美とは単純明解さでもある
一方で王は今か今かと居ても立っても居られず玉座から尻を少し浮かせてはまた沈める動作を繰り返している。
なんでこんなことをしているかというと王は強烈な二律相反状態に陥っているからであった。
今すぐにでも彼女に会いたいがいけない。なぜなら彼は王であり自分からお出迎えにいってはならないのだ。
玉座に堂々と座って王の間にて来客を待つのが習わしでありそれが王なのだ。
けど自分は一人の男として彼女を愛したのであって、それならば自らの足でお出迎えにいくのが自然ではないのか?
いいやお前は生まれついての王であり……ああ俺はいったいどうすれば良いのだぁあああ!
そんなの勝手にしろと思うだろうし側近もそう思っている。
さっきからせわしない王の煮え切らない態度に苛々している。
行くならとっとと行けばいいし行かなければ大人しく座っていろ、ハムレットよろしく葛藤とかしているんじゃあない!
生きるか、死ぬか、それが問題だ。このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。そしてこのまま生きるか否か、それが問題だ。
ハムレットの苦悩は禁じられた大罪である復讐をするのかしないのかの葛藤なのに、こっちは女を待つか迎えにいくのかとか苦悩が卑小過ぎる!
「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」 とドストエフスキーは書いたが我らが王はこの程度の苦悩しか持っていないのかあぁ嘆かわしい!
だいたいのお話ここにいることすら彼らにとって不愉快なのだ。
なぜ多忙な彼らが玉座の周りにただ突っ立っているかというと王命によるものだ。
そう新しい女がここに来るからお前ら俺の傍に侍っていろというやつ。
彼女に俺がどれだけ偉いのか視覚的に教えたいんだ。
だってさ口先で俺って王様なんだぁ~子分もいっぱいいてさ~ほらあいつ知ってる? あいつって俺の側近でさ~なんなら今度ここに来させてやるよ。
とか言葉だけだと嘘っぽいしなんかダサいじゃん。
知ってる? マッチングアプリで飛行機のパイロットや医者の登録数は国内総数を超えているって話。身分や職業を詐称しているやつが多いんだ。きっと自称王様だっているはずだろ?
だからさ俺が王様だと言ったらさ彼女はちょっと疑っていると思うんだ。今月何人王様が来たのかしらとかさ。
そんじょそこらのフカシのホラフキンと同類と思われていたら悔しいし、本当のこと言って信じられないのって胸が痛くなるじゃん。
だからお前らここで待機してよ。そうしたら一目でわかるからさ。
馬鹿にしやがってと側近たちは怒りで胸糞が悪くてしかたがない!
どこの馬の骨か分からない田舎の女相手に見栄を張りたいがためにここまでして! ああ情けない。
王としては名君なのだが……というのが側近たちの総意であった。暗愚にしか見えないがそこは脇に置く。
ほほぉこんなに名君なのか英雄色を好むというように女好きな偉い王様……というわけでもない。
名君かどうかは後世から見ないと分からないもの。「蓋棺事定」という言葉が大昔からあるように「人の評価や善悪は死んで棺の蓋を閉じてからでないと定まらない」のである。
同時代の場合はよほどのことが無い限り名君か暗君か分かり辛いものだ。
あの時は名君に見えたが後から見たら暗君だったはよくあることで逆もまた真なりである。
付き合っていた恋人と別れたあとになんであの時はあんなのが好きだったんだろ? と似ている。
その時は分からないし、そもそも人は自分が仕えているものを良く思いたいものだ。
こんなろくでもないものに自分の生涯を捧げるとか馬鹿馬鹿しいにも程があることになってしまう。
この人の下で働くのは恥ずかしいことだと思ったら人は退職しがちだ。
よって人は自己防衛のために相手の良いところを探し出したりして、自分の置かれている悲惨な境遇をマシなものだと思い込みだす。
よくある他者からなんで別れないのかという指摘に対しての「だって、でも」はこれなのだ。
相手に価値があるのではない、自分に価値があるのだ。大切な自分を守るため自己を高めるか他者を高めるのかをどちらかという選択。
さてお待ちかねのその間の扉が開いた。来たな! と側近たちは身構えた。
田舎の芋娘がぁ! と皆が威嚇する表情となる。それと共に王も目が覚めるはずだ。
夜に見た女を朝に見たら別人というのが鉄板である。薄暗い空間と酒で酔っ払った頭で見たらジャガイモだって美女である。
おまけに近ければ近いほど実は見えていないという逆説現象まで発生する。
要するに悪いところが見えないというやつだ。白日のもとに照らされてみれば、あわわなんたる土に塗れたジャガであろうか! 凸凹面じゃんか!
こうなるに決まっている。さぁ失笑の用意だ、鼻で笑う準備はOK?
今日の教訓は夜職の女を朝陽のもとで晒してはならないとなる。吸血鬼同然だからなあいつらは!
場に漲る悪意と準備万端な意地悪な仕打ちも扉が開くとたちまちのうちに溶けて消えていった。
美による熱が彼らの心を支配していた悪意を浄化させていったのである。
奇跡である。まるで一時間待った行列後に食べるラーメンが美味いかのような奇跡。そう、待てば待つほどラーメンは不味くなる。十五分ぐらいが美味さの限界であろう。
待てば待つほど期待値は上がるし疲労と不機嫌さでよほどのことがない限り不味く感じてしまうもの。
行列中、前に立つカップルの彼女の方が三十分過ぎたあたりからすぐ入れる店に行こうよと彼氏を説得して列から出たが、賢婦な判断である。
ちなみに計一時間超えで待ったそのラーメンは好みではなくて悶絶したためとても思い出深い。そして長時間並んで美味かった例は今のところ記憶にはない。
つまり不機嫌から上機嫌なるのはとても珍しいものである。
そう側近たちも物事には以後と以前と明白に分かれることとなった。
まるで人類が初めて電球を発明した日の夜のように、家に新たなる命が誕生したかのように、新たなる中心がそこに現れるともう以前の生活が思い出しにくくなりすなわちそれは過去となり歴史となる。
側近たちは不可解千万だった王の態度の全てに納得して見直した。
流石は我らが王、お目が高い。これほどのものを見つけ出しここまで来てもらうとは王にしかできないことよ。
評価が一変したうえに王が四つん這いとなって彼女のもとに近づいているのも優しく見守っていた。
そうである。王は玉座の上に座ることなどできなくなっていた。
当然である。王を眼の前にして玉座に座る奴隷などいるのか? いたらそいつこそが王でありそして這いつくばるのが奴隷であろう。
「よく来てくれた」
王はこう言うのが精一杯である。あまりにも恋焦れすぎてしまうと人は言葉を失う。
だがそれでいいし、それがよい。
思えば思うほどに言葉が洗練され短く本心しか表せなくなってしまう。
再会を喜ぶ際によく生きていてくれた、を誰も陳腐な言葉だとは思わない。それしかないのだ。
技術は陳腐化するが真実は陳腐化しない。白は永遠に綺麗で美しいのと一緒である。
「はい、来ました」
文句の付け所のない返事とはまさにこのこと。
心からの来訪に対していうべき言葉はこれだけである。余計なことは一切ない。
言葉によって自分を飾らない。ここまで来たことを喜ばれているのだ。これ以上負担をかけさせないという配慮とも言える。
このような場に私のようなものを招いていただきまことにありがとうございます、とは言わない。
赤子はそのようなことを言わないし犬も猫もそんなこと言わない。だから本質的には必要ないのだ。
粉飾決算よろしく、自信の無さや虚栄心があるから言葉を飾付したがるものだ。
彼女は王の手を取りそして立たせた。どうぞ立ってくださいという慈悲深き行動。
すっかり奴隷となっていた王は感激のあまり涙まで流す始末であるがその場に相応しい光景の淡い彩りすらあたえるものになっていた。
そんな真に美しいその空間を扉の陰からチラリと覗き見る醜い奴がいる。
ご存知我らが醜女である。その口元は笑みで歪んでおり心底から愉快そうである。
そうではないな、真実に愉快なのだ。権力が美に跪いているその光景が。
己の願望が叶っていることに対して闇の中で微笑んでいる。その心のうちは……また次回、その深淵を覗いてみよう。




