14.バグではありません
あの後、灰司はひかりに気を遣って律儀に家まで送ってくれた。自分の家が意外に近いからと言っていたが、真偽は定かではない。
灰司と別れる頃には空も晴天を取り戻し、爽やか王子はルンルンと足取り軽く、太陽を味方に帰っていった。
ひかりの早い帰宅には家族は何も言わなかった。そもそも会話をさせてもらえなかったというのが正しく、灰司の背中を見送り、家の扉を開けた瞬間にひかりの時間は急速に早送りさせられたのだ。
そして今、ひかりは学校までの道のりをのっそのそと歩いている。いつもより早く起床して。
(ちょっと……なんでこんなに早いの……?)
『イベントがありますので』
(眠気とかどうにかできない?)
『申し訳ありません』
朝早くに行動させられたと思ったら、この返事だ。
ナナコの単調な返事にひかりはムッとした。学校までの道のりは朝早いせいか人気もなく、鳥の鳴き声くらいしか聞こえやしない。
不満はあれど、この時間があるからこそ出来る事もある。ひかりはここぞとばかりにナナコに問いかけた。
(あの宝先輩の女癖云々はバグ? 恋愛ゲームって少なからずとも夢を見せてくれるものだよね?)
『……バグではありません、彼は彼のままです』
ナナコの返事はどことなく歯切れが悪い。
(じゃあ、あれが宝先輩なんだ)
『はい』
(私が知らなかっただけなんだ)
『そうですね』
やはりそうか、とひかりは肺に重く溜まった息を吐いた。
事故にでも遭った気分だが、知り合って数週間もない男にホイホイとついて行ったのはひかり自身だ。
ゲームとはいえ、あの優しそうな印象だけで人格を決めつけ、自分で映画に行くと選択したのだ。みんなが知っている胡桃宝の事を調べもしないで。
だが、言わせてもらえば調べる時間などなかったはずだ。というか何度も言うがこれはゲームで、遊ぶもののはずなのに。僅かに芽生える不服の心がそう訴える。
『そういうゲームなんです、としか私からは言えません』
ひかりの思考に簡単にナナコは入ってくる。
(嘘でしょ? どういう層に向けた乙女ゲームなの?)
『ひかり様のような方ですかね』
(お? 喧嘩売ってんのか?)
何気に失礼なナナコの発言にひかりは拳を握るが、それを振るえる相手は脳内にしかいない。
結局ナナコから納得できるような答えは得られないまま、ひかりは学校にたどり着いた。
(イベントって誰のなんだろう……宝先輩じゃないといいけど)
教室に向かう道中、ひかりは切実にそう願う。
もしかしたら教室の扉の先に胡桃がだとか、この道中で胡桃にだとか、嫌な想像が頭に浮かぶ。
その想像だけで額に冷や汗が垂れれば、首にかけていた忌まわしき"ラブにゃんこ21"のタオルで汗を拭った。
(なんでよりにもよってこれを持ってきちゃったんだろう……)
朝から落ち込む事ばかりだ。
1-Aの教室の前にたどり着くと、ひかりはげんなりとしながら扉に手をかけた。
――すー……はー……
(……え?)
開こうとした手が止まる。
何か扉越しに激しい呼吸音のようなものが聞こえたからだ。誰かいるのだろうか。ひかりは息を殺し、僅かに開いた扉の隙間から中の様子を覗いた。
「すぅ、はあ……は、あ……」
(蘭咲、くん?)
窓際の一番後ろの席。そこに蘭咲はいた。
ここからは視認できないが、何かに顔を埋め、肩を大きく動かしながら、何度も深呼吸をしているように見える。聞こえる呼吸音は苦しげだ。
もしかして、とひかりは先日熱中症で倒れた彼を思い出し、慌てて扉を開いた。
「――蘭咲くん大丈夫!? 今先生よんでく、る……」
近づいた先の光景にひかりは目を疑った。
頬を上気させ、潤んだ瞳でひかりを見る蘭咲の鼻元には、ひかりの首にかかっているのと同じタオルがあったのだ。
『これ、新品?』
以前、胡桃にそう問われた事をこのタイミングで思い出す。
首にかかっているタオルの色合いは確かに真新しく見え、そのざらりとした感触にひかりのストレス値が上がった音がした。




