醜とは複雑怪奇さでもある
これが見たかったのだと醜女は内面が滲み出る汚らしい笑みをその扉の陰の闇のなかで浮かべた。
もしもそれを見てしまったら人は笑ってしまうだろう。嘲りではなく恐怖に笑うのだ。拒絶するために笑うのだ。
この世にあらざるものと出会ってしまった場合、人は泣きながら笑う。こんなものがあってはならないのだから。
そうしなければ平常心を保てない場合に人は笑い声をあげる。だが大丈夫、それは誰にも見えないもの。
白日の光が美を露わにするのなら深夜の闇は醜を隠してくれるだろう。
色白は七難を隠すのなら暗黒は醜悪さを隠してくれる。妹は普段笑わない。
全くといっていいほどに笑わない。威嚇のために笑うが面白くて笑ってなどいない、攻撃のために笑うのだ。目が笑っていないとはこのこと。
彼女は笑いを意識することができる。表情筋もコントロールできる。
だから心から笑わない。醜いからである。あまりにも顔が醜すぎることを受け入れているために彼女にはセーブが掛かる。
敢えてこれ以上に醜いことをしないということをだ。それは精神的な面であるからこそ彼女は笑わない。
そしてそれは誰も望んでいないし自分も望んではいないためにあらゆる全ての人が不審には思わない。
誰も笑って欲しくはないのだ。彼女はそう思っている。
そうであるからこそ闇に隠れて満面の笑みを浮かべているのが異様であり、だからこその真実がある。
ほらこれだとこの醜い女は喜ぶ。所詮王権とやらも姉の美の前では取るに足らないものなのだ。
姉の美こそを頂点とするのならその下にいるものは全て平等となる。等しく姉の下となる。
そこに差異などなくなる……つまり私の醜さなんかどうでもよくなるのだ。
彼女はこう思うがこれはラディカルな極論だろうか?
神の前でなら人間は全て相対化されて等しい存在となるのと大差はないだろう。
要するに信仰の問題である。一撃で全てを倒せる圧倒的な強者なら誰もが等しく雑魚である。
妹にとって姉は信仰である。
最も醜いからこそ最も美しいものを信仰する……矛盾か? 違うだろう。
奴隷であるからこそ無敵の神を信仰するように欠けているからこそ信仰したいのだ。
空白や欠損に神を宿らせよ。
貧乏人の拝金主義、低学歴の学歴信仰、田舎者の都会信仰、自分にそれが無いからこそ求め、そして一体化したい。
己の全てを捧げるからあなたの傍にいさせてください。
複雑で怪奇であるから誰も理解しづらくそこに異様さを覚え結果醜いと感じる。
げに醜きは複雑怪奇である。
そうだとも姉はこのさき王妃となりそして子をなしその子が……
「私の家族を紹介します」
醜い女は闇のなかで己の甘美な妄想に浸っていると姉の声が聞こえこちらに向けて手で招いているのが目に入った。
こっちに来てと招待しているのだ。妹は笑みを消しいつもの厳粛なる表情に戻し暗黒から光明のもとに移動する。
場の空気が一変した。いつもの動揺が聞こえると妹は気分が良くなった。
お前らは沈黙しているが血管と心臓の音は如実に物語っており伝わる。
なんだこの異様な怪物は! とお前らの顔に書いてある。
そうだそれでいい、他の解釈などいらないし与えない。私はお前らの支配者だ。
「妹と甥です」
呑気な姉はニコニコと説明しているが王は気絶寸前である。
王は、醜いものが嫌いであった。端的にブサイクとブスは大っ嫌いである。目にも入れたくないほどだ。
顔の良い女が大好きで顔の良い男も好きである。面食いの美形趣味であり容姿端麗という言葉の響きが好きでありよく口ずさむほどだ。
そもそも容姿端麗という言葉が美味しさを孕んでいる。だからこそビールやラーメンはいつも淡麗系を選ぶほどだ。
そうであるから突然闇から現れし言葉に言い表すのも憚られる醜いものを見て思考が停止してしまった。
妹と甥……といま言ったのか? 言ったよね?
飼っているバケモノですと言って欲しかったが言っていないのは確実だ。
妹と甥とはっきりと言った……世の中には似ていない姉妹はいるが種族の違いレベルで似ていないは有り得ないだろう。
この女神と怪物の間に同じ血が流れているわけ? そんなことが許されるわけなのか?
いいや許されない! この王権を用いて命令する。君とこれは姉妹ではない!
駄目だ……できっこない。たとえ出来たとしても姉妹だったという事実だけが残ってしまう。
同じ血が流れているとか信じられない。
どうすればいいのか? どうすれば……実は姉妹ではないと考えるのはどうだろう?
うむそうだ、彼女は養子として引き取られた先で一緒にいたこれと疑似姉妹関係を結ばされた。
一緒の空間で生活していて他人同士なんて混乱するから養父母がそう区別したのではないか?
そうだとも家族関係ではそれが最適であるしこの怪物に対して姉として命令を聞かせさせたほうが扱いも楽だろう。
そしてその事実を彼女は知らないのだとしたら姉妹として紹介してしまうだろう。
それにしてもどうだろう彼女のこの態度。私の妹ですと紹介した際の何の気どりの無さその気丈さ。
こんなブサイクな家族を持って申し訳ありませんと自分だったら言い出しそうだしなんなら隠してしまう。
他人様にお見せする際に家族会議を開いてしまうような代物を何の照れも恥ずかし気もなく堂々とさらけ出せる。
自分の家族に恥ずかしいものなどいません、という気負いもなくごく自然に正直に事実のみを出している。
私の家族は家族です、とこれまた文句のつけようがないしどうだ彼女のこの微笑み。
自分に出来るのか? 変な家族がいた場合に愛するものの前で紹介できるのか?
汚いものを恥ずかしいものを見せられるのか? 出来ない……見栄を張ってしまう。
だから彼女は自らの見栄よりも家族への配慮を優先できるこれを慈愛と言わずなんと言うのか?
顔が良いだけで中身が冷酷非情な女はいくらでもいるし自分はそういう女をいくらでも見てきた。
最初のうちは顔で中身はカバーできるが、そのうち内面が外に滲み出てくるように見た目が嫌になって来ることが多々ある。
それは内面を知ったためにそこを加味してそう見えてしまうのだろう。
だから年長者がよく言っていたのだ。家族との関係の良い女を選べと。家族を大事にしない女はお前のことを大事にしないってな。
お前は夫になるのと同時に家族になるのだからな、と。
そうだ、一番近い存在を粗雑に扱うことは家族になる自分をそう扱うことになる。
だとしたら彼女はなんということだ! さっきよりも美しく見えている!
内面の充実が見た目の美を増幅させているように思えてしまう。
そうだとも! 彼女はきっと子供の頃からキモい怪物の妹でからかわれていたはずなのにずっと庇い続けてきたに違いない。
気持ち悪いから一緒に歩かないで! なんて言わなかったはずだ。
むしろ一緒に歩いてきたはずだからこそ今日もここまで来たのだ。
これからもそしてこの先も……尊き博愛の精神。まさにまさに王妃に相応しい。
考えれば考えるほど素晴らしさが増えていきもうストップ高を更新中。
ながながと王の心境を述べてきたがだいたいこんなところである。
妹も自分と姉を交互に見比べる王の姿を見ながらいつもと同じことだと受け止める。
姉の美しさを際立させるために自分は存在しているようなもの。
きっとこの男は姉のことが更に好きになっただろう。愛するもののことはなんでもポジティブなことに捉えるのだ。
あばたもえくぼとはよく言ったものであり、この言葉は人間の事実を言い表しているだろう。
一方よく聞くクレオパトラの鼻があと少し低かったら世界史が変わっていたというのはそういった意味で違うだろう。
鼻が少し低いから愛さないでおこう、なんていう男がどこにいるのやら? Hカップに少し届かないGカップとか興味ないね、という男がいたらたぶん相手より自分のことが大好きなタイプかもしれない。
その基準に達しない満足できない愛せないという設定の自分が好きなのだ。
少しぐらいは愛でカバーできるし愛は多少無理をすることだってできる、というか愛とはそのことなり。
それと姉だがいつものように特に何も考えてはいなかった。
来てと呼ばれたから来たし一緒に来た家族を紹介しただけである。
おかしくは、ない。ただおかしいといえば姉は無意識が過剰なのであり、それのせいで様々な人が彼女の内面をあれこれ考え解釈する。
美とはそういうものであるからこそ美人も「ブス」と言われることが多くなるのだ。解釈の幅が広すぎてブスのところにまで届いてしまう逆転現象。
姉は解釈されるのに無頓着であり無意識過剰でその逆が妹の自意識過剰となるのだろう。
もしかしたら姉は自らの美についてあまり興味が無かったからこその輝きがあったかもしれない。
何はともあれこうしてブサイク嫌いな王は愛しの彼女を王妃にし、この妹と息子を王宮内に住まわせることとなった。
次回は赤子が生まれるまでをばお送りします。




