7月30日 ファミレスから車内へ
7月30日
補習が終わったひかりと百合原、テストが終わった胡桃とその父親でファミレスに来た。
玄関で三人で話していた時に、偶然通りかかった胡桃の父親が人の良い笑顔で提案してくれたのだが、どうにも隣の百合原は緊張した心地で座っていた。
「ファミレスで悪いな、っていうのも店に悪いか」
「いや全然、ご馳走になるだけで有難いので!」
テーブルにメニューを広げてくれる胡桃の父親に、ひかりは手を振って遠慮がちに返事をする。ひかりの向かい側には胡桃、その隣に父親という形で座っているため、自然と身体は隣の百合原の方に向いた。
「ちょっと、アンタいつまで緊張してんの?」
「バッ、お前、普通そういう事言うか!?」
借りてきた猫のような百合原についツッコミを入れれば、ひかりには調子良く言い返してくる。その様子を見た胡桃の父親は快活な笑い声を上げた。
「ははは、緊張なんてしなくていいのに。宝から最近よく話は聞いてるよ、子犬みたいな後輩がいるって」
「子犬ってなんすか!? 俺、そんなちっさくねえっすけど!」
「だってそれしか思い浮かばなかったから」
胡桃の素直な返事にわかるわかるとひかりも頷けば、百合原はショックだと言わんばかりにしょげた。その様子が子犬のようだと思われている事を理解していないのが、百合原らしかった。
そんな軽い話題で盛り上がりながら各々がメニューを決め、呼び出しベルを押すと程なくして女性店員がテーブルへとやってきた。女性店員は胡桃を見るや否や、気難しい表情を笑顔で上塗りをする。
「……あ、退院したんですね、おめでとうございます」
「どうも、ありがとう」
その一瞬の会話だけだったが、ひかりは女性店員と胡桃の間に何かがあると感じた。大方、三枝と同じ元彼女とやらだろう。ひかりが特別察しが良いわけではない、胡桃の父親でさえも気まずげに押し黙っていた。だからではないが、代わりにひかりが全員分のメニューを注文すれば、女性店員は素っ気ない態度で注文をハンディに打ち込み去っていった。
「こんな所にも潜んでるんですか?」
メニューを片付けるついでにひかりがそう問いかけると、胡桃は両肩を上げ苦笑した。
「虫みたいにいうなよ。そこら中にはいるけどさ」
「毒が入ってるかもしれないから、私が毒味してあげましょうか?」
「あ、俺、腹強いんで食べてあげますよ!」
「俺のオムライスが食べたいだけだろ?」
軽いブラックジョークにひかりと百合原は口角をつり上げ、悪戯っ子のように笑う。百合原も段々と胡桃への関わり方を学んできたようで、会話のテンポも小気味良いものだった。
ちらりと視界の端に胡桃の父親が映る。目を見開いて驚いた顔が安心した笑顔に変わっていく。胡桃の父親もまた複雑な心境なのだろうか。予想でしかないそれに捕われる前に、ひかりは視線をお冷に移した。
その日はしっかりデザートまでご馳走になり、午後で解散となった。幸いにも胡桃の料理に毒は入ってなかったようだ。
***
「いい子達だな」
「可愛いんだ二人とも。素直でひねくれてて」
ひかりと百合原を家まで送り届け、車内は宝と父の二人きり。久しぶりにこの助手席に乗った気がする。宝は移り変わる外の景色を眺め、懐かしさに目を細めた。
「ひねくれてるか?」
「とっても。みんな大人の前では隠すのが上手なんだよ、見習わなきゃな」
そう笑うと、父が何か言いたげに言葉を呑んだのが宝には分かった。さっきのファミレスでもそうだった。ひかりが何となしに躱してくれたが、父があの女性店員との関係について訊きたそうにしていたのは、紛れもなく最近の事件のせいだろう。宝はシートベルトの上から腹部をそっと押さえる。汚い傷跡がそこにはあった。
「ちゃんとみんなに別れは告げたよ」
「え?」
「今まで付き合いがあった子にはみんな連絡した。一方的だけど、ちゃんと返事がもらえるまでお願いしたし。何発かビンタもくらったりしたけどさ」
「……いや、俺は」
「だから心配しないで。もうないようにするよ、あんな事」
これが宝の精一杯だ。だから、これ以上はそんな悲しげな顔をしないでほしい。そう願いはするも、大人には子供の気持ち全てを察する能力も義務もない。父はなるべく明るく振る舞いながら、話を続けてしまった。
「いや、お前の人生だからな。もしかしたら女性関係は俺に似たのかもしれないし……」
「誰にも似てない。俺が選んだんだから、父さんのせいじゃないよ」
「……」
思ったより冷たい言い方になってしまった。黙ってしまう父に、宝の傷がじくじくと痛む。これがひかりならきっと「宝先輩が自分でやって、自分で終わらせたんですから、次は純粋な恋愛でもしてくださいよ」と他人事に笑い飛ばしてくれるだろう。でも父には他人事じゃない。宝は今やたった一人の家族なのだ。その事実が宝には温かくも重たい。今の自分に父の想いを受け止めるだけの余裕はなかった。
「俺の中ではもう完結したんだ」
「完結?」
「走馬灯を見たって言っただろ? その時に俺はおばあちゃんにも父さんにも愛されてて、自分が寂しくて可哀想な子じゃないって気づけたんだ」
「ああ、そりゃあもちろん……」
宝は窓に向けていた顔を父に向ける。運転をしている父の視線は前を向いたままだ。それでいい。
「そこで第一章完結。母さんの呪いは終わり。だから母さんの代わりにしてしまった女の子たちに別れを告げた。……一応話し合いはしたけど、それでまだ恨まれて刺されたらしょうがないよ。俺が悪いし、先の事は分からないんだから」
「そうはいっても、父さんは納得できない。もう絶対にあんな危険な目にあってほしくないし、母さんのことだって、」
「俺は許さないよ、母さんのこと」
運悪く車が赤信号で止まってしまう。宝の発言に父は驚いた顔をこちらに向けた。傷つけたいわけではない、けれど分かってほしい。どちらかを犠牲にするとして、宝は父を傷つける方を選んだ。
「ちがうな、今の俺は許せないんだ。だからといって何もしないよ。もう会いにも行かない、そんな余裕ないし」
「どういうことだ?」
疑問はごもっとも。宝は襟足を掻いて、気恥ずかしい気持ちになりながら、空中に小さなハートを描いた。
「詩的で少し恥ずかしいけど、俺のハートは今まで穴だらけで小さかったんだ。それをみんなに絶えず埋めてもらってた」
わかる? と首を傾げれば、何となく分かると言いたそうに父は首を縦に振った。宝は話を続ける。
「その穴が最近やっと埋まったんだ、第一章を終えてね? けど、ハートは小さいまま。ここから沢山の成長を経て、俺のハートが大きくなって、母さんの事を忘れられるまで許せない」
「ハートが大きくなるのに、父さんができる事はあるか?」
「ひかりちゃんたちみたいに笑ってくれてたらそれでいいよ。俺は本当に父さんのせいだなんて思ってない、けど母さんのせいだとは今も思ってる。今はそうじゃなきゃやってられないからな」
許して、父さん、だなんて宝が笑いかければ、父はくしゃりと歪ませた顔を前に向けた。青信号だ。こういう時は見ないフリをするに限る。宝はまた視線を窓の外に向けた。
百合原が昌也に言ったように皆が皆、同じ強さを持っているわけではない。強くなるのに時間がいる人間もいる。それは宝にずばり当て嵌まった。だからこそ、百合原の真っ直ぐさは眩しかった。
「それなら父さんは防刃ベストを買う!」
「へ?」
泣きぐずるような声で父は高らかと告げる。宝は顔を見ないよう、けれどぽかんと口を開けて聞き返した。
「父さんが笑って見守るためにそれくらいはさせてくれ。本当は転校とかも考えたけど、それは嫌だろ?」
「それは……嫌だな。せっかく出来た縁だし」
言わずもがなひかりと百合原の事だ。父はわははと笑い、そうだろと満足げに納得した。ぎこちなかった空気が緩和したような気がする。気がするだけだが。
こんな訳の分からない宝の持論を受け止め、父なりの妥協案を出してくれた。それだけで今の宝には十分だ。彼の血が流れていることが誇らしいとさえ思う。
窓の外の景色は忙しなく移り変わる。
せめて防刃ベストは寒くなってからにしてくれないだろうか。ジリジリとコンクリートを焼く日光の明るさに、宝はぼんやりと微笑みを浮かべた。




