18.歪んだ王子様たち
ストレス:100
ストレス:82
ストレス:75
…………
「熱みたいに下がっていくなぁ……」
ぴこん、ぴこん、と下がっていくストレス値を見て、ひかりは小さくつぶやいた。
学校を休んで三日が経った。本当だったら今日こそ学校に行っているはずだった。むしろ意地でも行ってやるつもりだったが、今朝起き上がったと同時に、ガンッと鈍器にでも殴られたような痛みが頭を襲った。
次いで視界がぐにゃりと歪んでしまい、その場に伏したひかりを見つけた母親に、半強制的にベッドへ押し込められてしまったのだ。
病名は風邪。ただの風邪。ナナコが言うにステータスのストレス値を無視してしまった結果らしい。ストレスが100に達した時点でひかりは風邪をひく。全く厄介な世界である。
「ストレスが溜まることばっかり起こるんだもん。しかもずっと忙しかったし、休む暇なんて……」
『蘭咲黒のバッドエンドが決め手でしたね』
「……それ言う? 忘れようと思ってたのに」
『申し訳ありません』と悪びれないナナコの謝罪は聞き飽きた。ひかりは重い瞼を閉じ、暗闇の中でナナコとの会話を続ける。ひかりの声音はずっと不満げだ。
「蘭咲くんは私のことが好きな設定なんだね」
『はい、だから好感度が上がりやすいんです。ひかり様が好きだからこそ、バッドエンドを引きやすいんですね』
「引きやすいんですねって……普通引いたら終わりじゃないの?」
『他のキャラはそうですが、彼は特別バッドエンドの種類が多いので、一定数引くまではやり直しができます』
「一定数ってどれだけ? 一定数引いたらどうなるの?」
『そこまでは言えません。……これでもおまけした方です』
『ゲームバランスがありますから』と淡々と言うナナコにひかりは質問責めをやめた。これ以上言っても彼女が答えてくれないのは分かっていた。
でも宣言をするのは勝手だろう。もぞりと布団の中で寝返りを打ち、夕陽を遮光してクリーム色が橙色になったカーテンをじっと見つめた。その淡い色がひかりの心を落ち着かせる。
「ねえ、ナナコ」
『なんでしょう?』
「私はこのゲームをクリアするまでここから出られない?」
『はい』
「それなら、私ノーマルエンドを目指すよ」
『……もちろん、それも一つのエンドとして選択肢にありますが、それでよろしいのですか?』
勿体無いのでは? と言いたいのだろう。機械らしくない彼女の問いかけにひかりは、傍らのうさぎのぬいぐるみを胸に抱いて笑う。
「それが最善なのを知ってるくせに」
『別にそうとは思いませんが』
「ゆがプリって何かを略したタイトルでしょ? 私浮かれてて何も気づかなかったけど、教えてくれたって良かったのに」
『歪んだ王子様の事ですか?』
歪んだ王子様たち。
当初のひかりは乙女ゲームで楽しめると浮かれて考えもしなかったが、今じゃあゆがプリ! だなんてタイトルに違和感を感じない方がおかしい。
「テーマが歪みか何かなの?」
『はい。登場人物の皆が皆、自分なりの歪みを持っています』
「その歪みとやらに立ち向かってハッピーエンドを目指すのが普通なの?」
『普通、と決め付けることはできませんが、それが最善だと私は思っています』
やけにあっさりと答えるナナコにひかりは怪訝な顔をする。大して隠すような事ではない内容については、ナナコは簡単に教えてくれる。ひかりは悔しくなり、胸に抱いたぬいぐるみの頭をきゅっと手のひらで潰した。
歪み。ゆがんでいること、ひずみ、心が正しくないこと。ここで当てはまるのは三つめかとひかりは思った。
「宝先輩の歪みは母親の愛情の飢えによって起こったもの」
ひかりは語りかけるでもなく、独り言のように呟いた。
『ママにゃんこのシーンでいつも泣いちゃうんだ』
『俺のこと捨てたくせに、母さん再婚するんだ。子供も出来て、幸せそうだって父さんから聞いた』
浮かぶのは笑顔と泣き顔の胡桃。
彼は王子でもなく、悪役でもなく、ただの子供だったのだ。身体は大きくなっていくのに心が追いつかない。アンバランスな人。
疲れきっていたとはいえ、言いすぎたかもしれないと、ひかりは先日の保健室での件をずっと後悔していた。
彼の繊細で柔らかい部分を乱暴に土足で踏み荒らした。壊れたハートにもっと穴を開けた。
「さすがに謝んなきゃなあ……」
――コンコン。
身体を仰向けにして、ぬいぐるみに後悔の念をぶつけていると不意にノックの音がする。この控えめな音は憂だ。ひかりは重い身体に鞭打って飛び起きた。
「ういちゃんっ!」
「……なんでわかったの? ていうかおねーちゃん、誰かと喋ってた?」
「うん、ぬいぐるみと」
「大丈夫?」
頭が、と続けたいだろう憂の冷めた視線に、ひかりはえへへと汗で濡れた襟足を掻く。
憂はすぐに視線を逸らして、片手に持っていたファイルをテーブルに置いた。
「なにそれ?」
「おねーちゃんの休んだ分の課題とお便り。キレーな人が持ってきてくれたよ」
「え゛」
キレーな人。嫌な予感しかしない。
咄嗟に浮かんだのはもちろん蘭咲だ。ゆがプリ! の由来を知るきっかけとなった男。顔だけは美しい恐ろしい男。
一気に青ざめたひかりの異変に憂は瞳を丸くした。
「なに? 嫌いな人なの?」
憂の物言いはいつだってストレートだ。ひかりは困ったように唇を尖らせた。
「……その人かわかんないけど、苦手な人がいてさ」
「いい人そうだったよ。お姫様みたいな女の人だった」
「ほんとに!?」
女の人、と聞けばひかりの青ざめた表情は生気をすぐに取り戻す。憂に抱きつきそうな勢いだったが、すぐに距離を取られ「やめて」と拒否されてしまう。しょんぼりだ。
「誰なんだろう、お姫様みたいな女の子」
「名前は忘れちゃった、ごめんね」
「ううん、持ってきてくれてありがとう」
ひかりがお礼を述べると、憂は無愛想に頷いて部屋を後にする。その残り香は甘いココアの匂いをさせていた。おやつの時間を楽しんでいたらしい。
「週明けは学校行けるかな」
再度ベッドに倒れ込み、ナナコに問いかける。
『行けますよ、楽しみですか?』
「全然楽しみじゃない」
これが正直な気持ちだ。歪んだ王子様たちが攻略対象ならば、ひかりはこれから先、絶え間なく苦労すると分かりきっている。だから面倒から逃れられそうなノーマルエンドがいいと思ったのだ。
だが、そこで落ち込んではいられない。ひかりは言い聞かせるように己を鼓舞した。
「私が目指すのはハッピーエンドじゃない! ノーマルエンドだ!」
口から出たのは思ったより元気な声。
私はまだまだ大丈夫。そう思わせてくれる自分の声にひかりは安心し、ゆるりと瞼を閉じた。
***
――ここでニュースをお伝えします。今日午後四時ごろ、XX市で下校途中の男子高校生一名が、女に腹部を刺され、意識不明の重体となっております。女は錯乱状態で……
「わあ、近くじゃん。怖いなあ」
テレビを見ながら、真ん中にマシュマロを浮かべたココアを啜る。
ひかりによく似た憂の他人事の声は、夢の中のひかりには届かない。




