17.ハートは毒に満たされた
比嘉は覚束ない足取りで公園から去った。あんなスキャンダルが発覚したのだ。きっとこの先、彼の姿を見ることはないだろう。
結局、弟がヒーローになった公園で百合原は同じくヒーローにはなれなかった。白雪が来ずとも、結果は変わらなかったかもしれないが、それは今のひかりには判断しかねる事だった。
「大丈夫? アンタ、やり返すくらいしなよ」
ひかりは倒れている百合原を支えてやろうと手を伸ばす。しかしそれは百合原に届く事はなく、白い手に阻まれた。
「ひかり、優しいのは結構だけど、私との話が先でしょう」
予想はしていたが、こうも分かりやすく邪魔をされるとさすがのひかりも参る。重苦しい息を吐けば、白雪はぴくりと目尻を震わせた。
「あのね、シロちゃん。ボロボロの百合原を置いてそんな話し合いできないよ。後からでもいい?」
「ダメ。なんでそいつを優先するの? 胡桃宝にでも頼めば? ああ、男に優しくする嗜好はないんだっけ?」
「はは、すごい敵意だな。本当に白雪姫? 悪い女王様じゃなくて?」
ああ、寒い。
白雪の敵意と胡桃の好奇心が水面下でぶつかり合っている。白雪との短い付き合いの中で、彼女に合う人間など滅多にいないとは気付いていたが、胡桃もまた難しい人間だった。
ふとひかりが視線を落とすと、そんな二人の様子を心配そうに見ている百合原が目に入る。一番傷ついているくせに。ひかりは軽く地団駄を踏んだ。誰にもバレないように、靴を慣らすくらいの小さな地団駄。
「シロちゃん、とにかく今は無理。百合原も私の友達……だから、……多分」
後半はちゃんと言葉になっていたか分からない。白雪の顔は見れなかった。理由は怖いから。けれど今ばかりは、百合原を優先したい気持ちをひかりはどうしても曲げられなかった。
「多分ってなんだよ。お前そこははっきり言ってくれねえと、俺が恥ずかしいんだけど」
「うるさい! アンタは病院行くか手当てされるかさっさと決めて!」
「ほら、百合原くん。俺の肩貸してやるから」
この空気でも余計な事だけはよく口が回る百合原の腕を、胡桃は自分の肩に回して起き上がらせる。白雪には悪いとは思いつつ、ひかりは背を向けて歩き出そうとした。
「……――悪い奴じゃないって思ったんでしょ?」
その時、すすり泣いたような声がひかりを止める。え? と思わず振り向くと、そこにはいつもの白雪がいただけだった。騙された気分で立ち止まるひかりを「先に行ってるね」と胡桃は無情にも見捨てて行く。振り向いた手前、黙って去るのも変な気がして、仕方なしにひかりは彼女と向き合った。
「なに?」
「百合原橙也の事、意外と悪い奴じゃないって思って助けたんでしょ? 警戒心が薄いにも程があるよ。胡桃宝の事も調べた。ひかり、何も知らないでヤリ捨てされそうになったんだって?」
白雪のあけすけな物言いに、カッとひかりの顔に熱が集まった。桃色の唇からは更に辛辣な言葉が紡がれる。
「どうしてそんな奴に助けを求めたの? ……分かってる、頼る人がいなかったって言うんでしょ。後、いざという時の脅し。なんて分かりやすくて短絡的な思考なんだろう……まあ、ひかりのそういう所がすごく愚かで可愛いんだけど」
「……シロちゃん、おかしいよ。私のことなんだと思ってるの?」
顎に手を当てた気取った仕草も、今日はどこか薄気味悪い。白雪は白い毛先を指で弄びながら、ひかりの質問に淀みなく答えた。
「友達だよ。それで次はマブダチになるんだよね? ちゃんと覚えてるってば、心配しないで」
「じゃあ何その執着心。私を人形みたいに扱うよね、なんで? 従順な私が好きなだけでしょ?」
当初から持っていたひかりの違和感。いつもそれから逃げて向き合わなかったのは、ひかりの弱さ故だった。
「……」
白雪が珍しく押し黙る。動揺しているようには全く見えなかったが、ひかりはこの機会を逃さずに言葉を続けた。
「私、シロちゃんのこと好きだよ。……頭が良くて、優しくて、馬鹿な私をいつも心配してくれる。けど、関わる人は自分で選ぶよ。痛い目見ることだってそりゃああるかもしれないけど、そんなの選んでみなきゃ分からないし」
白雪と友達になる事も成り行きだったとはいえ、ひかりが選んだ事だ。それをひかりは後悔していない。多少厄介で心配性だったとしても、彼女もまたひかりを選んでくれたのだ。
純粋な気持ちを吐露しても、目の前の白雪の表情は変わらなかった。あまりの変化の無さにひかりは変に恥ずかしい気持ちになる。ひかりは自分の気持ちを誤魔化すために、こわごわと白雪の名前を呼んだ。
「シ、シロちゃん……?」
「……わっちゃった」
「へ?」
「変わっちゃった、変わっちゃった……本当に変わっちゃったんだ、ひかり。どうしてそう鈍感なの? 私がどれだけひかりに頭を悩ませてるか分からないんだ?」
整えられていた髪をくしゃりとかき乱し始める白雪。壊れたロボットのように「変わっちゃった」と繰り返すその様は恐怖以外の何者でもなかった。
「その選択が間違ってるって教えてあげてるのに、どうして分からないの? ひかりって本当自分の事しか考えてない。それが良いって言ったのは私。素直な選択をしろって言ったのも私だよ!? けどそれはアンタが傍観者だから! 徹底的に他人事を決め込もうとしてたからなの!」
静かだった白雪の声が激情に駆られ、どんどんとヒステリックに声量を増していく。青白い肌はあっという間に真っ赤に染まっていた。
――怖い、怖い、怖い! ひかりは近づいてくる彼女にいつの日かの蘭咲黒を重ねた。ひかりが狂わせた男。白雪もひかりが狂わせてしまったのだろうか。白雪の両手がひかりの身体を拘束する。その細腕からは想像も出来ぬ程強い力だった。
「頭の悪い奴は嫌い。汚くて醜い奴も嫌い。けどひかりは好き。よりにもよって私と友達になりたいなんて、正直に言ってくる何も知らないアンタが好きだよ」
甘ったるい毒。白雪の毒がひかりを侵す。彼女の胸にぎゅっと優しく抱きしめられ、ひかりはぽろぽろと大粒の涙をこぼした。




