2.508号室のようですね
灰司に貰ったメモに書いてある病院は、学校から三駅ほど離れ、更に十数分ほど歩いた所にあった。
大きな病院の中はクーラーがよく効いていて、多くの人が集まっていた。ひかりのようにお見舞いに訪れたであろう人もちらほらと見受けられる。
(確か五階だったっけ……)
入り口のすぐ横にある案内マップとメモを見比べる。丁寧に図解された通りにひかりはエレベーターに向かうと、三十路過ぎくらいの所謂やんちゃ系っぽい男性と一緒になった。苦手な部類だと失礼にも思いながら、エレベーターに乗り込む。
「何階ですか?」
にこやかに男性に問いかけられ、ひかりはあわてて口を開く。
「あ、ご、五階です!」
「それなら一緒ですね」
「は、はい……」
アホが。このアンポンタンが。ひかりは苦手な部類だと決めつけてしまったことをすぐに恥じた。男性がボタンを押し、エレベーターの扉が閉まる。
五階です。程なくしてエレベーターのアナウンスがそう伝えると、扉が開く。男性に先にどうぞと笑顔で促され、ひかりは軽く会釈をしてエレベーターを後にした。
開いて数歩ほどのナースステーションには、凛とした印象を受ける女性看護師しかいない。その内の一人がひかりの存在に気づくと愛想の良い笑みを向けた。
「こんにちは、お見舞いの方ですか?」
「こんにちは。あの、はい、胡桃宝さんのお見舞いに来たのですが」
笑顔だった看護師の顔が一瞬にして曇る。ざわり、と嫌な風が吹いたような気がした。
「……申し訳ありませんが、今は面会はお断りしていまして」
「……そうなんですか、もしかして容態が?」
「いえ、そういうわけではなくて」
看護師がもごもごと言い淀む。そうでなければなんだというのか。容態が悪いわけではないと聞き、安心はしたものの、はっきりしない看護師にひかりは首を捻った。
「えっと、宝と同じ学校の子なのかな?」
すると背後から声が聞こえる。ひかりが肩越しに振り返るとそこには先ほどの男性がいた。多分、ひかりの話が聞こえたのだろう。宝、と親しげに呼ぶ声とその柔らかい笑顔にひかりはまさかと驚きに目を見張る。
「は、はい……後輩っていうか、なんだろう。特に関係を表すような言葉は思いつきませんけど」
「へえ、良ければ名前訊いても?」
「相良ひかりです」
「ああ、君が! 俺は宝の父親です、お世話になってます」
やっぱりと思ったと同時に、何故か己の存在を知られている事にひかりは焦る。ぺこりと物腰柔らかく対応する胡桃の父親に、緊張をあらわにしてまた会釈をした。
「それならお見舞いしてくれてもいいよ。山田さん、この子は大丈夫そうだから」
「わかりました。胡桃さんの病室は508号室です、突き当たりを曲がって少し歩いたところにありますので」
父親のオーケーサインに、あっさりと看護師が頷いた。
「え、いいんですか!?」
「うん、俺は後で行くから若い二人でごゆっくり」
ひゅうと囃立てるかのようにそう言うと、胡桃の父親はまたエレベーターのほうに戻っていってしまった。
どうせならクッションがいた方が……と思いつつ、それを口に出すことは叶わず、ひかりは足取り重く508号室に向かった。
コンコン。ノックをするだけでひどく緊張する。この先の胡桃はどんな状態で、なんて室内の様子を考えるだけで足は震えた。そんな自分を叱咤し、扉を開く。その瞬間、強い風がひかりを襲った。窓が開いているらしい。カーテンが舞うように翻し、その先に真っ青な空が見える。ひかりは導かれるままに足を進めた。個室のようだ。
「……ひかりちゃん?」
管に繋がれた胡桃がひかりを視認し、真白いベッドの上から驚いた顔を見せた。
「宝、先輩……」
「はは、来ると思わなかった」
「私もです」
胡桃の弱った声にひかりは泣きそうになった。けれど、ここでひかりが泣く意味はない。ひかりは被害者でもなんでもない。ひかりはベッド横にあるパイプ椅子に腰をかけた。
「なにも食べられないと思って、お見舞いとか持ってきてないんですけど……」
「別にいいよ。食べられるけど食欲ないし」
「そんな重傷じゃないんですか?」
「運ばれた時は出血多量で命は危なかったらしいんだけど、刺し場所は大したことなかったんだよな」
ほら見て、と胡桃は起き上がり、包帯で巻かれた腹部を平気に見せてくる。どこがどうなのか分からないが、ひかりはとりあえず頷いておいた。もう胡桃が入院してから何日か経つし、彼がそう言うのならばそうなのだろう。
胡桃が入院着を結び直している様子を見つめながら、ひかりは本題を切り出そうと口を開いた。
「……というか、何かすみませんでした」
「え、なにが?」
胡桃はけろっとした顔で訊き返す。それが気遣いか読み取れず、ひかりは膝の上で拳を握った。
「私が、保健室でカッとなってあんなこと言っちゃったから……」
「ああ、あれな」
「言わなければこんな事にはならなかったかもしれないし……」
そこでひかりの言葉は止まる。こうやって謝っているのも結局は自分自身を罪悪感から守る為だ。そんな己のエゴに、言葉を連ねる度ひかりの上に重い石が積まれていく。
「それは自惚れだなあ」
しかし、ひかりの罪悪感をよそに、胡桃は石を蹴り上げた。あっけらかん。言い放つ朗らかな笑顔にひかりは言葉を失った。
自惚れ? いつかの憂と綺麗に重なるその言葉に、ひかりはついムッとして言い返す。
「なにがですか?」
「いや、自惚れというより助かったのかも」
「……意味がわかりません」
「最初はひかりちゃんに触発されたんだと思ってたんだけど。母さんが再婚するって聞かされた時点で、結局俺は言われなくても母さんに会いに行ったと思う」
「え、会いに行ったんですか?」
あ、知らなかった? と胡桃は照れ笑いをする。ひかりを苦しめる重い石はまた増えた。
「けど、いざ会ったら母さん俺のこと覚えてなくてさ。マジで殺してやろうと思ったんだけど、途中でシオリの邪魔が入っちゃって」
ひかりは息を止めた。胡桃は変わらず笑っている。
「だから、ひかりちゃんがあの時シオリのこと触発してくれなかったら、俺犯罪者だったんだ。ありがとう」
「ありがとうじゃないです! 自分がなに言ってるのかわかってます!?」
「……うん、シオリが代わりに犯罪者になっちゃったもんな。けど俺シオリに刺された時さ、走馬灯が見えたんだ」
申し訳なさそうに言いはしてるが、胡桃と会話が噛み合わってる気がしない。ひかりはつい浮かせた腰をそっと下ろした。手の中はじわりと汗ばんでいる。




