可哀想な宝物 上
「そりゃあ、こんなきらきらして可愛い子、宝って名前をつけたくなるわねえ」
「宝物みたい?」
「ええ、もちろん」
「それなら何でママはぼくを捨てたんだろう」
しわしわの祖母の両手が宝の小さな手を包む。そのひんやりとした温度に、宝はまあるい瞳で祖母を見上げた。
宝のこの疑問に大人は誰も答えてくれない。記憶の中の祖母はいつだって困って微笑むばかりだった。
***
宝の母親への執着はなにも産まれた時からではない。
物心ついた時に母はもういなかった。その代わりにいたのが、父の事が好きな継母たちだ。
「宝くん、ちょっとタバコ買ってきてくんない? 余ったお金でジュース買ってきていいよ」
目眩がしそうな甘ったるい香水の匂いと、胸まで伸びたキシキシの金髪。
いつも酒やタバコばかり嗜んでいたし、パシリばかりさせられたが、宝は彼女が嫌いではなかった。理由は父が好きな人だから、それくらいだったと思う。
けれど、いつしか彼女は消えて別の彼女になっていた。それを繰り返し、今や父は「女は暫くいいかな」などと独身を謳歌しようとしている。俺のせい? とはとても訊ねられなかった。ごめんなさい、とだけ言ったら父は涙ぐんでいた。
基本は働き詰めの父の代わりに、父方の祖母が宝の面倒を見てくれていた。
美味しいご飯を作ってくれて、一緒に遊び、時には叱り付け、学校の行事には懸命に励む。祖母はクラスメイトの母親に負けぬほどの元気で、宝の母親代わりを担ってくれた。
祖母は町の偏屈おばあちゃんで有名だったが、宝はそんな祖母が大好きだったのだ。
小学生の時に一度だけ、無邪気なクラスメイトに何気ない言葉を投げかけられたことがある。
「お前んち、お母さんいないんだろ? カワイソーだな、さびしくない?」
悪意のない攻撃。彼は大した意味もなくその言葉を発した。確かその場には祖母もいた気がする、手のひらが冷たかったから。
「……? でもおばあちゃんもお父さんもいるから、ぼくすごく幸せだよ!」
宝は極上の笑顔を浮かべる。彼はあっそう、と興味をなくして踵を返す。手のひらを包む温度がほのかに上がった気がした。
宝はそれまで本当にずっと、幸せだったのだ。
「宝、ひさしぶり……」
――母が現れるまでは。
五年生の時に一度だけ母の元へ預けられたことがある。
それまで元気だった祖母が突然倒れ入院してしまい、宝の面倒を見る者がいなくなったからだ。大人しく留守番するからお見舞いに行かせてくれ、と宝は父親に訴えたが、その願いは叶わず、有耶無耶にされて母の元へ送られた。今思えば、宝の意図しない所で大人の話し合いでもされていたのかもしれない。それも今じゃどうでもいいことだ。
母の作るご飯は祖母の作るものより不味かった。色合いは悪くて、所々焦げていて、しょっぱい。だけど残さなかったのは祖母の「ご飯が出てくるのは当たり前のことじゃないのよ」との言いつけが身に染み付いていたからだ。
休みの日、母は宝を外には出してくれなかった。その代わり、同じアニメを何度も見せられた。
"ラブにゃんこ21"、球体の猫たちのアニメ。その時代、少年漫画に興味津々だった宝にはつまらない作品だったが、あるシーンだけは宝の興味を引いた。
「……おかあさん、僕のこと覚えてるにゃん?」
「当たり前にゃん! こんな可愛い我が子の顔を忘れるもんですか!」
泣きながら抱き合うママにゃんこと子供にゃんこ。思わずというように、テレビを見ていた宝は母を振り返る。けれど視線は交じり合うことなく、視線の先の母はテーブルに突っ伏してぐっすりと眠っていた。
「宝、さびしかったでしょ? 可哀想な思いさせてごめんね」
預けられている間、しきりに母はこの言葉を宝に浴びせた。刷り込むように刷り込むように、宝を胸に抱いて呪文みたいに唱える。
そんなことないよ、と答えれば母は泣く。それを知ってから宝は黙って胸に抱かるようになった。その温もりは心地よく、甘やかされたような感覚が宝を満たした。
そんな思い出も何ヶ月か経てば、呆気なく終わる。祖母も退院せぬうちに、父親が宝を引き取りにきたのだ。理由は知らない。追及はしなかったし、駄々をこねることもしなかった。ただ、最後に胸に抱いて欲しくて母の元へ駆け寄ると、
「いや! 優しくしたからって調子にのらないで! あんたは帰るの!」
ぞんざいに母の両手に突き飛ばされたのを鮮明に覚えている。別にその場に残りたかったわけではない。寂しくて可哀想な宝を抱きしめて、哀れんでほしかっただけだ。
そしてその日に祖母が亡くなった。
死に目には父も宝も立ち会うことは叶わなかった。記憶の中の困り顔のまま、祖母は眠るように息を引き取ったらしい。
『宝、さびしかったでしょ? 可哀想な思いさせてごめんね』
祖母の死に顔を見ながら、母のとろけるような声を思い出す。
宝の人生は寂しくて可哀想なもの。
母は宝に解けない呪いをかけたのだ。




