俺の妻を誘惑するなこの少年導師が!
十五世は歓喜した。許された!
妻の怒りという災厄によって絶賛遭難中の俺を救いに助け船が来てくれたぞ!
船頭はサビだ! おお、俺の味方のサビよ、どうか鬼と化した俺の妻を天女に戻しておくれ
「サビさん、それは危険よ」
「俺は好機であるとも感じる。いや、好機とさせなければならない。そこを一緒に考えたほうがいいはずですよ」
「まぁそうね。グチグチやっても仕方無しだしね。こうなったからには逃げられないし真正面から受けざるを得ないか。厄介ごとには変わりはないけどどうにかしないと」
「いつかは王子とも接触しなければならなかったのだからやりましょう。俺達の上京には王子の力を利用しないといけないわけだから」
「そう、ね。帰京……じゃなくて上京には王子のお力添えが必要なわけだしねぇ。どのみちいつかはテツと王子は会わざるを得ないわけだったけど……バレたらねぇ」
「その件ですが俺が思うに……」
場は俺のミスへの追及ではなくこれからの計画の話合いに変わった。
やった俺は釈放されたぞ! 妻のお説教から解放されたこの爽快感は愛に近いものさえ感じてしまう!
ああサビよ……これも全部お前の機転のおかげで嵐は収まり快晴でピーカンだよ…………いいや違う! もとはと言えば全部お前が悪い! 感謝する必要は全くない!
そうだ俺はあの馬車の日からお前のことが憎くて憎くてたまわないんだよ!
分かるかぁ? この疫病神が! その醜い顔面はまさに疫病神といっても過言ではないぞ! あの日から妻は帰郷という悪魔に憑りつかれてしまったんだ。実家に帰らせてもらいますという恐るべき悪魔にだ。
さっきの帰京の言い間違えが何よりの証拠だ! 俺は敢えてスルーしたがあれを聞いた時俺の心臓はドキリとして哀しい気分になったんだ。
それもこれもなにもかもお前のせいだ! いわば妻はお前に誑かされたようなもの。まるで怪しげな新興宗教にハマってしまったようなものだ!
『奥さん……自分の教義を信じれば故郷に帰れますよ?』 とか言ったんだろ?
これは陰謀論ではなく事実なはずだ! ええいこの少年導師が! だから妻はお前にさん付けして敬っているんだ! どこの世界に少年にさん付けする大人がいる? ここは現代社会じゃないんだぞぉ! やいこの導師! 妻をどこに連れていく気か?
都か? 都なのか!? そうなんだよ! この人攫いの誘拐犯が! この蛇め妻にりんごを食べさせて知恵をつけさせるんじゃあない!
助け舟とかいったが遭難させたのはお前みたいなもので感謝することはなかった! 放火犯が消火の手助けをしてくれても感謝するはずがないだろうに!
そうだ俺はお前を追放したい! 妻を誘惑する新興宗教の導師であるお前を追放したくてたまらないんだ! お前さえいなければ俺の人生は憂いなく完璧だったのに、なんという疫病神!
サビやサビや、われは汝をどうにかしたい、ああそれなのに、それなのに、サビよサビ! なにもできないではないか。
だってお前は、すごく良い子なんだからな!
「兄さん、ご迷惑おかけします」
「謝らなくていいのよサビさん。この件はこの人が全部悪いんだから」
「いいえカツテさん。もとはといえばこの件の発端は俺なのです。アカメの兄さんの御厚意によって俺達みたいなものを匿ってもらっている。それどころか今回のように王子に詰められるなんてご迷惑をおかけさせてしまった。こちらこそ申し訳ありません」
そして神妙に頭を垂れるサビを見ると俺の口は自動的に次なようなことを言ってしまうのだ。
「いいんだよそんな謝らなくても。今回のは俺の口が滑ったせいだからお前のせいじゃないって。御厚意だなんて今更水臭いことを言うなよ。もう十年も経っているんだから家族同然だろ。そういうことを言うなって、だってお前とテツはうちの一員なんだからさ」
こんな心にもないことを言ってしまうのだ! 追放したくて堪らないのにその反対のことを言わざるをえない!
お前は家族じゃないから出て行けと言いたいのにユーはファミリー宣言をしてしまう! なんなんだこいつは! あまりにもあまりにも品行方正すぎるんだよ! そんな顔の癖にそこ以外は美しくて品がある矛盾!
しかもそれが全く嫌味になっていないからこっちも自然に品行方正な態度を取るしかなくなる! だからまるで親分と食客みたいな会話になってしまうんだ。
相手はきっちりと礼儀を守ってちゃんとしているのに、こっちだけが無作法な態度を取れるはずがないだろうに! ああこれも一族の跡取りであるから子供の頃から躾けられた育ちの良さが仇となっているのか! 下品なことがしにくい! 失礼が出来ない! 相手のマナーレベルに自動的に合わせてしまう。
これでもしもサビがその醜い顔のように無礼かつ下品で乱暴者だったらどうだ? そうしたらことは簡単だ。そういうチンピラな態度を取るバカガキに対しては俺の口から次のような言葉が自動的に出て来る。
「調子に乗ってんじゃないぞクソガキが! この俺を誰だと思ってんだ! この土地のアカメだぞ。誰のおかげでここにいられると思ってんだこの野郎! お前らこのウゼェガキを川に投げ込んどけ」
そうだよ俺はこれをできる権力があるんだ。もっともうちの近所の川は小川だから投げ込んでも死にはしないがね。
だからもしもこのサビが俺に対してちょっとでも舐めた態度をとったらそうするつもりだった。俺は自分は頭が良くないことを自覚しているし才能があるとは思っていない。
この自覚という罰を自分に架しているのだから、人から馬鹿にされることを許しゃしない。王子と妻以外は許さん。仲間が馬鹿にされても俺を馬鹿にした奴のことは許さないのが俺の基本マインド。
もちろん妻や子を馬鹿にされたら許さないもある。これが俺が親という大人になった証拠というやつなんだがな。
そうだとも俺の心のセンサーは常に「他人から馬鹿にされていないかどうか?」で動いているし、なけなしの財産みたいなちょっとしかない知能も己の愚かさを隠すためにほぼ全部注ぎ込んでいる。
えっ? それが愚かさの極み? うるせぇ俺は自分が馬鹿だと自覚してんだ余計な口をきくな。俺はね、こういう風に頑張っているんだよ。だから馬鹿にされることだけは許さないってわけよ。
よって人の表情や態度や声の響きに俺は敏感にならざるをえない。親の顔色から王子の顔色そして妻の顔色と窺い続けてきたそのスキルで以ってこのサビの醜い顔面を窺ったわけよ。
さぁ俺を嘲ったり下から目線の癖に上から目線をしてみろ! この俺の顔色窺いスキルが確実に捉えてみせるぜ! 逃がしゃしないぜその軽蔑の気配! 侮蔑の呼吸!
舐めた口のひとつでも利かせてみな。そうしたらお前は俺を馬鹿にした罪で永久追放だ。罪状はなんでもいい、態度が悪かったから追放、良いね。
地主のアカメ十五世の機嫌を損ねたから追い出されるとか誰も文句はないし外聞も悪くないだろう。是非ともそうしたかったのだが出会ってから十年……そうはならなかった。でも、そうはならなかった。だから、この話はここでお終いなんだ……
繰り返すがサビは良い子なんだ。礼儀正しくて真面目でもの静かで働き者、こうであってほしい男の子をしている。
しかもだ大人しいだけの子じゃない。子供同士では普通に子供らしく振る舞いをしている。武芸や稽古に励んでいるしときには乱暴なこともしているようだが、それは子供間のものであり大人はあまり干渉できない領域。
息子のジュロにサビのことを尋ねても特別悪さをしているわけでもない普通さ、適度なやんちゃさ。それにさっきのように俺が妻に詰られていても助け舟を使ってやってきて来ることも多いし……というか夫婦喧嘩の場にいても邪魔にならない少年ってなんなんだろう? とはいつも思うが、あいつは気配を消すのが上手いんだ。
それでしっかりと助けて来てくれる。どんな状況でも決して妻の肩を持ち一緒に俺を攻撃することは無いし、今回みたいにどう見てもこちらに非がある場合でも俺を責めたりせずにむしろ庇うしでと……ありがたい。
だからそれが駄目なんだよ! 口実がどこにもないじゃないかこのパーフェクト少年! 親の仇を討つべく鍛錬に励み弟の世話をするとか背景もばっちりで非の打ち所がどこにもない! 顔が醜いが、ならブサイクだから追放とかそんなことできない!
それどころかこれでちょっとしたことで難癖をつけて追い出してみろ。みんなは俺を誤解してこう見るはず。
「可哀想なサビ。あんなに品行方正な孝行息子なのに顔面が不自由だからってだけで追放されちゃってさ……アカメの旦那も酷なことをしやがるぜ」
こう世間からどう思われて俺が一方的な悪者になり俺の面子が潰れるというわけだ! 世間体が悪いことはしてはならないが親の遺言なんだから守らないと俺の評価も下がる。だからそうならないようにサビを悪い子に仕立てないとならないのにそれが一切できない。
少しは俺に対して悪いことをして困らせて被害者にさせろ! そうでないと追い出せないだろうが! 可哀想合戦で優位に立てないじゃないか。まったく気が利かないなぁ、気が利きすぎるなぁ、どっちなんだよお前は! くそぉ~俺は加害者になりたかねぇんだ善なる被害者として、現に妻を奪われようとされる被害を受けているんだしそうなりたい。
それなのにそれについて糾弾できないとはなんとも口惜しでも俺を助けてくれてありがと、というなんなんだこの感情は! サビよ、なんかミスして人間的な汚さとかを俺にさらけ出せ。そうしたら俺は安心して許してや……やらないからな! これ幸いに追放してやる!
とまぁ憎悪と感謝といった相反する感情によって十五世の内面は叛服常なきものという混沌なわけだが、このことをサビは……見抜いておりそれに対抗するための態度がこれであった。これぞ『シンクシビリティ: 礼儀正しさこそ最強の生存戦略である』の実践である。
そのうえで彼は思う、なんという恐ろしい存在であるのか、と。
次回、サビの十五世に対する述懐。




