15.バッドエンド1
へんたいだ。いや、大変だ。
まだ確証は得ないが、恐らく同級生が、恐らくひかりのタオルの匂いをめいっぱい嗅いでいた。
「ひ、ひかちゃん……! これは、……」
「分かった、分かったからちょっと考える時間をください」
「これ、ひかちゃんの匂いがしてっ、が、我慢できなくて……!」
「うるさい! 静かにしなさい!」
見るからに様子がおかしい蘭咲を、ひかりはぴしゃりと叱りつける。興奮して前のめりになっていた蘭咲は途端に肩をびくりと跳ねさせ、怯える小動物のように小さくなった。
ひかりはこの状況を一度整理しようと試みる。
まず蘭咲が気安く呼んだ"ひかちゃん"は、きっとひかりのあだ名かなにかだろう。彼のプロフィールには子供の頃にヒロインとよく遊んでいたと記載があったし、その頃の名残なのかもしれない。
そして次にひかちゃんの匂い、我慢できないとの蘭咲の供述。これについては考えたくない。もう罪を告白しているようなものだ。
ひかりは冷静なフリをして瞼を閉じ、心の中でスキップさせてくださいと願った。
ナナコから返事はない。
(クソナビゲーター! このゲームに星1のレビューをつけてやるからな!)
渾身の罵声にも返事はない。その代わりに望んではいない、か細い声が返ってきてしまった。
「ひかちゃん……? お、怒ってる?」
声はひかりが思ったより近い位置で聞こえる。
嫌な胸のざわめきに逆らいながら瞼を開ければ、蘭咲は自分の席からひかりの目の前に移動していた。恐怖で引きつる喉から、ひかりは必死に声を振り絞る。
「……怒ってないから蘭咲くん近寄らないで」
「ほ、ほんとに? 昔みたいに、黒くんって呼んでくれればいいのに、」
はっきりとしたひかりの拒絶に、何故かさらに距離を詰めようとする蘭咲。一定の距離を保つために手のひらを前に突き出し、彼が近づくたびにひかりは二、三歩ほど後退り距離を取る。
マスクに隠れていない蘭咲の顔は儚い美少年というより、狂気に満ち満ちていた。
瞳孔は開き、白目は充血していて、口角は歪に弧を描いている。蘭咲の手元にあるタオルは少し濡れていた。凄い力で握られているせいか、可愛いにゃんこたちが原型を失っている。
「こ、このタオルのキャラクター、ひかちゃん昔から好きだったよね」
「……」
なるべく蘭咲を刺激しないように、ひかりは静かに頷く。
「ひかちゃん、この騎士にゃんこが好きだって言ってた」
蘭咲はしわくちゃになったタオルの端を両手で持って広げる。沢山のにゃんこがいる中で騎士にゃんこを指差し、尚も話を続けた。
「騎士にゃんこの一途なところが素敵って言ってたのに、なんでかなぁ」
子供みたいにあどけなく笑っていた顔に影が差した。
「あの汚いヤリチン男のどこが素敵だった?」
「は?」
「一緒に映画、行ったって」
「なんで知ってるの?」
「ひかちゃんのことならなんでも知ってる」
ねっとりとした声に、ゾッとひかりの全身に鳥肌が立つ。
心臓が早鐘を打ち、蘭咲から離れろとひかりの本能が訴えている。一歩、一歩と後ずさったおかげで、すぐ後ろは教室の扉だ。なのに身体が動かない。急激に足先から全身の体温が失われ、まるで氷のように固まってしまった。
「それ、なんていうか知ってる? ストーカーって言うんだよ……!?」
せめてもの抵抗のために、発したひかりの震えた声は威嚇にもならない。蘭咲は意にも介さず、相変わらずの気味の悪い笑顔のまま、ひかりの手首を突然掴んだ。
「ストーカーじゃないよ」
「じゃあなんだって言うの、離してよ」
手は振り解けない。そもそも動けないのだ。
「……王子様だってひかちゃんが言ってくれたじゃない」
「はあ!? 知らないし、あんたおかしいんじゃないの!? ナナコ、お願い、助けてよ!」
同じ人間と会話している気がしない。
あまりにも夢みがちで理解できない蘭咲の発言に、ひかりはなりふりを構っていられなかった。大声でナナコを呼ぶが、変わらず返事はない。ひかりの瞳に涙の膜が張る。
「おかしいってなに? ひかちゃんまで僕を歪んでるっていうの?」
「ナナコ! もう怒ったりしないから、お願い!」
手首からギシギシと骨が軋む音がする。凄い力だ、ひかりはぐずぐずの涙声で依然ナナコに助けを求めた。
けれど、返ってくるのはこの男の声ばかり。
蘭咲の整った鼻がひかりの鼻にぴとりとくっつけば、
「でも、そんな歪んでる僕が好きでしょう?」
蘭咲の宝石みたいな黒い瞳がひかりを呑み込み、そのまま眠るように意識を失った。




