9.正しい答えとは?
「え、俺なにかしたか?」
百合原の返事はやけに間抜けに聞こえた。
ひかりは襲い来る寒気に腿をスカート越しに摩る。その動きはほぼ無意識だった。どうしてこうも白雪は場を凍りつかせてしまうのだろう。
灰司もさぞ気まずげにしているはずだと思えば、彼は最後のアップルパイをもぐもぐと咀嚼していた。抜け目がない。甘いもの好きにしてもクレイジーだ。
「昨日、蘭咲黒のこと集団でいじめてたでしょう」
摩っていた手が止まる。次の瞬間にひかりは百合原に釘付けになった。その可哀想なくらいに真っ青な顔色が白雪の発言を直に認めている。
こういう時正直な人間は大変だ。ひかりは告発の邪魔にならないよう、なるべく息を潜めた。
「橙也、今の本当?」
灰司は語気を強める。探るようで百合原を責めたその口調は、百合原をたじろがせるには十分な気迫だ。
「蘭咲だけじゃない。気弱な子を狙って手当たり次第カツアゲとかしてるでしょ。いつの時代なの? って感じだけど」
白雪の双眸が冷淡に細められる。嘲笑。とん、とんとテーブルを打つ彼女の白い指先は、裁判長が木槌を打つようだ。
「ひ、比嘉先輩に命令されて……」
怯えきった百合原の声は震えていて力無い。二人に追い詰められた百合原の両手は、テーブルの上で落ち着きなくもじもじと絡んで動いている。しかしそれでも馴染まないのか、片手でもう一方の手の甲を色が変わるほどつねっていた。
「比嘉先輩って?」
ひかりはようやっと口を開く。それは百合原を助けたいとかではなく、純粋な興味で。
「三年の先輩で、超強ェの。しかも怖ェし、バックにやべえ人らがついてるとかなんとか……」
馬鹿じゃないの。そう言いそうになるのをひかりは必死に耐えた。それくらい馬鹿馬鹿しいワードの羅列。比嘉先輩がどんな人なのかは知らないが、ひかりの頭にはイキッたヤンキーの姿が浮かんだ。想像の中の比嘉先輩は肌がほどよく焼けていて、ガタイがいい。
「その先輩が怖くていじめてたんだ? 逆らったらアンタがいじめられるから」
「……さ、いしょはそんなつもりなくて、」
「なんで相談してくれなかったんだ?」
「お前になんて言えばいいんだよ……」
白雪と灰司に代わる代わると詰められる百合原はいつもの横柄な態度はどこへやら、背を曲げて身を隠すように小さくなっている。友達だろう? と言いたげな灰司の問いかけにはついに俯いてしまい、声はどんどんと萎んでいった。唇はきゅっと横に引き結ばれている。その姿を見て被害者ヅラしないでよ、と白雪が舌打ちをした。
地獄の空気の再来だ。百合原はこれで白雪との相性が悪い事を自覚してくれるといい、とひかりは呑気に思考を巡らす。
そんなひかりに空想の女教師が、脳裏で不意に問いかけてくる。
『――では、相良さん。何故百合原くんはいじめに加担したのですか?』
空想の中でも彼女は先が赤くなっている指示棒を手の中でしならせる。ひかりはごくん、と唾を飲み込んだ。
『それは……えっと、そうしないと逆に百合原がいじめられてしまうかもしれないからです』
『ええ、正解です。では、貴女はそんな彼をどう思いますか?』
『私の思いですか?』
『……はい、それを訊いてますが?』
ひかりが首を捻ると露骨に彼女は不機嫌を表す。それ以上機嫌が損なわれる前に、ひかりは慌てて答えを述べた。
『け、賢明だと思いました』
『はあ?』
彼女の目尻がひくつく。ひかりは恐怖に震えながらも話し続けた。
『彼の素性は詳しくは知りませんが、可哀想で運のない男だなとも思いました。その中で強い者に媚びへつらうことを選んだのは、悪いことだとは思いません』
『同情したのですか?』
『多分……』
百合原たちのような輩は結束力だけは無駄に強いイメージだ。その中で輪を乱すのは死活問題だろう。ひかりは教師の言葉に頷いた。
『貴女の答えは間違いです』
空想の彼女がひかりを見下す。指示棒の先が不躾にひかりに向けられ、つんと鼻頭に当たった。
この後の言葉をひかりは覚えているはずだ。赤い口紅のひかれた唇がゆっくりと動いた。
『貴女はいつだって自分にしか興味がないんですね、正しい答えを知ってるのに先生を困らせてばかりで……――』
空想はここで途切れた。ひかりは、はたと我に返る。特に地獄の空気に進展はないようで、時間が大して経過してない事にひかりは安堵した。
「……も、もう俺帰るわ、気まずいし」
「ちょっと待って。僕も一緒に帰るよ、ちゃんと話さなきゃ」
空気に耐えかねて立ち上がる百合原の腕をすかさず掴む灰司。ひかりとしてはさっさと帰ってほしいが、真正面からの純粋な正義感はさぞしんどいだろうと百合原の苦しげな表情を上目に眺めた。
ぱたぱたぱた、ぱたぱたぱた。
その時、階段を上がってくる足音がひかりの耳に届く。一人分にしては重い気がするその足音にひかりは嫌な予感がして、すぐに立ち上がりノック音が鳴る前にドアを開いた。
「……あ、ええと、おねーちゃんたちにお客さんっていうか、」
開いた先にいた憂が驚いたように背をのけ反らせる。澄ました顔は珍しく焦っていて、どことなくツインテールもしょげていた。
だがそれよりも、憂の後ろにいる男の子の方にひかりは目が行った。半袖半ズボンの服から覗く肌は所々擦り傷があり、痣も見える。鼻には鼻血を止める為か、丸めたティッシュが詰められていた。
「どうしたのその子、怪我だらけじゃん!」
「――っ! ゆかり!? お前、なんでそんなボロボロなんだよ、どうしたんだ!?」
ひかりがそう声を上げれば、百合原が血相を変えてその少年に飛びつく。少年は百合原の弟らしい。ひかりが押し退けられた事に文句を言う余地すらないくらい、百合原は戸惑っていた。
「サキカちゃんが山のふもとの公園で座ってるのを見つけたんだって」
「それがなんで今ここに……?」
「それよりそこの公園は立入禁止だろ!? なんでお前そんなところにいたんだよ!」
びりびりと廊下の壁に反響する百合原の怒鳴り声に、ひかりの疑問はかき消された。百合原は少年の華奢な肩を掴んで、必死にその身体を揺すっている。
少年は痛そうに息を漏らし、俯いた顔を上げた。何故かその瞳は爛々と輝いている。そして肩を弾ませ、少年は大きな声で言った。
「にーちゃん、聞いてよ。オレさクラスのいじめっ子たちをやっと倒したんだ。しかもひとりでだぜ!? これで誰も泣かなくてすむんだよ!」
少年は土で汚れた人差し指で鼻の下を擦り、へへんと笑った。




