空白を陰謀論で埋めよ
「うーーーーーん……」
テツの顔を見た三男は唸る。
違うなぁ、とは口にしない。そこまで言っては下の者に対しては攻撃的過ぎる。
ましてや子供相手だ褒め言葉のひとつやふたつ与えるのも上のものの務めだろう。
以上、これが三男がテツの顔を見ての感想である。
あり? まさかテツは美少年ではないとでも?
潜性であったどっかの誰かのブサイク遺伝子が顕性となってしまったとでも? ブサイクは間に合っているのだが? 増やさんといでや!
そんな声が聞こえてきそうだが、いやいや、んなことぁない! 美少年の話となるとタモリが現れてしまうね。
そうである。十歳となるテツは花ざかりの季節を迎えようとしている。
紅顔の美少年という表現で誰も彼もが心奪われるほどの可愛らしい男の子である。
養母のカツテにより礼儀作法などなどをきっちりと教わり躾けられており、お行儀の良さもこの少年の魅力のひとつともなっていた。
かといって過度に大人びた口調や所作をしているわけではない。あくまで子供であるのだから子供らしさを保ったままの礼儀正しさである。
この塩梅を間違えると生意気となる。あまりに大人っぽい子供というのはませているという表現があるように困惑のもとなのだ。
大人は子供へのいつものコミュニケーションができなくなる、すると可愛くないとなる。
美空ひばりがデヴュー当時叩かれていたのは子供らしくなく大人っぽ過ぎたという話もあるぐらい。
だから実のところちょっとクソガキが好まれるのはそういうところがある。不良が案外好かれる理由でもある。
しんちゃんがどれほど賢くても結局はお馬鹿だから大人は許すというところ。
大人に自分は大人だと意識させてくれるのが結果的に子供が愛されるポイント。子供は子供らしくしなさい、そうであるから大人は大人らしくできる。
話を戻して三男のテツ評である。
まず彼はテツを見てこれは見事だと驚いた。これまで見て来た子供の中で断トツの綺麗さなのは間違いない。
美を研究する仕事柄さまざまかつ多彩な美少年を見て来た三男の目は肥えに肥えている。
彼の身体は痩せ型だが目だけはいわゆる肥満のデブという異様な体型とも言え、そんな彼が驚くのだからテツが美少年なのは疑いようがない。
所作挙動そして視線の位置も礼にかなっている。文句のつけどころのない逸品。
もしも十歳の美少年を盆栽のように仕立ててコンクールに出品したら金賞確実というレベルの完璧な仕上がり。
いやぁ良い物を見せてもらった、アカメ、これを大切にするんだぞ。これで済む話ならここまでだが、しかし、違う。
では、完璧な美であるかと言われれば「うーーーーーん……」となった。
本題のこの違うとは何か?
あんなに恋焦がれ憧れ信仰した女の息子とは見抜けないとでもいうのか?
そうである、見抜けない。彼の中では実際よりもそれは上になり過ぎているからである。
この回における理由のひとつ目はいわゆる思い出補正が働いてしまうためである。
いまと比べて……昔は良かったあの頃は良かった当時は何もかもが優れていた。
そのほとんど錯覚である。
過去が良かったのではない、若かったのが良かったのだ、若い頃が楽しかったのだ、未だ見ぬ未来があったから日々が楽しかったのだ。
この少年は真に美少年であるとは認めるが、あの人はもっともっともっと美しかった。
いいえ違います。このように美のレベルがほぼ一致しているのであるから、その差は見るものの心の問題でもあるという証拠。
特にこの世捨て人状態となった三男にとって現在とは余生であり、昔は良かった病になってもおかしくはない。
本当に生きていた時のことをを大事にするあまり、昔を過大評価としそして今を否定する老人となっている。
老いとは身体機能と心の持ちようであるので彼は半老いいや立派な老人である。ノスタルジ爺とも言う。
見た目は若者、心は老人……なんということだ。どうにかならないのか?
しかも彼は過去の記憶を反省する機会がない。
これが対象が映像作品や出版物といった形ある物なら後に見返したり読み返したりした際に、昔はこんなのにハマっていたのか……いま見るとなぁ、と感傷的な気分となり寂しさは募るけれども、まぁそれでも生きていくしかないな、と真に価値ある反省をし未来へと歩いて行けるが彼にはそれが出来ない。
参照が記憶のみでありそしてその死んだ者の記憶は無限に美化され誰も対抗不能となる。
死んだ恋人とか最強である。死んだからこそ信仰ともなる。それでも頑張るもう一人のヒロインの健気さこそひとつの至高のラブストーリーかもしれぬ。
そうであるからこそ母と同様の美のスペックを持つテツを見て三男は首肯しなかったのだ。
とても綺麗だがあの人には遠く及ばないな、と。
究極の美と愛の記憶が合わさった当然の結果だろう。
こんなタイプが評論家になったとしたら昔の方が良い! としか言わない老害になること間違いなしであるし、なんなら人気者にすらなってしまう。老害は老害同士で仲良しなのだ。
ひたすら昔は良かった今は駄目だと言えばコミュニケーションが完成するからである。
なんでもいい、とにかく今を否定し昔を讃えよ。
昔はああいう犯罪なんかなかった、昔の2ちゃんには賢い奴が多かった、昔のオタクは本物だった、
いまの政治は駄目だ昔の周公旦の政治こそが理想でありこれを倣うべし。最後のは孔子でそう彼こそが元祖『昔は良かった教』の開祖様である。
どれもこれも当時を知る者からしたらそんなわけないだろとしか思えないノスタルジアも大半の人は受け入れがち。
現代にも縄文時代をやたら讃える『縄文憧憬』などがその一例で昔どころか古代より前に遡って原始時代は良かったまでいってしまう。
実際はどうかは検証しなくていいし、反論や検証結果など奴らは見ないし見たがらず、もしも見てそうだったのかと理解した次の日にリセットされて同じことを言う。
目的が事実かどうかではないのでそこがポイントではないのだ。今を否定して自己肯定感ならぬ過去肯定感アップだ!
自分はそう結論付けて世界と折り合いをつけてそこに浸りいのだから実際なんてどうでもいい。
害悪極まりなし。我が国は悪くなる一方だ。いったい誰がこうした?
きっと一部の悪い奴がいて自分たちの都合を優先させた結果こうなったんだ。
どこかに悪い奴がいる! 嘆かわしいことだ。俺達でない限り他の誰かがそうしているに違いない。
老人たちの愚痴もこれも立派な陰謀論である。
知識がないから空白の部分を己の妄想や仲間の妄想で埋めるしかないのだ。空白や穴は放置できないが何を入れたらいいのか分からない。
愚かさとは空白を空白のままにしておけないところにある。そこは貧乏人の家がもので溢れているのと似ている。隙間はゴミやガラクタで埋まる。人間の頭もそうだ。空白に耐えられない分からないが耐えられない。
知とは分からないを分からないままに留められる力のことである。すぐに結論を求めないし降さない。
分からないは恥ずかしいことではない。だが人はすぐに分かるものを求める。
とりあえず答えを教えろ! な声で今日も世界は埋め尽くされている。
AIが設定しないと分からないと言わないのも多くの人間の望み通りであり今日も今日とてテキトーな答えに人類は大満足。
よってこれからの知とは人間とは「知らない」を知っているものがそれとなるとか結局ソクラテスの「不知の知」に帰ってくるとか因果なものである。
そんなこんなで陰謀論で穴埋めしたおかげで意味不明な砂上の楼閣が出来上がる。根拠はないが見た目だけは立派である。存在しないのだからさぞかし金甌無欠であろう。びんぼっちゃまのハリボテみたいなものに過ぎないのだが。
しかし三男はそこまでは堕ちてはいない。
彼は自分で筆を取り美を探求する芸術家なのだ。
これは駄目だが、しかしこの先何かがあるかもしれない!
という意識があるので過去に生きる老人とはなっていても老害とはなっていない。
ここは重要な点であり二つを混同させてはならない。
あの方の美こそが完成であり自分はそれを再現なんてできないしお前らにもできない、とはなっていない。
いつかあの方のドレスの裾に手をかけられるかもしれない、そういった微かな望みをかけた営みになっているのであった。
ゴールは見えないがそれが彼が選んだひとつの地獄なのだ。他人にはもうどうすることもできない境地。
さて、そんな王子の心境などアカメ夫妻である十五世とカツテは分からずにドキドキである。
さっきからずっと王子は沈黙したままであるが、もしかしてバレた?
十五世は生きた心地がせずに泣きそうであり、カツテは緊張してはいるもののまだ安心している。
だってサビさんが大丈夫だと言ったから大丈夫!
このまるで新興宗教の導師を信頼している妻の姿を見て十五世はまたサビへの憎悪を膨らませるがそこは置いておく。
サビは二人に対して説明と説得をしていた。「大丈夫だと俺は思います」と。
あの三男は伯母に好意を抱いていた、だから大丈夫、分からない、と。
カツテが首を捻って指摘する。
「それっておかしくない? だって好きだった人の面影があるのなら思い出すはずよ」
「兄さんがお持ち帰りくださった三男様の絵を見ましたが、とても上手く似ていますが、でも、いまはあまり似ていないと想像できます。だから大丈夫だと」
「どういうことか分からないけどサビさんがそこまで言うのなら大丈夫か。それにしても本当に美人ねテツの母上さんは。私は死に顔しか見ていなかったけど、生きているとしたらこんな綺麗だなんて……まぁテツにそっくりというかテツが似ているということだけどね」
カツテの言葉にサビは身体が強張りそしてあの時のことが脳内で再生され、そして憎しみが湧いた。
「こんな綺麗な伯母がいるとかサビも自慢だったろうな」
十五世の言葉にサビは……微笑むことにした。それぐらいなら耐えられる。
「ちょっとあんた。伯母を自慢する甥とか妙なことを言うんじゃないよ。それにサビさんはその敵討ちをさ」
「ああ、そうだな、気を悪くしたならすまない」
「いえそんな良いんですよ兄さん。伯母は自慢だったのは事実ですしよくこのように微笑んでいましたし」
サビはもう一度その絵を目蓋を閉じながら見ているふりをした。
もはや正視に耐えられないその笑み。そして記憶のとは微妙に違うそれ。サビはいつでもすぐ誇張なく正確に思い浮かべられる。
だが目蓋の裏に浮かぶその美の微笑みにサビはさらに怒りを募らせた。
次回、ハマーン・カーンの同人誌を数十年書いていた作家が久々に原作を見たら
「あれ? こんなキャラだっけ?」と驚いた話に関連します。




