらすじを書き連ねながら返事をする。
「そもそも周りを良く見てるって思った事はないから、疲れる疲れないも感じたことないなぁ」
「じゃあ周りを観察する癖がついちゃってるんだ。しかもそうやって人を知った風に言うのに、自分が踏み込まれると嫌がる」
「……なにこれ仕返し?」
「ううん、僕ら似てるところがあるなって」
変わらず嫌味はない。ちらっと表情を確認したが、憎らしいほど爽やかな笑みを浮かべていた。
頭の良い人間に揶揄われている。ひかりはこの謎の会話に率直にそう感じた。灰司とひかりが似ているだなんて、学校の女子生徒が聞いたら卒倒しそうだ。お前なぞ灰司くんの足元にも及ばないとか何とか言われて、いじめられる。そんな未来がひかりの脳裏には浮かぶ。
「どこに似てる要素があったの?」
「そうやってちゃんと自衛してるはずなのに、トラブルがあっちから向かってくる所」
「……心当たりがありすぎて」
前言撤回。不意に図星を突かれ、胸を押さえる。それはこの世界に訪れてからのひかりの悩みでもあった。
「ね。だから用心する癖がついちゃったのかもね」
「灰司くんも?」
彼はそういうのに縁遠いと思っていたのに、存外平凡な悩みもあるのだなと勝手ながら感心してしまう。灰司は視界の邪魔をする前髪を手で避け、至極真面目な顔でこう言った。
「うん、平和に暮らしたいと思えば思うほどトラブルがやってくる。最近はもしかしたら僕がトラブルメーカーなんじゃないかって思い始めた」
「わかる……」
「でも誰も僕の悪いところを言ってくれないんだ。だからこそ相良さんがはっきり言ってくれて助かったかも」
「打算的って悪いところ? すごい賢いと思うけど」
「うーん、それより線引きするっていうところ」
「え、それも悪くないと思うけど」
「そこ! そこだよ、相良さん」
小声ではあるが、主張の強い声にひかりは椅子の背もたれに背中をべたりとくっつけ、のけ反らせた。この本を選んだ理由をやっと書き終えたところだというのに。ひかりは早々と女王や白雪姫の気持ちなり何なりを考察し、文に起こさないといけないのだ。灰司と性格診断をしている場合ではない。けれど、灰司の射抜くような目力の強さに勝てるわけもなく、ひかりは両手を上げて「なにぃ……?」と弱気に問いかけた。
「その人の悪しと呼ばれる所を受け入れたり、時たま鈍感なふりをする所がトラブルメーカーの所以かも」
「……灰司くん、暇なの?」
「うん、実は課題が面白くなくて退屈なんだ」
やはり頭の良い人間に揶揄われている。だけど、心当たりのある指摘には皮肉しか返せなかった。からりと言いのける灰司を睨み、わざと大きな溜息をついてやる。こいつの歪みはサイコパスか何かかもしれない。
「ふふ、ごめんごめん。もう感想文の邪魔はしないよ」
「女の子と話す時、こんな話ばっかりしてるの?」
「ううん、相良さんが初めて」
「光栄ですね」
百合原、胡桃とはまた違った会話のテンポの良さ。天然ではなく、確信犯な所がいいのかもしれないな、と貶しつつもひかりは無意識にまた彼を受け入れる。
「ねえ、相良さん」
「まだ話すんですかね」
「感想文のお手伝いしますよ、お邪魔した償いに」
くだけた敬語が腹立たしい。
既に目の前の男は、課題を鞄に片付けていた。ひかりの大切な宿題が王子の退屈しのぎに使われているのも、また腹立たしい。
「じゃあ感想考えてよ」
「それは相良さんの為にならないから駄目」
「……じゃあ誰に焦点当てた方が書きやすいと思う? こういうの本当苦手で誰の感情もわからない」
誰もが知っている童話だから、書きやすいだろうと選んだひかりが甘かった。苛立ちの表情を浮かべれば、灰司の表情は対照的に待ってましたと言わんばかりに輝いている。
「女王がいいと思うよ、相良さんの近くに似たような人いるし」
「……ええ?」
「相良さんを想って鏡割りそうな人」
そろそろトラブルがあっちから向かってくるかもね、なんて企んだ笑顔で灰司は告げる。
コイツ、なんでも知ってるな? ひかりも負けじと口角をつり上げて見せる。もちろん虚勢だ。なんでも知っている彼への。そして、ひかりはこう問いかけた。
「――夏休みの後になにがあるの?」
答えは九月の自分が知っている。




