033 公開記録室は今日も忙しい
初夏の朝、公開記録室は開室前から騒がしかった。
前庭の長机にはすでに六人並んでいる。ベルメから届いた蜂蜜納入の控え確認、二番監視所の携行食追加申請、フォーエン橋工事の人足賃問い合わせ、王都経由返金の遅延報告、それに“婚姻契約後も室長は辞めないのか”という、どう考えても業務外の噂話まで混ざっている。
「最後の一件はどなたの案件ですか」
エリシアが問うと、前庭の端でクララとハンナが揃って視線を逸らした。
「業務外ですね」
「でも住民の関心事だよ」
とハンナ。
「公開記録室らしく、公開してくれてもいいんじゃないかい」
とエルザ。
いつの間にかこの人たちは遠慮を覚えなかった。
「正式に公表する時にします」
そう返しつつ、エリシアは開室の札を裏返した。
中へ入ると、ミラがすでに掲示板を書き換えている。
本日の処理予定、返金進捗、補給便出発時刻、相談受付番号。彼女の字はまだ少し跳ねるが、読めるし速い。
「ミラ、蜂蜜納入控えは写し棚二段目、返金遅延は王都照会箱へ」
「はい!」
「あと業務外質問は私の机へ置かないでください」
「えっ」
図星らしい。
ノエルは新しく入った見習い二人に、原本と写しの扱いを教えていた。
“まず手を洗う”“原本に直接書き込まない”“余白は敵ではなく味方”など、いつの間にか立派な先輩である。
オズワルドは相変わらず文句を言いながら棚を見張り、マリアンは月に一度の地図照合で来ていた。
つまり、公開記録室は今日も平常運転だ。
午前中だけで案件は十八件。うち三件はその場で解決、六件は照合待ち、四件は王都問い合わせ、二件は現地確認送り、一件は噂話。
残り二件は、ベルメの蜂蜜携行菓子の正式名称と、公開記録室の窓辺に置かれた大量の祝花の扱いだった。
「前者は商品名なので後回し」
「後者は?」
とノエル。
「差出人一覧を作ります」
「やっぱり記録するんですね」
「当然です」
王都で婚姻契約案が正式に受理されてからというもの、辺境ではなぜか祝花と蜜酒と勝手な祝い菓子が増えた。誰が流したのか知らないが、公開記録室室長と辺境伯の婚約は、どうやら予想以上に娯楽性の高い話題らしい。
昼前、ルシアンがふらりと現れた時には、前庭の相談者たちから拍手まで起きた。
本人は露骨に嫌そうな顔をしていたが、エリシアは黙って見なかったことにした。
「これは何の騒ぎだ」
「平常運転です」
「そうか」
彼はそれ以上触れず、持ってきた書類束を机へ置く。
北部監視所の巡回記録、ベルメ携行菓子の兵糧試験結果、フォーエン橋工事進捗、それから王都監査局からの照会返答。
「働きすぎでは」
「お互い様だ」
確かにその通りだ。
昼食はいつの間にか、公開記録室の前庭で取るのが習慣になっていた。相談者たちが帰った後、長机を寄せて、室員と時々訪れる村代表が一緒に食べる。今日の汁物にはサンティルで再植が始まった薬草が少し入っており、香りが良かった。
「返金第二便、届いたそうですよ」
食べながらノエルが報告する。
「東区慈恵会経由分のうち、遺族手当関連が全部」
「よかった」
「あと監査局から、新様式の採用報告も」
「早いですね」
「エドガー様が相当暴れたらしいです」
それは少し見てみたかった。
午後の案件の合間、ミラがこっそり耳打ちしてきた。
「エリシア様」
「はい」
「辺境伯様、さっきからすごく“言いたいけど人前だから言えない顔”してます」
「何をですか」
「たぶん、地図」
その予想は当たっていた。
夕方、前庭がようやく空になると、ルシアンが執務机の端に一枚の紙筒を置いた。王都から届いた正式印刷の新地図だ。
広げる。
北境の線は以前より少し太く、ベルメ、フォーエン、サンティルの名は正式図と同じ書体で記されている。臨時ではない。完全に戻ったのだ。
「明日、掲示する」
ルシアンが言う。
「前庭に?」
「そうしろと言ったのはお前だ」
そうだった。戻した記録は、公開しなければならない。
エリシアは地図の余白を撫でた。
「綺麗です」
「お前が戻した」
「皆で、です」
訂正すると、ルシアンは頷いた。
その“皆で”の中に自分も入っていると思うと、少しだけ胸がくすぐったい。
日が落ち、相談者がいなくなっても、公開記録室の灯りはまだ消えない。
返金表の更新、翌日の掲示準備、蜂蜜携行菓子の正式名称投票箱の設置。やることは尽きない。
それでもエリシアは思う。
忙しいのは悪いことではない。少なくとも今の忙しさは、誰かの不正を隠すためではなく、誰かの生活を前へ進めるための忙しさだ。
公開記録室は今日も忙しい。
そしてたぶん、明日も忙しい。
それが少し嬉しい自分は、きっともうこの仕事にちゃんと惚れているのだろう。




