8月12日 夏祭り 2
「ありゃ負けたね」
「見事にね」
「うるせーよ……」
百合原の手首に吊るされた袋いっぱいのスーパーボールの中に、ついぞ大きいスーパーボールが仲間入りすることはなかった。慰めにもならないひかりと灰司のフォローに百合原は肩を落とす。スーパーボールなんて少し遊んだら飽きてしまうのに、そんなにすくってどうするのか。落ち込み過ぎな気がする百合原を見守りつつ、ひかりは辺りを見渡した。
「あ、あそこにいるのゆかりくんじゃない?」
不意に射的の屋台で騒いでいる子供達が目に入り、ひかりは百合原の袖を引いてその方向を指で示す。すると、百合原より先にゆかりが気付き、此方に駆け寄ってきた。その後ろには浴衣に身を包んだ憂と女の子たちが見え、ひかりは小さく手を振った。
「にーちゃん! 見て見て、なんか光るヨーヨーみたいなの当たった!」
「こんばんは、ゆかりくんのお兄さんと……えーと、」
「あ、灰司くんだよ。前言ってた……」
キラキラと点滅を繰り返すヨーヨーを見せつけるゆかりとは対照的に、きゃあきゃあと騒ぐ女子を先導し、憂がぺこりと挨拶をする。淡い水色の浴衣が彼女の愛らしさを引き立てていて、とっても可愛い。Tシャツにハーパンのひかりだが、この瞬間ばかりは胸を張って妹を自慢したくなった。
「こんばんは。前言ってたってなに言われたのかな?」
「ういちゃんの担任の先生、灰司って言うんだって」
「それは……」
常に笑顔で線を描いている灰司の瞳が、僅かに見開かれひかりを見る。その表情から確かな動揺を感じ、ひかりが様子を伺えば、遠くの方から若いスーツ姿の男性が歩いて向かってきた。
「あっ、ハイジ先生、こんばんは!」
憂や女の子たちが一斉に沸き立ち、その男性に挨拶をする。まさかこの人が、と視線を向けると確かにその容姿には灰司棗の面影が垣間見えた。
「はい、こんばんは。一瞬何だと思ったけど、おねーさんかな?」
「ゆかりくんのお兄さんと、私のおねーちゃんです」
え、ういちゃんなにその顔。ひかりは見たこともない憂の恋するような恥ずかしげな顔に驚愕する。紹介されるままに会釈をすれば、目の前のハイジ先生とやらは優しげな笑顔で会釈をしてくれた。
「初めまして、憂さんの担任の灰司夾です。棗と橙也は顔見知りだから、挨拶はしなくていいかな」
「あ、初めまして。ういちゃんがいつもお世話になっています」
「兄さん、今日見回りの日なんだね」
「ああ、そうなんだ。見回りだから特に楽しめたりしないのが残念だけど」
灰司同士の会話に、やはり血縁関係かとひかりは密かに納得する。灰司棗によく似た桃花眼は少しつり目気味で、眉はきりりと揃えられている。髪は襟足が少し長めなミディアムショートといったところか。何にせよ灰司家の血は恐ろしいと思ってしまうほどのこれまた美形だった。まじまじと見つめてしまえば、横から百合原が肘を当ててきて、小声でひかりに耳打ちをしてきた。
「ういちゃん、絶対夾兄に惚れてんだろ……」
「ちょっとやめてくれる? 複雑すぎて消化しきれてないんだから」
「なんでだよ、男見る目があるっつうことじゃねえか。……でもゆかりは切ないな、夾兄には敵わねえかもしんねえ」
そこも拗れてるのかと新たな小学生の恋愛事情にひかりは頭を悩ませる。まあ、結局憂が幸せならばなんでもいいという思考に終着するのだが。ひかりは袋の中のたこ焼きを取り出し一つ頬張ると、灰司兄と話していた灰司弟がひかりたちの方へ振り向いて、突然両手を合わせ謝り出した。
「……ごめんね、僕も兄さんの見回りに付き合うことにするよ、久しぶりの兄弟水入らずだしね」
ええ!? と百合原とひかりが声を重ねて驚けば、灰司弟はごめんねと二度目の謝罪を述べる。愛嬌のある笑顔とはこういうものだぞ、と見せつけられているような笑顔。ひかりがどうしたものかと百合原に視線を向けると、少し考えた後、彼は首を縦に振った。
「うーん、わかったよ。棗がそう言うなら……」
「私もいいよ」
「ありがとう、じゃあ兄さん行こうか」
「……ああ、じゃあみんな遅くなる前に帰るんだぞ?」
はーい! と子供たちの無邪気な声が揃う。ひかりはその間、灰司兄の表情の変化を見逃さなかった。一瞬不快に眉を寄せていたように見えたのは気のせいであれと思いつつ、人混みに消える二人をひかりは黙って見送った。
「じゃあ、俺ら行くから!」
「おねーちゃんもお金使いすぎちゃダメだよ」
「は、はーい……気をつけます」
「ういちゃんのほうがよっぽどしっかりしてんな!」
「うるせーわ!」
教師がいなくなった瞬間、いい子ちゃんモードは終わり、子供達も去っていく。
……何だか今更二人きりも少し気まずいなと感じつつ、歩き出した百合原にひかりはついて歩いた。
「ね、灰司くんのお兄さんってどんな人?」
話のネタとしてひかりは軽く話題を振ってみる。百合原はううんと唸った。
「優しくて気さくなにーちゃんって感じ。けど、あの二人って別に仲良くねーんだよな」
「へえ。二人とも線引きしてる感じ?」
「どうだろうな。夾兄は棗に話しかけたりしてるんだけど、棗は素っ気ないってイメージだったからさっきはびっくりしたけど」
「……やっぱり灰司くんって変だな」
「……! そうなんだよ、棗って王子様って言われてっけど、ちょっと変わってておもしれーんだよ!」
喜んでそう話す百合原に「そういう意味じゃないんだけど」なんて返事は、とてもじゃないがひかりの口からは出来なかった。
灰司の時折見える二面性について。王子様のような完璧な対応を見せたり、甘いものではしゃいだり、時たま企んだ笑顔を見せたりと彼は話すたびに姿を変える。掴みにくいその実態も歪みによるものなのだろうか。たこ焼きを口でついばみながら、ひかりは思い巡らした。
「お、そろそろ花火の時間だぜ。俺、良いスポット知ってるんだよ」
「遠い?」
「お前なぁ……別に遠くねーから行くぞ」
風情のないひかりに呆れた様子の百合原が案内したのは、神社から外れた山道。山道といってもかなりなだらかで歩きやすく、数分ほど歩けばすぐに開けた場所にたどり着いた。人気はなく、街が軽く見渡せる大っぴらな景色にひかりは感嘆する。
「うっわあ、綺麗だね」
「だろ? こっからよく見えるんだぜ、花火」
夜の空気をめいっぱい肺に吸い込み、大きく深呼吸してはひかりは固められた地面に腰を下ろす。その隣に百合原も吊るしたスーパーボールを揺らし、腰を下ろした。手首にはリストバンドがつけられている。傷隠しのためだろうとひかりはなにも言わなかった。
「たこ焼き、たべる?」
「お前、食ってばっかだな」
「いらないの?」
「食う! 食うよ!」
ひかりが爪楊枝に刺したたこ焼きを百合原の口元に差し出せば、百合原は一瞬躊躇した後、ぱくりと一口でたこ焼きを食べる。暗くてよく見えないが彼の頬が少し赤い事が分かり、ひかりは初々しい奴めと微笑ましくなった。
「そろそろ、かな……」
百合原がスマホで時間を確認した瞬間、ドカンッと大きな音が鳴り、夜空に花火が打ち上がる。紫の閃光が辺りに散らばり、二人の顔を照らした。
「わ、すっご……!」
「たーまやー!」
「た、たーまやー!」
百合原に遅れてひかりも夜空に向かって叫ぶ。スカッとするくらいの大声が少し馬鹿馬鹿しくてひかりは笑い声を上げ、両手を叩いた。
「誘ってくれてありがとう、百合原」
「……なんだよ突然」
「お礼言ってるだけでしょ」
「礼なんか言わなくていいんだよ、これからいっぱい誘うんだからその度にお礼言うつもりか?」
「……ふふ、確かにそうだね。今度は宝先輩も来れるといいね」
「そーだな、きっと誰よりもはしゃいでるぞ」
色とりどりの花々が夜空に咲き乱れる。
久方ぶりのゆっくりとした時の流れと、目を癒す綺麗な景色にひかりは自分の膝を抱き、その眺めをじっと楽しんだ。
彼が友人で良かった。ひかりは心の底からそう思った。




