11.勉強になります
「お前に相談があんだよ」
百合原は珍しく殊勝な態度でそう言った。ひかりは最初モニター越しに断ろうとしたが、憂がそれを制した。
「相談、のってあげてよ」
憂に頼られたことなどなかったひかりが、そのお願いを無下にする事などできるはずがない。渋々百合原を家に招き入れることを承諾したが、ひかりは家の扉を開けた瞬間ひどく後悔した。
首には掻き毟った傷、手の甲にはたくさんの内出血の跡。そこにいたのは痛々しい姿の百合原だった。その着崩された制服の下がどうなっているかなんて想像したくもない。
「わたし、自分の部屋でホットケーキたべるね。下の方が涼しいからゆっくりしてもらって」
ひかりは憂の気遣いに途端に心細くなる。階段を上がる憂の後ろ姿を見送り、ひかりはやむなしに百合原をリビングに案内した。さっきまで憂が座っていた場所に百合原を誘導し、向かい側にひかりが座った。
「あ、なんか飲む?」
「……いらねー」
いつもの獅子の真似をした髪も今日は前髪が下りて、百合原の童顔を引き立たせている。百合原が首を振ると癖のついた横髪が頬に張り付いた。
「んで、相談ってなに?」
なるべく明るい声でひかりは問いかける。百合原は身を縮こまらせ、おどおどと口を開いた。
「迷惑だって、分かってっけど……あの勉強会のメンツの中じゃお前くらいしか思い浮かばなくて、」
「うん」
「俺、このままじゃダメだって思ってんだ。ゆかりがあんなに頑張ってるのに、俺はずっと怖い先輩に怯えてヘコヘコしてさ……」
「なにがダメなの?」
「え?」
ひかりの唐突な疑問に顔を上げた百合原と視線がかち合う。二人ともきょとんと目を丸くし、そのどちらともがお互いの発言に疑問を持っているようだった。
「なにがダメって、ゆかりはいじめっ子に頑張って立ち向かってんのに俺はかっこわりぃだろ。人いじめて、強くなったフリして」
「百合原はそうしなきゃそのグループで生きていけなかったんでしょ?」
「……そうだけど、そうじゃねえだろ? 俺はゆかりの見本にならなきゃいけねえんだよ、だからこのままじゃダメなんだ」
「じゃあ比嘉先輩をボコボコにするの?」
問いかけばかりのひかりに百合原は分かりやすく苛立った様子を見せた。彼の手がぼりぼりと傷だらけの首を掻き毟る。その皮膚からじわりと血が浮き出ると、短く切りそろえられた爪を赤く染めた。
「お前、相談に乗る気あるか?」
切羽詰まった百合原の声はひかりに不穏を浮かばせる。勝手に来たくせに、と苛立ちもした。以前にも感じたが、彼とは道徳心の感覚が違う。ひかりの応は百合原の否だ。
ひかりは人の悩みを受け入れられるほど心の許容量が広くない。なのに皆が皆ひかりに泥を吐き出そうとするのは、ヒロインだなんて役割を引いてしまったからだろうか。
「相談する人間違えてると思うけど」
「……間違えてねえよ」
「灰司くんがいるじゃん」
「〜〜っ、アイツじゃダメなんだよ!」
ガウッと子犬が吠える。ダメ、ダメと否定ばかりする百合原の唇に血が滲む。ひかりはテーブルに頬杖をついて百合原の言葉をじっと待った。
「こんな凡人のままじゃ、ゆかりに呆れられちまう。アイツにだってなれたんだから、俺も自分の力で特別になんなきゃいけねえんだ」
はく、はくと息をするのも苦しそうに喘ぐ百合原は、とっても愚かでかわいそう。けれど、ひかりにはその気持ちが意外にもよく分かる気がした。
頬を押しつぶしたまま、ひかりは目をすがめる。
「はあ、だからって凡人の私のところに来てちゃ意味ないと思うけど」
「……そ、そういうつもりで言ったわけじゃ」
「別にいいよ。そりゃあ、灰司くんとかゆかりくんみたいな子が周りにいたら自信も失うよ」
「悪口か?」
「馬鹿じゃないの?」
ひかりなりの共感の言葉は百合原には通じなかったようだ。久しく無かったテンポの良い会話にひかりは口角をつり上げる。
凡人と凡人の会話だ。腹立たしいが、ひかりは何も考えずに繰り広げられる百合原との会話が好きなようだった。
「灰司くんなんか良い例だけどさ、ああいう"特別"ってちゃんと段階を経て作り上げられたものじゃんか」
「あ?」
「ちゃんと昔から自己肯定感を育て上げてきたから、あの自信と行動力があるわけでしょ? だから今突然"特別になりたい!"って言ったって難しいと思うわけよ」
「……じゃあどうすりゃあいいんだよ」
なにか思うところがあったようで、百合原は自傷していた手を一旦止めてくれた。ひかりも頬杖をやめ、一度深呼吸して自分を落ち着かせる。こういう己にも辛い話に向き合うのは、逃避癖のついているひかりにも結構しんどいものだった。
「そのまま凡人として楽に生きるか、今からでもちょっとずつ自信をつけるかじゃない?」
その実、ひかりは彼の生き方に疑問を覚えなかった。強いものに従うのは別に悪いことではない。それで自分も強くなれたと勘違いする人間もいるが、百合原はそんなに単純ではなかっただけだ。人をいじめて開き直れない彼は、弱肉強食の世界に馴染めなかった。獅子の真似事は所詮真似事の枠を越えられない。
「俺は、凡人のままじゃいやだ」
「じゃあ自信をつける道を選べば?」
「選べば、ってお前簡単にいうけど……わかんねえよそんなの」
「とりあえずそのグループにいても害しかないなら抜けようよ」
「お前なあ!」
楽観的なひかりの意見にまた百合原が吠えた。それでも、ひかりは気にせず立ち上がる。驚いた瞳がその挙動を追えば、ひかりは手を振って百合原を催促した。
「そもそも私と百合原の馬鹿コンビじゃ解決できるわけないじゃん。人の手を借りたくないなんて言ってる場合じゃないでしょ」
「は? どこ行くんだよ、棗のところなら行かねーぞ!」
「違うから早く立って!」
ひかりは財布を片手に百合原の腕を引っ張ると、いたって真剣な面持ちでこう言った。
「おはぎを買いに行こう!」




